Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

幸せの最大公約数

この「幸せの最大公倍数」という言葉、本日お話する
内容からは大袈裟かもしれませんが、Twitterで褒め
られたので、気を良くして記事のタイトルにして
みました(笑)。私は訪問診療を始める前からひとつ、
常に意識していることがあります。それは、

誰かのために、誰かが犠牲になることは、
なるべく少なくしたい

ということです。

私達医療者、そして介護に携わる皆さんは、サービスを
提供する相手が病気で苦しむ患者さんであり、介護を
要する人々です。すると、私達が「犠牲」となり、
「奉仕」することが美徳という意識が多くの方の中に
あるのではないかと思います。私はこれは間違って
いるとは思いません。

ただ、一方で医療者・介護者も人間であり、弱く
助けを必要としているという事実は軽視されている
ように思う
のです。

反対される方もいらっしゃるかもしれませんが、この、
「尽くすべき」「やって当然」という精神は長い目で
見ると意外とマイナスが大きいように思っています。
ですので、少なくとも私は介護をしている家族はもちろん、
一緒に仕事をしている医師・看護師・ケアマネや介護士
にも出来るだけ負担がかかり過ぎないように、お互いが
思いやり、誰か一人が無理をしないで済む体制を考える
ことを意識しています。これは結構重要ではないかと
思っています。

心を持った人と人がケアをし、ケアをされているわけです
から、患者さん、利用者さん「だけ」が幸せ、という状況を、
私はどうしても信じることが出来ません。
家族が、医師が、看護師が、介護職員が、不満を抱え
苛立ちを隠して接するよりも、やり甲斐や満足を
感じ、余裕や心からの笑顔が増えた方がやはり、
ケアを受ける側も幸福に違いないのではないでしょうか。

この考えの良いところは、完璧を目指さなくても
ほんの少しの配慮や思いやりでも効果があるということ
です。皆さんがお互いに少しでも働きやすく、
そしてそれが最終的に良いかたちで
利用者さんにもプラスとなって届くことを信じて。

『今日から第二の患者さん』

最近登録したnoteを見ていて青鹿さんの記事が目にとまり
ました。

note.mu

これ、なんですが。私は医師になってこの方、ずっと疑問視、
問題視していたテーマだったので、漫画もすぐに購入させて
頂きました。

「第二の患者さん」は、病気の患者さんの御家族の
ことです。漫画にも登場しますが、部外者の

「患者さんが一番つらい」

という言葉。間違いとは思いませんが、これがどれだけ
家族にプレッシャーを与え、孤立させている
のか。
皆さんは考えたことがありますでしょうか。

ホスピス時代、パートナーの介護・看取りをした女性が、
自らも病気になりホスピスで療養をしている時に、
「私は『患者の家族』だった時の方がつらかった」
とおっしゃいました。「つらいことに一番・二番と
順番を付けることは出来ない」と思います。比べること
自体ナンセンスです。ただ、この女性の言葉は家族の
苦しみを現すリアルな言葉
として、今でも私の記憶に
残っています。また、近い内容を複数の患者さんからも
お聞きしました。

患者さんの家族にも、患者さん自身とは違う苦しみが
たくさんあります。青鹿さんの漫画は、そこを上手に
表現されていると感じました。つらいけれど、本人には
言えない。周囲も分かってくれない。不安と、自己嫌悪。
また怒鳴ってしまった、傷つけてしまった…。

それから、もうひとつ。特に強調したいエピソードは、
周囲からの「アドバイス」です。怪しいサプリメント
だけでなく、こうしなよ、それはダメだよ、という
無責任な一言。つい、発してしまうことも良く分かり
ますが、相手が具体的なアドバイスを希望しているか
を少し考えてみる必要がないでしょうか。
多くはむしろ、「聞いて欲しい」「肯定して欲しい」
のだと思うのです。アドバイスは、時として、
「聞く」とは逆の行為、「もう聞きません」に近い

のではないかと最近は考えています。

患者さんの家族の方は孤立しやすいので、「みんなも
大変な想いをしているんだなぁ」と、きっと共有出来る
部分があると思います。また、そうではない方も、
「二人に一人ががん」の時代、自分や家族、そして
友人を含め患者さん・第二の患者さんに接する機会は
間違いなくあるでしょう。このような本は本当に少ない
ので、是非多くの方にご一読頂きたいです。

医師の信念と患者の気持ち

とても興味深い対談が連載中です。

www.kango-roo.com

少し前に御紹介した幡野広志さん(2017年に多発性骨髄腫を
発症。余命宣告を受けているフリーカメラマン)と、市立
井田病院の西先生の対談です。いきなり最初から幡野さんの
するどい直球で始まります。

早速ですけど、なんで医師は安楽死に反対するんですかね?

西先生の逃げない姿勢も素晴らしいと思います。
医師はこう考えると思う、という一般論と、
御自分の考えを並べ、誠実に返答されています。

これまでいろんな医師と話してきましたけど、
医師って患者の気持ちよりも自分の信念で動いてる
ように思うんです。

幡野さんの感じている疑問はまさにその通りで核心を突いて
いると思います。安楽死尊厳死・鎮静を同時に語ると誤解
を生むと思いますが、いずれにしても患者さんの意思が
蔑ろにされ、主に医師と家族で治療方針が決定されてしまう
風潮は確かにあります。悲しみを回避したい家族の気持ちと、
医師としての信念・プロフェッショナリズムが共通の方向を
向くことが多いのでしょう

安楽死は日本では認められていませんが、緩和ケアの一環と
して認められている終末期鎮静ですら、医療の放棄・敗北で
あると考え、実施すべきではないと考える医師が、在宅医や
緩和ケア医の中にすら、います。

しかし一方で、医師に信念がなく、「患者の言われたままに
有害な治療でもやってしまう医者」の存在も良いとは言え
るでしょうか。信念を持つことと患者の気持ち・希望に沿う
という、両者のバランスのとれた医療者こそ望まれていると
思います

そして胃瘻や鎮静といったものはエビデンスにより善悪を
判断するようなものではなく生き方、あるいは死に方の
問題ですので、御自分ではどうしても出来ないという場合
も、治療の選択肢提示や施行出来る医師・病院の紹介
くらいはして欲しい
な、と私は思います。

そしてもうひとつ印象深かったのは、医師が聞いてくれず
家族にも言えなかった自身の悩みを、否定せずに聞いて
くれたのは看護師さんだけだった、という幡野さんの言葉です。
家族も友人も、「そんなこと言うな、頑張れ」としか
言わなかった、と。これは傾聴ではなく、聞き手側が聞く
ことを拒否した言葉
なのです。

これに対して西先生はこう答えています。

医師のスタンスとは全然違う。
患者さんの話を、とにかくよく聞いてます。
生活という視点、生きるという視点から。

医師って、患者とのあいだに線を引いて客観視する職業です。
看護師は、そこを飛び越えて相手の方に入っていく。

これもとても大切な内容です。医師ばかりでは本当の
緩和医療は完結しません。むしろ癒し手の主人公は
看護師だと私は思います。