Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

『在宅がん医療総合診療料』の課題(1)

6月22日の日本経済新聞で、山崎章郎先生が『在宅がん医療総合
診療料の課題』を取り上げられました。私も色々と問題が起こり
得る制度だと思っていましたが、どういう訳かこれまであまり
問題視されることがなかったように思います。

www.nikkei.com

残念ながら山崎先生の記事は登録が必要なうえに、あまり詳しく
書かれたものではありませんでした。ただ、これは訪問診療を
受ける患者さんは是非知っていた方が良い内容だと思いました
悪用されやすい制度です!)ので少し説明させて頂きます。

『在宅がん医療総合診療料』は、在宅で療養している通院困難な
末期がんの患者さんに対して算定されます。診察や検査、治療と
いった医療行為をいくら行っても患者さん負担が変わらない、
「包括払い」制
で、「医師と看護師が1週間のうち合わせて4回
以上訪問した」時に、1日辺り15000~20000円が医療機関
支払われます。患者さんの実際の負担はその1~3割ということ
になります。
これを行うのは殆どが支援診療所で、不安定な患者
さんに1週間何も処方がないということはないでしょうから、
1日18000円として計算すると患者さんひとりにつき1週間で
126000円、4週間で50万円以上がクリニックの売り上げになります

患者さんは自己負担上限額がありますので、1~2割負担では月19800円
が支払いの上限になります(但し3割負担ではかなり高額になり
得ます)。

ただ、敢えて「売上げ」と書きました。ここで様々な医療行為を
行えば、それらは全て包括されます。医師の訪問の料金はもち
ろん、訪問看護の料金も包括されます。上記の売り上げは全て
クリニックに支払われますが、クリニックは訪問看護の回数や
時間に応じて訪問看護ステーションに診療報酬を支払うこと
になっています。おかしな言い方になりますが、「包括払い」
ではクリニックの売り上げは決まっているので、医師・看護師
が訪問をすればする程、検査や治療をすればする程(出来高払い
と比べて)クリニックは損をするということになります

ややこしいですね!その「ややこしい」ところがミソなのです。
長くなりますので「何か問題なのか」という肝心な部分は次回
とさせて頂きます。

鎮静で苦痛はとれているのか

終末期に鎮静を行っていても患者さんは苦しそうだという話
を聞くことがあります。痛い、つらいのに声が出せない、と
いった御自身の経験などから「苦しいのに声をあげられない
のでは…」と心配する声も聞きます。

基本的には、鎮静を開始するよりは楽になっていると思います。
それは、開始した鎮静を中止した経験からの推測です。
単純には言えないかもしれませんが、だいたい鎮静を中止した
時には苦痛が強くなりますし、少なくとも家族からも本人からも
もう鎮静をしないでくれという声は聞いた記憶がありません。

基本的に苦痛が対え難く、他に軽減する方法がなかったから
こそ鎮静が開始になったのであり、鎮静を止めたからと
いってより良い状況には出来ないと思います。

また、一言で鎮静と言っても、いわゆる会話も出来ない深い
持続的な鎮静を最初から行わず、「ウトウトはするけれども
苦痛はない」という調節型鎮静(浅い鎮静)
が試みられる
ことがあります。私もよく使う方法です。誤解されやすい
ですが鎮静の目的は「亡くなるまで深く眠らせる」ことでは
なく「苦痛をとること」です。
この調節型の鎮静を選ぶのは
うまくいけば、自然な看取りに近い理想的なカタチではないか
と私は考えているからです。

しかし、この調節型鎮静、ウトウトするだけでもだいぶ楽そうに
見えることも多いのですが確かにどっちつかずの中途半端に
なってしまう可能性もあります。思い切り良くバルビタール
等を使ってRASS-5を目指すのであれば、ずっと確実に苦痛は
取り除けるでしょう。

患者さんが辛そうであれば殆どは鎮静が不十分なことによる
と思いますので、鎮静後も辛そうであれば御家族は、まず
医療者にその旨を伝えて欲しいと思います。そして薬剤の
調整や変更を相談することをお勧めします。

そして大切なことですが鎮静について、何を目指すのか。
24時間完全に苦痛をとることを目的として深い鎮静を選ぶのか、
会話が出来る可能性を期待し浅い鎮静から徐々に薬を
増やして(調節型鎮静)いくのか。

恐らく何も言わなければ状況にもよりますが多くの医療者
はまず後者を選択するのではないかと思います。御家族に
迷いがあれば尚更です。

上記理由で鎮静が始まれば即、無条件で24時間苦痛が全くゼロ
とは言えない
のです。患者さんやご家族も知っておくことで
望む治療が受けやすくなるのではないかと思います。

鎮静が必要なのは医師の技術が劣っているからか

興味深いタイトルの記事があるな、と思っていたら、大津 秀一先生
のブログでした。

news.yahoo.co.jp

色々な緩和ケア医がいますが、大津先生は最も勉強家で、何より
とてもバランスのとれた先生の一人だと思います。おこがましい
ですがとても私に近いお考えで、今回の記事も本当にその通り
だと思いながら読ませて頂きました。

前半は鎮静に関する一般的な知識、後半は私も大いに感じている
誤解、思い込みに関する内容でした。少し抜粋させて頂きます。

「提供されている緩和ケアが不十分なので、持続的な深い鎮静が
必要となる。ちゃんとした緩和ケアをすれば、持続的な深い鎮静
など必要ない」

拝見していると、在宅医療をされている医師の一部からこのような
意見が時に出ている印象があります。そして、自施設では持続的な
鎮静がいらない、していない、という言葉もセットです。

本当に、緩和ケアが不十分だから、鎮静が必要となるのでしょうか。

本当に、その通り!です。
確かに、安易に鎮静を選択するホスピス・緩和ケアが問題視されて
いた時代がありました
。鎮静は完全な苦痛の除去と引き換えに、
クオリティ・オブ・ライフを限りなくゼロにしてしまう方法です。
出来るだけ回避しようと懸命に工夫する施設、医師のもと
では、当然鎮静率は「いくらか」低くなるものと思われます。
なので「鎮静率が低い緩和ケア医は優れた緩和ケア医である」と
いうような「空気」がひと昔前にはあった
ように思います。
その時代に緩和ケアに携わった医師達は、今でも「鎮静率の低さ」
が自らのアイデンティティ
になっているようです。

しかし、何事でも程度があります。鎮静率が「低ければ低いほど
良い」には、私も「ちょっと待って」と言いたいです。
ここは、上で紹介した大津先生のブログにも詳細な文献紹介と
具体的な数字で紹介されています。例えば、

緩和ケアの先進国と目される英国でも19%程度の施行率がある
のが持続鎮静です。

緩和ケアの歴史を見ても、各国の報告を見ても、一定の割合の
患者さんには鎮静が必要であった、ということが明らか
になっているのです。

鎮静は主治医の価値観によるところが大きく、密室の在宅ではその
傾向がより顕著になります。主治医が、「患者は苦しんでいない、
鎮静は不要」と判断すれば、鎮静率が下がる
ことになります。
御家族も多くの死を看取っている訳ではないので、
そう言われればそういうものか、と思うでしょう。

私も、残念ながら鎮静を選ぶ時は無念さ、無力感を痛感します。
しないで済むなら、こんなに楽で嬉しいことはありません。
しかし、そんな自分の想いのために、鎮静が必要な患者さんが
必要な時に治療を受けられないとすれば、
それは許されるべきではないと思います。

鎮静率は高過ぎる場合も低過ぎる場合も、疑問を持った方が
良い、というのが私の個人的な考えです。