Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

老いと「受容」

私は患者さんが病気や死を受け入れるか、それ自体はどちら
でも良いと考えています。投げやりな意味ではなく、それは
患者さんの価値観や生き方によるからです。過去のエントリーでも、
kotaro-kanwa.hateblo.jp

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この辺りで書かせて頂きました。

実は緩和ケアを始めた頃は、受容は若い人にはきっと難しく、
戦争や長い苦難を生きて来られたご高齢の方は自然に受け入れ
られるようなイメージを持っていました。
しかし、実際は逆でした。

若い方は、病気と向かい合う、闘う道を選ばれる方も多い
のですが、同時に死についてもとてもよく考えておられ、
私たちにもお話になります。もちろん、ご性格も大きく
関係するのですが、お歳になればなるほど死と向き合い、
語ることが難しくなるようです。話を逸らしたり告知を
忘れてしまったかのような態度をとられる傾向があると
感じます。

これは、ある意味無理もないことなのだと思います。
病気や死を受け入れることは恐らくとてもエネルギーが
必要で、思考力や強い心の状態が必要なのでしょう。
だから、それで良いと私は思っています。

そしてこれは、家族の死を受け入れるということにも
どうやら関係しているように思うことがあります。

いつも難しいと感じるのは、家族も高齢で理解力が落ちており、
身近な人の死に直面したことがない場合、枯れるように亡くなる
ことを知らないし理解出来ないので、毎日点滴しろだなんだと
言ってきます。いやいやもう限界なんだけどがわからないんですね。
家族の気持ちが本人苦しめるのかも。

これは昨日、Twitterで私にコメントを下さった介護支援専門員
の方の言葉です。私もそう感じることがよくあります。
これもまた仕方がない部分もありますが、配偶者がまさに死の淵に
あってもそれが理解出来ない。あるいは頭では理解されている
かもしれませんが、受け入れることが難しい。治ると思っていて、
諦めたらかわいそう、というお考えのようです。

私は先ほど、病気や死を受け入れることは「どちらでも良い」
のではないかと書きました。しかし、家族や医療者については
ある程度受け入れが必要で、それが出来ないと患者さんは長く
苦しむことになってしまいます。特に医療者が正確な判断が
出来ないと話にならず、患者さんは本当にお気の毒です。
良い譬えではないですが、勝てない戦争を無理に戦わせている
ようなものです。

もちろん家族の死を受け入れることは困難であり痛みを伴う
ものです。本来はそこで医療者が、あるいは医療者に代わる
誰かが時間をとり、家族の声を聞くことが必要になります。
ホスピスの多くはチャプレンや神父がその役割を担います。
もっと、言葉が必要です。

分子栄養学、その後

昨年11月のブログで、私の分子栄養学、
『オーソモレキュラー』などと呼ばれる分野について
思うところを書かせて頂きました。
何、それ?という方はお手数ですがこの記事をお読みください。

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新しい栄養学に対して期待をすると共に、
やや医療批判・宗教的になりやすい性格を持っている
という自覚を持って学びたいという気持ちを書いています。
この姿勢は今もあまり変わっていないつもりです。

しかし、私は学びや経験の中で確かに月経のある女性や成長期
の子供たちの精神症状、例えばうつやパニック発作発達障害
の「少なくとも一部」には、たんぱく質や鉄・ビタミンB群など
を摂取して頂くことにメリットがあることは、ほぼ疑いは
ありません
。もちろん、私の経験も二重盲検ではないので、
強力なプラシーボが働いたとか、たまたまお子さんの成長などほかの
因子が重なったということもあり得るでしょう。
ただ、月数百円から高くて数千円で、治療と並行して行う
ことの出来る方法ですから、失うものは決して多くはなく
試してみる価値はあると私は思っています。

