Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

死に目に会う

小林 麻央さんの旅立ちがニュースになっていました。
私は芸能界に疎いのですが御夫婦の姿をネットで度々
拝見し、子を持つ親としても穏やかで優しい時間が
過ごせることを願わずにはいられませんでした。
海老蔵さんは麻央さんが亡くなる瞬間に
立ち会えたそうですね。「愛している」と言って
旅立った、と書いてありましたから。

実際の臨終で、お別れの時にはっきりとした会話が
出来ることはとても少ないと思います。患者さんは
眠っている事が多く、また精神的にも夢の中のよう
な状態で、混乱気味のことが多いからです。
そういう意味で、麻央さんの最期が良くて、眠った
まま亡くなる方の最期が良くない、等とは全く思い
ませんが、ドラマチックな最期であったことは確か
だと思います。

そもそも病院では御家族が余程覚悟して付き添う
ことがない限り、亡くなる瞬間に立ち会えないこと
も少なくはありません。

亡くなる瞬間に家族が立ち会うことを「死に目に会う」
と言い、強く希望される家族、義務のように考えている
家族が多いようです。寂しいのではないか、という
気持ちも分かりますし、自分自身が後悔するから、
という御家族もいらっしゃるでしょう。
一緒に居てあげられなかったから、せめて最期は…。
この気持ちも分からなくはありません。
しかし、一部医療者が違和感を感じるケースもあります。
ちょうど同じような違和感をブログに書かれているDr.
のブログを紹介します。

ameblo.jp


「家族が揃っていないので、まだ死なせないで下さい」
というものです。中には御家族の心情を察して心臓マッサージ
をする(ふり)、アンビューバッグを押し続けて家族
の到着を待つ医療者もいます。でも、これ、本当に
死に目に会えているのでしょうか…?歳をとると、こう
いった儀式も完全に無駄ではないことが分かって来ますが、
違和感が拭えないのは、これは完全に患者さん
御本人のためではないからなのでしょう。

これは考え方かもしれませんが、患者さんが意識もない
状態ではなく、生きているうちに、会話が出来るうちに、
御家族の存在を肌で感じ、孤独ではないことが分かる
うちに、是非御家族には一緒に居て頂きたいと私は思い
ます
。一緒に時を過ごせていれば、亡くなる瞬間に
物理的に御家族が何処にいようと関係ないと思うのです。
「間に合う」とか「間に合わない」なんて、とても
「この世的な考え」だと思います。

それでも本当に瞬間に立ち会いたいのであれば、個室
で常に付き添うか、自宅介護がお勧めです。しかし、
それでもうたた寝している時に、トイレに行っている
時に亡くなる患者さんもいらっしゃいます。逆に数年
ぶりに見舞いにやって来た御家族が臨終に立ち会える
事もあり、それはきっとある種の運命のようなもの
なのではないかと思います。

どうか、死に目に会えなくても後悔がないくらい、
患者さんが生きているうちに一緒に時間を過ごして
あげて下さい。