Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

患者さんの「死にたい」という言葉

今日は、こまち先生のブログを読んで考えたことを書きます。

ameblo.jp

まずブログがとても良いので是非お読みください。

私は訪問診療を行っていますので、がんの終末期の患者さん
や、介護を受けている高齢者の患者さんと出会い、話をする
ことが多いのですが、患者さんから「死にたい」と言われる
ことは割とよくあります。とは言え、多くは
「先生、一服盛ってよ」
「早く逝きたいよ」
と半ば挨拶替わりに、下手をすると笑顔でおっしゃる年配の
患者さんです。このような患者さんは一方で、たとえば胃が
痛い時に「がんではないか」ととても心配したりします。

では、このような患者さんは本当には死にたくないんでしょ、
というとそれも正確な表現ではないように思います。
パートナーも、友達もみんな亡くなってしまったり、介護
を受けないと生活が出来なくなった時に、「生きていても
仕方ない」という悲しみをお持ちなのは確かだと思うから
です。人間は生きたい、死にたいという矛盾した気持ちを
同時に持ち得る存在です。どちらが強いか、その時々で変化
しているだけです。

一方で、こまち先生のブログに出て来た患者さんは、その
「生きていても仕方ない」が強いのではないかと思います。
日本では安楽死や自殺ほう助は認められていません。
そんなことは誰でも分かっています。
ですので、それでも「死にたい」と言う時、翻訳すると
「つらい、さみしい」であることも多いと思うのです

医療者、介護者もしれは分かっているはずですが、やはり
日常的に言われるとつらい。周囲も応えられないですし
ずっと聞いていると参ってしまいます。
するとつい、ブログに出て来た主治医のように

「安楽死はできません」
「だからもうそれ以上言わないでください」

になってしまいます。
この主治医の先生の気持ちは分かります。
分かりますが、これを言ってしまっては医師失格だと
私は思います。

別に主治医が解決しろ、と言っているわけではありません。
多くの医師にはその時間もスキルもありません。
私も偉そうに、私なら出来ると言っているわけではありません。
むしろ、解決など出来るはずがありません。
死に至る苦しみを医者が癒せると思っているなら、その方が
問題です。

でも、主治医も時間があれば少し時間が聞ける、というなら
それを有難いと思う患者さんはいるでしょう。
忙しいなら何時になるか分からないけれど、また来ますと
伝えれば良いと思います。自分の感情が揺れている時も
一度退却すると良いと思います

医師は問題を解決するのが自分達の使命だと思っています。
それが出来ないと強いストレスを感じる人がいます。
ですが「死にたい気持ち」に関しては徹底的に聴くしかありません。

「どうしてそう思うのか」
「いつからそう思うのか」
「今なにがつらいのか」
質問を挟みながら、患者さんに話して頂くのです。

一度はこのような機会を持って頂ければと思うのですが、
それが出来ないのであれば、そこをチームで関われば
良いと思います。ブログではこまち先生が対応しました。
緩和ケアチーム、カウンセラー、精神科など。
薬を希望されるなら、もちろんそれもありだと思います。
ただ、どちらかと言えば必要なのはカウンセリングであり、
“Not doing but being”だと思います。

最後に、お勧めの本です。なんと「緩和ケア」で安楽死
の特集がありました。結構、力作なので読んでいない方
は是非。