最近では、高齢者の認知症やBPSDに栄養学的なアプローチが
出来ないか、ということにも興味があります。もちろん栄養学
認知症が治るとまでは思っていません。
ただ、アルツハイマー認知症の発症に高血糖が関与している
ことはほぼ疑う人はいないと思いますし、
ココナッツオイルが症状改善に有効などと盛んに言われています。
成書でもtreatable dementiaの中でビタミン欠乏症が挙げられています。
特定の栄養の欠損・過多が認知機能や周辺症状に関係があるかも
しれない、と考えるのは、それ程荒唐無稽なことでしょうか

それこそ全くエビデンスのない分野ではありますが、鹿児島で
開業をされている、ひらやま脳神経外科の平山先生や、
長久手南クリニックの岩田先生は既に認知症治療に栄養学的な
アプローチを加えておられます。お二人のブログは、

www.ninchi-shou.com

plaza.rakuten.co.jp

奇しくも、お二人ともコウノメソッドの実践医で脳外科
という共通点をお持ちです。

他にも、高齢者の様々な症状に亜鉛欠乏が関与していると
報告している倉澤先生のサイトがあります。

www.ryu-kurasawa.com

というわけで、私も新しい栄養学の学びを続けていきたい
と考えています。

男の介護と虐待

過去にこちらのブログで、『迫りくる「息子介護」の時代』
という本の紹介をさせて頂いたことがあります。

迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (光文社新書)

迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (光文社新書)

kotaro-kanwa.hateblo.jp

上記のブログでも書きましたが、介護者による虐待の4割が息子さん
と言われています。絶対数が相当少ないであろう息子さんが4割
を占めているのです。家事が苦手な男性は慣れない家事は大変
で、ストレスが多いことでしょう。お酒に走り、つい暴力、という
ことも実際あります。

しかし、それほど単純なことばかりではないと思います。先日
御紹介した、『母親に死んで欲しい』では、男性の陥りやすい
傾向として御自身がこれまで取り組んで来た仕事のやり方で
介護をしようとすること、が挙げられていました。会社では、
「頑張れば頑張るほど」目標に近づき、業績や評価など目に
見えるかたちで成果が出やすい。しかし、介護は違います。
やってもやっても目に見える成果が出ず、残酷なことに状況は
次第に悪化することが多く、行き詰まりを感じやすいと言います。

「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白

「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白

本日、新たに御紹介したいのはこの本です。

著者は科学技術を専門として活躍するフリーライターの松浦
さんです。独身・50代の松浦さん。母親がどのように認知症
発症し、どのように考えて同居・介護生活を始めたのか、
母親の症状がどう変化していったのか。ライターの目で
描かれた介護生活は、不慣れな介護をしている、始めようと
している同世代の男性にはきっと、非常に参考になります。
もちろん男性の介護記録も増えては来ましたが、なんと言っても
知的で冷静で客観的。さすがはライターです。

じわじわと追い詰められ、そして介護の果てに、ついに手を出して
しまった。松浦さんのような人でも暴力を起こしてしまうのか…と
思いますが、その暴力をふるってしまった経緯、心理も思ったよりも
冷静であり、感情的になったというよりも、むしろ感情が死んで
しまったかのような描写がとても印象的
でした。

私の訪問診療の経験では虐待・暴力が問題となったケースは
ありませんので、他の方々がどのような気持ちで虐待をして
しまうのか、決定的なことは言えません。ただ、見ていて
「俺が何とかする」という気持ちで開始された介護では、長く
続かないか、心身の疲労でかなり参ってしまうようです。理想の
介護と現実の違いに愕然とするのかもしれません。また、そのような
場合にも助けを求める(誰かに任せる)ことが女性と比べると
確かに苦手で孤立しやすくなる傾向はあると思います。そんな中で
話してもすぐ忘れたり、感謝の言葉もなく日々詰られるような
生活が続くと暴力・虐待に繋がってしまうのでしょう。

未婚・晩婚と長寿などの影響で男性の介護は今後嫌でも増えます。
先人の経験やアドバイスはきっと役に立ち、支えられるのでは
ないでしょうか。