Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

代替医療を否定するだけの医師は「毒親」になっていないか

代替医療について、これまでもブログで書いて来ました。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

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パターナリズムという言葉があります。
Wikipediaによれば、

強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、
本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。 親が
子供のためによかれと思ってすることから来ている。 日本語
では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では
家長式領導、溫情主義などと訳される。

医療でパターナリズムと言えば、「父親」である医師が、
知識が少なく正しい判断が難しい患者さんのために正しい
選択(治療)に導くというニュアンスです。
確かに医師の方が知識も経験も多いでしょう。
治癒可能な疾患であれば、あるいは社会復帰のために、
QOLを上げるために患者さんにとってこの方が良い、と
パターナリズムが有効であることも多いでしょう。

しかし、たとえば治癒不能ながんで有効な治療がない
時はどうでしょうか。治療が残っていても、大きな副作用
と引き換えにわずかな延命効果しかない治療であれば、
それを行うことは患者さんにとって正しいことでしょうか?
それが正しいと決めるのは本当に医師なのでしょうか?
医療が大きな結果を出せない時は患者さんの生き方が優先
されるべき時もあると思います。

こんな時に患者さんが代替医療を受けてみたいと言った時、
「あんな治療は効かない」と吐き捨てるように言う医師が
とても多いと聞きます。このようなやり取りはまるで
「やってみたい」という子供の希望に対して「くだらない」
「意味がない」と頭ごなしに否定する親の姿とかぶります。
それは確かにそうなのかもしれませんが、患者さんにとって
家族にとってこれはスピリチュアルに関する苦しみから出て
いる言葉であって、「エビデンス」など語っても届かない
のではないでしょうか。
そう、代替療法は「祈り」なのです。

本当に患者さんのためを思うのであれば、私はまず患者さん
や家族の気持ちをよく聞くべきで、あくまで「代替治療を
諦めさせる」ことをゴールにすべきではない
と思います。
それよりも傾聴すること、共感することの方が重要ではない
でしょうか。その話し合いの中で、優しくエビデンスがない
治療だと伝えることは良いと思います。患者さんにとって
医療不信が増し助けが必要な時に病院に頼れない方が大きな
マイナスではないでしょうか。医療者が、患者さんの弱みに
つけこもうとする「悪徳な業者・医師」よりも患者さんに
とって有害な存在になってしまっては意味がありません。