Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

偽りの希望は是か非か

昔、自分が書いたブログを読んでいて、代替療法に
ついて書かれた記事を見つけました。

blog.livedoor.jp

大部分の患者様は病気を受け入れ、自分が長くない事を
ご存知ですし、食品で癌が治らない事も理解されています。
しかし、同時に現実的ではないにせよ『がんが治る』
希望も何処かで持ち続けていたいのではないかと
思います。これは当然の気持ちではないでしょうか。
私のような弱い人間はその気持ちがよく分かります。
気休めを言う事は良い事ではありませんが、かと言って
非現実だから、と希望を全て否定し、貴方は死ぬしかない、
と強調する必要はあるのでしょうか?

私の代替療法についてのスタンスは、この頃と変わって
いないなぁ、と思いました。
ちなみに、この頃の私は

一方で難しい所は代替療法に熱心で、治癒・延命思考の強い患者様
はキュブラー・ロスの言う『受容』のプロセスが遅れる可能性も指摘
されており、代替療法がthe final stage of growth、つまり人生の
最後における患者様の心の成長を妨げるものではならないと
思います。一見矛盾するとも思えるこの部分をいかに上手く調和
させていくかが大切な事ではないでしょうか。

代替療法が『受容』のプロセスを邪魔してしまうのではないか、
等ということを気にしていました。今は正直、『受容』等と
いうものはあまり重要ではないと考えています。
『受容』なんて、目指したい人だけが目指せば良いです。
しかし、代替治療との『距離感』は場合によって危険です。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

少し前の記事ですが、『代替療法』そのものが危険なのでは
なく、「すがる」ことが危険
というのが今の私の考えです。
「すがる」=視野が狭くなった状態です。
これは、対象が『代替療法』でなくても、カルトでも、いや
標準治療でも同じことです。
およそ現実的ではない希望のために大切な時間を失って
でも、場合によっては命を縮めてしまう段階であっても
抗がん剤治療が止められない。「エビデンスがあるから」
「保険が通っているから」良いと本当に言えるでしょうか。
まぁ、お金の問題についてだけ言えば少しは良いかもしれませんが。

「偽りの希望」についても同じです。希望が「偽り」か
どうかが重要なのではなく、盲目になっている状態が
問題です。いや、究極的にはそれも悪いとは言えないの
かもしれませんが、バランスの良い心の状態でないことは
確かだと思うのです。