Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

人生会議

『死ぬときぐらい好きにさせてよ』
これは樹木希林さんの『120の遺言』のサブタイトルです。

(…本の内容の紹介じゃなくて申し訳ありません)

治る病気であれば、自立した生活がもう一度送れるのであれば
『我慢』の意味もあるでしょう。あるいはそれが改善し得る
病状ではなかったとしても、自分で決めた目標のためには
人は辛くても頑張れるものかもしれません。
でも、そうでないなら「好きにさせてよ」というのは自然な
想いではないでしょうか。

回復不能な病状にあって、認知症意識障害などで
ご自分の想いを表現出来ない患者さんは実は多いのです。
その時は代理人、多くは御家族が判断を担いますが、
家族は「どんな姿でも、少しでも長く生きて欲しい」、
「回復の可能性が少しでもあるならあらゆる方法を
試して欲しい」と願うのは、ある意味当然のことです。

しかしその結果、あまり回復の希望がないのに治療が苦痛に
満ちたものとなり、周囲でこれは本当に御本人の想いに沿った
治療なのかと思い悩む場合も少なくありません。
もっと患者さんが「受けたい治療を受け、
受けたくない治療を受けないで済む」
方法はないだろうか。
医療者を中心に悩みながら出したひとつの解答がタイトルの
「人生会議」です。

「人生会議」はアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の愛称です。
医療者の中でも誤解している人が多いのですが、ACPは単に「ADNR」
(蘇生困難の場合の治療の差し控え)の確認をとることではありません

Twitter等を見ていると、認知機能が低下したお年寄りを、「人生会議」
等という言葉で騙し、半ば強引に「延命しない」という言葉を引き出し、
救命せずに死なせてしまう
。勝手にそんなイメージを持っている人が
たくさんいるように思います。

www.mhlw.go.jp

上記は、「人生会議」という愛称を考えた須藤さんや、
選定委員の皆さんのコメントが載っています。
愛称をバカにするのも自由ですが、どんな想いで言葉が
生まれたかくらいは知って
からにして頂きたい。
ここを読むと分かるのですが、「人生会議」の本質は
「対話」を続けること。
「何かを決めること」ではありません。

意思表示が出来なくなった患者さんが「今」本当は何を
希望しているか、それは誰にも分かるはずがありません。
しかし、元気な時に患者さんが残した言葉に、その
ヒントがみつかることも、実は少なくないのです。

「助からないなら、家で死にたいが口癖だったよね」
「胃瘻は止めて欲しいと言っていたね」
「孫が生まれるまでは頑張りたいって言ってたな」
そういう話をする機会が増えれば、
考えたり伝えたり、学んだり出来れば
患者さんの想いに沿った治療が少しは
選ばれやすくなるのではないでしょうか。

最後に、今日私がTwitterに書いたツイートを
ここでも掲載させて頂きます。

医療者が胃瘻を行えば過剰な医療、儲け主義と言われ、
差し控えようとすれば弱者の切り捨てと言われる。
なら、どうして欲しいかもっと自分で考えようよ。
気持ちを伝えられるうちにアピールしようよ。

やはり名称を変えた方が良いのかもしれない

やはり名称を変えた方が良いのかもしれない…「緩和ケア」のこと
です。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

こちらにも書いたのですが、我が国ではまず「ターミナルケア
という言葉が使われるようになりました。がん終末期の苦痛を
軽減させるケアを指しますが、後に苦痛緩和のためのケアは
何も終末期に限ったことではない、苦痛を感じている患者さん
全てに行われるべきだ、という考えから「緩和ケア」という名称
が使われるようになりました。

「緩和ケア」という言葉には、終末期という意味は全く含まれて
いません。ただ、恐らく非医療者の患者さんや家族はもちろん、
当時の医療者も理解が十分ではなく、「緩和ケアはターミナル
ケアの言い方を変えただけ」という認識があったのではないか
と思います。その後もずっと、一部では混同されて使われており、
確かに終末期の患者さんの方がより緩和ケアを多く必要とするのが
普通ですし、例えば実質「限られた予後と考えられる」患者さんしか
利用出来ない「緩和ケア病棟」という名称も、話をややこしくしている
ように思います。

