Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

看取り士

数年前に「看取り士」柴田久美子さんを知った時は衝撃でした。
看取りを職業にする、という発想自体がまず斬新ですが、24時間
寄り添い、抱きしめて送る…。すごいの一言で、まさに理想の
看取りを実践されているのではないかと思いました。

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

柴田さんは、医療のあるところでは理想的な最期を迎えにくい
と考え、離島で看取りの家を設立、旅立ちに寄り添います。
その後は鳥取県米子に移り、その後は在宅で亡くなるの援助
を行っています。

最もインパクトがあったのは、「旅立つ人と呼吸を共有する」
という行為です。抱きしめて触れあいながら呼吸を合わせ、
何十分もかけて合わせているうちに、お互いの呼吸が「一体と
なった感覚がある」(相手側にも感じられる)そうです。
柴田さんはこの方法で、患者さんの息苦しさを軽減させています。
また、痛みに対しては「ひたすらさする」ことで対応します。
昨日も書きましたが、患者さんの苦しみの何割かはこういった
行為で軽減し得るのではないかと思っています

柴田さんは、いざという時は医師に連絡します、と書いておられ
るので、決して医療を否定はしていません。ただ、「痛み止め
はかえって痛みを強くするように思います」と表現されており、
医療の役割が限定的であると認識されているように思います。
「痛み止めはかえって痛みを強くする」は医学的には誤った表現
かもしれませんが、なんとなく分かるような気もします。心を
支えようとせず薬だけで済まそうとする事は、終末期の苦しみを
取り切れないのではないかと私も思っている
からです。

病院では、医療者はその気があっても長い時間一人の患者さんに
付き添う事は出来ません。御家族も面会時間の制限があり、また
患者さんは治療のために苦しみに堪える必要があります。一方、
御家族はいつ亡くなっても不思議ではない患者さんの延命治療
の中止を希望しても言い出せず、自宅で看取る自信が持てない
のではないかと思います。

看取り士の活動は始まったばかりで、全国でサービスを受けられる
訳ではありませんが、「水も飲めなくなってしまった」患者さん
の命を、病院で拘束してまで点滴で伸ばすよりも、自宅で看取りの
エキスパートに支えて頂き、数日であっても優しさに満ちた自宅
という空間で過ごすという選択も決して悪くない
、と私は言いたい
です。

看取り士会のサイトです
mitorishi.jp