Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「死の受容」に対する疑問(1)

3月28日、川崎市立井田病院の西先生がこんなブログを書いて
おられました。

www.buzzfeed.com

Twitterでも散々絶賛したのですが、私がこの仕事をしながら
長年感じていたことを、とてもやさしくスマートにまとめて
おり、さすが西先生だなぁと思いました。

テーマは、「死は受け入れられるのか」。西先生はまず、
アドバンストケアプランニング(ACP)の説明と重要性を
お話された後で、50代のがん終末期の患者さん、Aさんの
例を紹介されています。

私も、Aさんのようなケースをどれだけ経験して来たことか。

初めにつらい治療は希望せず、穏やかな時間を過ごしたい、
と達観したようにも思える意思を伝えるAさん。
しかしいざ治療の継続が困難になると、免疫細胞療法や
高濃度ビタミン療法を望まれ熱心に治療を続けられます。
御本人はそれを「妻が望むから」と言い、妻は「本人が
希望するから」と話す。
そしてスタッフからのこの言葉。

「死が迫ってきているのに、夫婦ともに死の受け入れができていません。
先生からきちんと病状を説明したほうがいいのではないでしょうか」。

そうこうしているうちにAさんは治療を求めつつ自宅で
亡くなりました。そこで西先生は初めの疑問に立ち帰ります。

「そもそも人間は死を受け入れることは可能なのか否か」

Twitterでも書きましたが、日本では緩和ケアが普及するのと
ほぼ同時期にキュブラー・ロスの考え、特に死の受容の
5段階モデルと呼ばれる考えが入って来ました。
ロスのこの
モデルは今でもサナトロジーの基本として医療・介護の
テキストで説明されています。皆様も御存知のこの5段階モデルは
「否認」「怒り」「取引き」「抑うつ」「受容」と呼ばれ、
受容は怒りも抑うつもなく自らの死を受け入れ心に平穏が訪れた状態
とされています。

ロスの考えは、患者さんの言葉や行動の背景にどのような心理
があるのか、という推測からケアに活かす、という意味では
とても意味のある研究だったと思います。
しかし、「適切な
ケアが提供されれば、誰もが受容の状態に至る」と述べたこと
から、あたかも『緩和ケアの目的・ゴールは目の前の患者さんを
「受容」に導くことである』
、というような風潮が、当時の
緩和ケアにはあったように思うのです。

長くなりそうなので、申し訳ありませんが次回に続きます。