Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「緩和ケア」が敬遠される理由

当該記事のコメントを見ると「緩和ケアを選ばなくてよかった
って言える人生を過ごしてほしい」「緩和ケアは本当に必要
最低限な処置しかしません。治療や心電図をつけたりは一切
しません。家族にとっても本当につらい病棟です」
等とあり、悲しい(個人の批判ではありません)。
これが現実。頑張ります。

堀ちえみさんが手術を受けた記事に付いたコメントを見た、
大津秀一先生のtweetです。未だに日本では、治療or緩和と
二者択一であるかのような誤解が絶えません。

原因のひとつは、恐らく緩和ケアを日本に紹介した先人達が
まず強烈なインパクトを受けたのが「ホスピス」という病棟
であり、鎮静を含めた「ターミナルケア」であったのでは
ないかと思います。そのような発想がない国から来た人には
それは当然のことだったのではないでしょうか。ただ、
仕方ないことではありますが、「亡くなる方の苦痛の緩和」
という説明でこの国に入って来てしまった。

緩和ケアのもとになったpalliativeの語源は、「外套を着せる」
という意味であったと聞いています。困った人を助ける意味
で、ここには終末期という意味は含まれません。
日本でもその後、緩和は終末期に限ったことではないとして、
「緩和ケア」という言葉を使うに至りました。
ホスピスも、「緩和ケア病棟」と呼ばれることが多くなり
ました(尤もホスピスは宗教的なニュアンスが含まれるから、
という事情もあるかと思いますが)。

しかし、この転換もうまくいかなかったのではないかと私は
感じています。つまり「ホスピス」を「緩和ケア病棟」と言い
替え、入院の基準から「余命六か月以内」という文言が消え
ても、実質緩和ケア病棟にはがんの治療が終わり余命の
限られた方しか入院出来ないのが現実です。「緩和ケア」も
残念ながら「ターミナルケア」の言い方を替えただけという
印象が既に根付いてしまっています。

「早期からの」緩和ケア、という言葉も誕生しました。そう
としか言いようがないのでこれも仕方ないのですが、早期
って…?という疑問や、早期「から」という言葉が、病の
当事者には終末期「まで」を繋げて連想してしまうのでは
ないかと…考え過ぎかもしれませんが思ってしまいます。
もちろん、本当のニュアンスでは、『早期「でも」緩和ケア』
なのですが…。

こういった歴史があるので、緩和ケアはどうしてもその先に
「死」があるかの誤解が拭えません。また、残念ながら緩和
に携わることのない医療者も、無意識だとは思いますが、
緩和ケアの言葉を終末期とごちゃごちゃにして使っています。
実はこの、医療者の認識が一番緩和ケアの理解を妨げている
のかもしれません。

緩和ケアとは単に「より良く生きる」ための医療者の手伝い
に過ぎません。病状が深刻になるほど、助けが多くなるのは
事実ですが、本来の緩和ケアは病気のステージに関係なく、
必要としている人に提供されるもので、「治療」と「緩和」
の関係は、orで結ばれるものではなく、andで結ばれるもの
であることを知って頂ければと思います。