Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「何処で亡くなるか」より大事なこと

最終的に自宅で亡くなった患者さんの家族から、
「最後まで家にいさせてあげられて良かったです」
という言葉を頂くことが多いです。
「そうですね」と答えると同時に、在宅医として
お役に立てたと嬉しく思う瞬間でもあります。

しかし、自宅でなく病院で亡くなった患者さんは
「良かった」とは言えないのでしょうか?
今日はこのことを少し考えてみたいと思います。

実は多くのご家族は患者さんを病院で見送ったことを
そこまで強く後悔したり残念に思っていないようです。
むしろ「一人で見送る自信がなかった、病院で
良かった」「自宅だと責任を感じ、苦しかった」と
おっしゃるご家族すらいらっしゃいます。
もちろん「家で最期を迎えさせてあげられなかったのは
残念でした」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、
それでも苦しむことはなかったとか、傍にいてあげられた、
看護師さんが優しい言葉をかけてくれた等の入院中の想い出
を話して下さいます。

病院だろうが自宅だろうが、お別れはとても寂しいのです。
でも、ただ寂しいだけではなくて思い出や優しい気持ちを
家族は受け取っています。
患者さんとのお別れという大きな問題に比べれば、実は
物理的にどこで亡くなったかなんて些細な問題なのかも
しれない
、と最近よく思うのです。
(もちろん、場所を大切にする考えを否定しているわけ
ではありません)

「最期はどこで迎えたいですか?」というアンケートが
よくあります。同じような調査は何度も行われていますが、
「自宅」と答える方は半分ちょっとです。
「病院」と答える方が3割弱。残りは「施設」であったり
「分からない」という回答です。
また、間違えてはいけないのは、ここで「自宅」と答えた
方は、終末期に何が起こっても絶対に搬送しないで欲しい、
という訳ではないということです。
実際には、そういう方はかなり少ないことも分かっています。

先程Twitterでも呟いたのですが、患者さんが亡くなる場所
に一番こだわっているのは実は医療者ではないでしょうか。
自然に家にいたい気持ちでいられるように、なるべく病院
に行かないでも済むようにすることが私達在宅の医療者の
役割です。しかし、それが全てでしょうか?
私のツイートに対して、「最適な医療と1秒でも長く側で
と思う感情は必ずしも一致するばかりではなかった」
「大事なのは後悔させないこと」というコメントを頂きました。
本当にその通りだと思います。
(※赤字は私が勝手につけたものです)

看取りの場所も含め治療も療養の時間の全ても、人生にも
間違いなどないのではないでしょうか。むしろどこで最期
を迎えたとしても「良かった」と思って頂ける方がずっと
重要な関わり方だと思うのです。