Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

安心して死にたいと言える場所

『だから、もう眠らせてほしい』
以前私が紹介した西 智弘先生のこの本。
安楽死について緩和ケア医としての考えや葛藤をまとめた
素晴らしい内容です。ちなみに私が以前に紹介した記事は
こちらです。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

今回はこの本の中の、8章に当たる、松本 俊彦先生との
対談を取り上げてみたいと思います。松本先生は自殺対策
に取り組んでいる精神科医です。対談の全てが、前半部分
も非常に興味深いのですが、恐らく松本先生が最も伝え
たい内容、「安心して死にたいと言える社会」という箇所
に注目してみたいと思います。先生は、「自殺したい
人がゼロになる社会は想像出来ない」としながら、こう
続けられます。

人生終わりにしたい、と思っている人たちに、少しでも
関われるチャンスを作るにはどうしたらいいかってことは
いつも考えている。僕は『安心して死にたいと言える社会』
が必要だと思っているんですよ。死にたいと言ったからと
言って、説教されたり、叱責されたり、否定されたりする
のではなく、『もう少し話を聞かせて』っていう人がいて、
その人に関心を持って、その人の物語の証人になろうと
する人がいる社会だと思っているんですよ

とても共感出来る言葉でした。今の社会、自殺したい
人がいれば「何言っているんだ、頑張れ」とか、
「もっと辛い人はたくさんいる」とか、ひどくなると
「死にたきゃ勝手に死ね」なんて言葉が飛び交う。
皆に共通しているのは、死にたい気持ちのその人の
言葉を聴こうとしていない。自分が言いたいことを
言っているだけ
であり、そう言われるとその
先何も言えなくなってしまうのではないでしょうか。

先生の言葉は自殺について語ったものですが、私は以前
から「緩和ケア」についても同じことを考えていました。
緩和ケアも、「安心して死にたいと言える場所」である
べきだと思う
のです。
「死にたい」に限ったことではありませんが、遠慮せず
弱音を吐ける、何でも言える場所。表面的な言葉だけを
捉えて安易に否定されたり、解決法を提案して口を塞ぐ
のではなく「どうしてそう思うのか」を丁寧に聞いて
くれる場所。

もちろん、語ることを望まない人もいるでしょう。大切な
ことは相手が何を望んでいるのかを想像する、汲み取ろう
とする気持ちや余裕だと思います。