Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

記憶より感情を

認知症の患者さんのご家族が患者さん本人に対して、
出来事や約束をどうにか思い出してもらおうと画策する
ことがあります。これは当然の心理ですが、相手が認知症
の患者さんである以上、この試みはうまくいきません。
よく見掛けるのは、約束事を書いて壁に貼り付けたり、
「念書」を書かせたり、あるいは写真や動画を撮って後で
見せたり。しかしこれを見て「そうだったわね」と思い
出す方は、そもそもこんな事をしなくても説明だけで思い
出すのではないでしょうか。

特にアルツハイマー型認知症では、初期には印象に残る
エピソードは覚えていたり、気遣い、取り繕いなど記憶
以外のことはさほど失われていないことも多いので、
周りはつい、覚えさせよう、思い出させようとしがちです。
しかし、ここが全く思い出せないのが認知症ですので、
これらのアプローチがうまくいくことはあまりありません。

それどころか、自分の記憶がないことをどこかで意識して
いたり、「何かおかしい」と感じている方はおられます。
「最近呆けちゃって…」と何か指摘される前に言い訳のよう
に言う方は、何らかの違和感や不安を感じているのでは
ないかと私は考えています。
ですので、身に覚えのない写真や念書など出されても
混乱するだけです。

考えてみて下さい。あなたが御自分のお子さんと会話を
していたとしましょう。突然お子さんが、
「お母さん、その話今朝聞くの4回目よ」
とおっしゃったら、自分はその記憶がなかったら
どう感じますか?

突然部屋の物の位置が変わっている。おかしいと思って
聞いたら、「お母さんが昨日自分で模様替えをしたでしょう」
という返事があった。これ、怖くないですか?

そういうひとつひとつの記憶もまた消えていくので、
相手は何度も話したでしょうと次第に苛立って来る。
そして、何を話したかは覚えていなくても、感じた不安、
怒りや苛立ちなどの情動の記憶はその後も残ることが
結構あります。情動は生物の生存に直結する大切なもの
なので失われにくいのかもしれません。

ですので結局、間違いや記憶がないことを指摘しても
不安が増すばかりで、不安は不信感やパニック、癇癪、
焦燥感などの原因となり介護が余計に困難になるのです。
まずは御本人の不安、恐怖に目を向け、それを和らげる
方法を考えるのが先決だと思います。
失くしものを、物盗られ妄想を叱るのではなく、
不安を受け止め一緒に探すなど。探しているうちに
だんだん忘れてくるので、タイミングをみて「休憩を
しましょう」とお茶や美味しいものを用意するなど。
もちろん上手くいく場合ばかりでなくやはり大変だと
は思うのですが、介護の方向性としては詰ったり
プライドを傷つけるのはやはりまずいと思います。

逆に認知症でも喜びや楽しいという情動も残っています。
過去や未来がなくても、今楽しく過ごすことを優先して
みては如何でしょうか。