Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

緩和ケアは安楽死を望む人を救えるのか

47NEWSの『安楽死を問う』の4回目は、西智弘先生でした。

www.47news.jp

西先生は、2020年7月に、『だから、もう眠らせてほしい』と
いう、安楽死と緩和ケアについての本を出版されました。
私も8月9日のブログでこの西先生の本について感想を書かせて
頂きました。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

私も緩和ケア医としての願いは、緩和ケアによって安楽死が
必要なくなることです。ただ、考えれば考えるほど、そんな
ことが出来るのだろうかという疑問が生じます。

まず、西先生もおっしゃるように心の問題、精神的な苦しみ
には緩和ケアはほぼ無力です。もちろん安定剤や傾聴のスキル
を学ぶことで多少役に立てることはあるかもしれませんが、
いくら時間をかけて患者さんの話を真剣に聞いたとしても、
医療者が出来ることはたかが知れています。

そして身体的な苦痛にしても、100点満点の緩和は出来ない
はずです。確かに、20年、30年前と比べると疼痛に対する
治療はとても進歩しています。しかし、「身の置き所が
ない」と形容される全身倦怠感や強い呼吸困難に、本当に
満足な治療は出来ているのでしょうか。身体の苦痛が
完璧にコントロール出来るならそもそも、「鎮静」など
必要ではないでしょうし、たとえ「耐え難い苦痛」では
なかったとしても、それで「十分」と考えてしまうのは
医療者の自己満足ではないのでしょうか。

そもそも、緩和ケアは非常に「医療者の自己満足」の
危険が大きい医療なのではないかと思います。緩和ケア
医は、どこまでそれに気付いているでしょうか。
患者さんが苦痛を訴えれば、傾聴せずに内服薬で解決
しようとしていませんか?自分の信念に、患者さんを
合わせるようなことをしていませんか?患者さんの
苦痛が「耐えがたい」かどうかすら、医療者が判断して
いませんか?「痛みは自制内」って何ですか?

確かに、身体的な苦痛「だけ」で安楽死を望む方は、
適切に緩和ケアが行われればそれほどは多くないのかも
しれません。しかし、死を願う「ほどではない」なら
緩和ケアは十分なのでしょうか。

もちろん、西先生が書かれているように緩和ケアを
通じて、一人でも「安楽死をしたい」と思う人を
減らしたい。その想いは間違いなく私にもあります。
そして緩和ケアに携わる医療者の多くは一所懸命やって
いると思います。その姿勢を否定するつもりはありません。
ただ、私が今が言いたいのは「緩和ケア」は今のままで
決して満足してはいけないレベル
であり、
緩和ケアが広がらないことの原因のひとつは、患者さんの
期待にきちんと緩和ケアが応えていないことも原因では
ないかと思うのです。