Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

85歳、フルコース

患者さんの状態が急変し、心肺停止あるいはそれに近い
状態(バイタルサインが悪化していく状況)にある時、
昇圧剤を使用したり心肺蘇生を含めあらゆる医療行為を
行い回復を目指す時、医療者はよく「フルコース」と
いう言い方をします。これに対して蘇生行為を行わず
自然に患者さんの身体が衰弱し呼吸や心臓が止まるに
任せることを文字通り「ナチュラルコース」と呼び
ます。

医療者でない方は、「何故治療をしないという選択肢
があるのか」と不思議に思うかもしれません。
理由は、一言で言えば心肺蘇生で患者さんの意識が
戻った時、患者さんの状態がとても悪ければいたずら
に患者さんを苦しめるだけに終わってしまうからです。
患者さんが回復する可能性が高い場合、例えば30~40
歳の患者さんが心筋梗塞を起こし不整脈で心停止を
起こした状態と、末期がんや高齢者が徐々に衰弱して
心停止した場合を同じように扱うべきかと言えば疑問
です。

患者さんの苦痛が増えるというのは例えばこういう
ことです。心臓マッサージをすると肋骨が何か所も
折れますので、意識が戻ると痛みの苦痛はとても
強いです。また人工呼吸器は一度開始すると患者さん
が苦しがっていても治療の途中で外すことは通常
出来ないということも、お聞きになったことがある
のではないでしょうか?

また、ここで皆さんに知って頂きたい言葉があります。
「神経学的予後」という言葉です。心肺停止が起こると
患者さんの脳は低酸素状態となり、数分で脳神経は障害
され、不可逆的なダメージを負うことになります。
蘇生が成功したあと、患者さんの脳の機能がどれだけ
回復するかは、何分で心拍が再開するかにかかっています。
麻痺や記憶障害が残っても自立した生活が出来るところまで
回復すれば、神経学的予後は良好と表現します。
※参考…グラスゴ-・ピッツバ-グ脳機能・全身機能カテゴリ-

一方で高度な障害が残り、意識レベルが低下し会話や
食事も難しい状況であれば「神経学的予後」は不良です。
命はあっても寝たきりや胃瘻が必要な状態ということです。
それでも命があれば、とっしゃる方も多いと思いますが、
患者さんの苦痛はもちろん家族も身体的、精神的、
社会的(孤立傾向、介護で仕事を失うなど)、金銭的
な負担を生じることもありますので、なかなか大変です。

85歳以上の患者さんでは、とても良い条件(すぐに発見
され回復し易い心室細動)であったとしても神経学的予後
が良好の患者さんは7%程度と言われています。
最も悪い条件では1%以下です。多くの重大な疾患を
抱えていれば、この数字にも影響してくるでしょう。

長くなりましたが、まとめると高齢者ではフルコース
で心肺蘇生を行っても苦痛が長引くだけであったり、
回復しても脳に高度な障害を残すことが少なくありません。
それでも、これらの情報が分かったうえでフルコースを
望むのであれば、私は(心情的には同意出来ませんが)
ご家族の決断を尊重します
。しかし、急変が実際に起こる
と、考える時間は殆どありません。何の心の準備もなく
半ばパニックになり「よろしくお願いします」と答えて
しまう家族も少なくありません。これはきっと良い
ことではないと思い、今日の記事を書かせて頂きました。
分かりやすい表現を優先したため、不快に思われたり
悲しい気持ちになった方がいらっしゃいましたら、
申し訳ありません。