Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

『早川一光の「こんなはずじゃなかった」』

往診医の大先輩である早川一光先生は、多発性骨髄腫の
ため2018年6月にご自宅で亡くなりましたが、この本は
同タイトルで京都新聞に連載していた早川先生の連載を
娘さんがまとめ、介護の様子を加筆して出版された本になります。

早川一光の「こんなはずじゃなかった」

早川一光の「こんなはずじゃなかった」

「診る」側であった早川先生が、「看られる」立場となった時、
先生は「こんなはずじゃなかった」とおっしゃいました。
もちろん、色々な意味がこめられた言葉だと思いますが
「往診中に死んだら本望」という先生も、ご自分が介護を受け、
介護用ベッドで過ごすことになるとは思っておられなかった
ようです。もちろん、これは私たちもきっと同じです。

以前のブログにも書きましたが、「畳の上は天国」と在宅介護
の素晴らしさを語っておられた先生が、「畳の上にも天国と
地獄があると知った」とおっしゃった。これはとても重い言葉
であると思いませんか。確かに多くの患者さんにとって、自宅は
一番でしょう。病院は患者さんの「居場所」ではありませんし、
入院中は退院を心待ちにして孤独に耐えて時間を過ごしているの
だと思います。

しかし自宅では全てHappyかと言えば、ことはそんなに単純
ではありません。医療者が常にいるわけではない自宅では、
大きな不安や「家族に迷惑をかけている」という想いに
苦しむ方、逆に苛立ち家族とぶつかってしまう方もいます。

「たとえ体が寝たきりになっても、心まで寝たきりにならない
ようにして下さい」
僕が講演でよく話していた言葉です。
「そんなことできるか。やれるならやってみい」
今僕は、昔の自分に向かって怒鳴っている

患者さんにならないと見えない世界が、きっとある。
70年近く患者さんに向き合い続けた早川先生でもそう
感じるのであればこれは仕方のないことかもしれません。
それでも私たちは、私たちが語る言葉によって患者さんや
家族がどう感じ、患者さんの言葉や表情の向こうにどんな
想いがあるのかを全力で想像しなければいけないと思うのです。

そして、後半の娘さんの介護エッセイも、介護している家族
ならではの戸惑いや苦悩を優しさと愛情、ユーモアたっぷり
に書いておられ、この部分もとてもお勧めしたい内容になって
います。

先生が先立って体験された「こんなはずじゃなかった」と
いう想い。私たちはこれを引き継ぎ診療に活かすべきですし、
次の世代に伝えていかなければいけませんね。