上記の記事でも書きましたが、緩和ケアは患者さんがより良く
生きるための関わりに過ぎません。身体の症状を和らげること
はもちろんですが制度の利用や病気を治療しながらの仕事・
子育て等の悩みや不安の解消を含めたかなり幅広い関わりを
指します。

大津秀一先生は、「早期緩和ケア大津秀一クリニック」を開業
され、「緩和ケア=終末期」の誤解を正す、緩和ケアって何が
出来るの?等の情報を日々発信しておられます。そして、
がんに限らず、様々な疾患の「つらさ」「困った」に寄り添う
医療を行っています。ちなみに本当に優しく勉強家の先生です。
病気のことで何か悩みがある方は是非一度ご覧下さい。

kanwa.tokyo

ただ、今回身内ががんになり病院に付き添う中で感じたことは、
がんの患者さん、家族は相当神経質になっているということ
です。例えば、「治療に平行して緩和ケアが受けられますよ」
という案内があったとすると、「あれ、先生は私の病気を
早期と言っていたけれど実は違うのかな…」等と言葉のひとつ
ひとつで不安を強くしたり傷ついたりしているのではないか、
ということです。

すると、今たくさんの医療者が修正しているとは言え、一度
終末期のイメージがついてしまった「緩和ケア」という言葉
を、いくら「違いますよ」と言われてもすんなり受け止める
ことが出来ない、頭では理解出来るけれど…と、そういう方
も多いのではないでしょうか。私はセンスがないので良い
名称は思い付きませんが、「お困りなんでも相談室」のような、
全く異なる名称で始めてみることも、案外近道であるかも
しれません。

『在宅がん医療総合診療料』の課題(2)

昨日の続きです。昨日の記事はこちら。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

『在宅がん医療総合診療料』は在宅で療養されている末期がんの
患者さんに行われる在宅医療のひとつのかたちで、「医師と
看護師合わせて週4回以上」の訪問を条件にやや高額の医療費が
クリニックに支払われる制度です。詳しくは記事をご覧下さい。

この在宅がん医療総合診療料の何が問題になるか、ということ
ですが、大きく分けて2つあります。

1.頻回の訪問が必要ない段階の患者さんに、用件を満たす
目的で必要以上の訪問が行われる。

末期がんというと、一般的には余命半年以下と見込まれて
いる患者さんを指しますが、末期がんでも身体症状が殆ど
なく体調も落ち着いている方はめずらしくありません。この
時期、頻回の看護師や医師の訪問が実際には不要にもかかわらず、
不適切に在宅がん医療総合診療料を算定しているクリニック
が残念ながらあるようです。もし、初診時体調が落ち着いて
いるにも関わらず『在宅がん医療総合診療料』の説明をする
クリニックは要注意
です。

2.必要な時期に希望する訪問が受けられない可能性

逆に、余命が2~3週間程度の時期には体調が変化しやすく
頻回の訪問が必要になり、治療や緊急の往診も増えるのが普通です。
この時期に在宅がん医療総合診療料をとるなら理解出来ます。
しかし、逆にこの時期に臨時の往診や看護師の訪問が多く
なると、場合によってクリニックは在宅がん医療総合診療料
ではかえって損をしてしまう可能性が出て来ます。
すると場合によっては看護師の訪問回数を制限する場合
もあるのです。

ここの部分、意味がおわかりでしょうか。
在宅がん医療総合診療料では、看護師の訪問が増えても
クリニックの収入は(包括払いなので)変わらず、
クリニックから訪問看護ステーションに支払う金額は訪問の
回数に応じて増えるから
です。看護師さんは訪問回数を
十分に確保したくても出来ない、というケースは実際にあります。

とは言え、『在宅がん医療総合診療料』の制度自体が悪い
わけではありません。『在宅がん医療総合診療料』のような
「包括払い」では、現在非常に制限・厳しいルールの多い
保険診療の煩わしさから解放され、患者さんに必要な医療
を自由に提供しやすい
場合もあります。

要は、患者さんや家族が納得されてこの仕組みが利用されるなら、
患者さんのために利用されるなら良いのです。ただ、仕組みが
分かりにくいのを良いことに、そしてまた動く金額が多いために
不適切に利用されやすい制度、ということです。制度そのものが
悪ではなく、結局は提供する側のモラルの問題と言えると思います。