Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「カウンセリング」から学ぶこと

私は今、カウンセリングの資格を勉強していますが、
医療とカウンセリング、どちらも「問題の解決」を
目的としながら、考え方が大きく異なることは興味
深いと思います。

医療は、具体的な問題の解決策を医師が考えて提案
します。より専門的な知識が必要で、選択の間違い
が患者さん本人に、時に大きな不利益が起こる
ばかりか、感染症などでは他の人々にも危害が及ぶ
場合すらあります。保険診療という特徴や、多くの
患者さんを短期間で診なければならない医師は、
カウンセラーのように対応出来ないのは当然です。

一方でカウンセリングは、カウンセラーが問題の
解決法を提示することは基本的にしません。
クライエントが自分で考え、「気付く」経験を
することで、自分で問題を解決する方法を身に
付ける
ことがカウンセリングの大きな役割だから
です(もちろん例外はあります)。
ここで大切なことは具体的なアドバイスではなく、
悩みや問題を「一緒に背負う」ことで負担を軽く
する
ことなのです。

老いや重篤な病気の患者さんに対して、医療が出来る
ことは徐々に少なくなっていきます。しかし、それでも
私達は「何かをする」ことが私達の役割であると信じ、
患者さんの回復が望める時と同じ対応をしようとして
はいないでしょうか
。だから、自分の力で回復させる
ことが出来ない、死を間近にした患者さんのベッド
サイドにいることが苦痛に感じたり、避けてしまう
ようになるのではないでしょうか。
答えのない問いに答えを出そうと、医師はどこかで
「頑張って」いないでしょうか

また、特に医師は「…した方が良い」、「…すべき」と
いう考え方に慣れ過ぎています。しかし患者さんにも
それぞれ人生観、死生観があります。自分の考え方が
一番良いと思いがちですが、カウンセリングは個人の
価値観を「脇に置く」ことでクライエントの話を真剣
に聴くことが出来ると言います
。逆に具体的な何かを言おうと
した時に、人は相手の話を聞かなくなる
ようにも思います。

患者さんの話を傾聴する。
それはカウンセラーの仕事、と言われればその通りかも
しれません。医療で手一杯の医師に、これ以上心理的
負荷をかけるつもりではありません。ただ、意識として、
「では、〇〇を処方します」という治療をしなければ
主治医の資格がないのでしょうか。目を見て、握手をして
「また来ます」ような対応だけでも、一緒に悩み、一緒に
背負う姿勢を示すだけでも良い時があるように思います。

言えない医者、聞けない患者

Aさんは、あるかなり進行したがんの患者さんです。
一時期抗癌剤が効いて安定した時間を過ごせていましたが
治療に効果がなくなり、そんな中がんが原因と考えられる
腸閉塞で入院となりました。運よくイレウス管が抜けて
退院出来ましたが、腹水は溜まり食事は流動食に近いもの。
トイレも行けず自宅ではポータブルトイレを使用することに
なりました

全身状態は不良でPerformance Statusは3。しかし病院は
新たな抗癌剤を提案しました。理由は、「本人が希望する
から」
。しかし全身状態を鑑み、抗がん剤は通常の半分の
量となったようです。「私、体調良いのよ。治療でがんを
治すの!」とAさんは笑顔で答えます
。しかし、抗癌剤
点滴は毎週で、在宅チームは通院は非現実的ということで
意見は一致。ステロイドが大量に処方されています。
だからきっと、今は調子が良いのでしょう。

私達は抗癌剤の限界を知っています。恐らくAさんがもっと
元気で、通常量の治療が出来たとしても
、3~4か月
生存期間が延長する程度でしょう。そのために、辛い通院
と、恐らく脱毛や味覚障害、末梢神経障害、血球減少等の
副作用が伴うことでしょう。Aさんの「希望を奪わないよう、
治療を続けること」
は良いことなのでしょうか。かわいそう
なのは、シビアな現実を伝えることでしょうか?告げずに
抗癌剤を続けることでしょうか。

Aさんは以前はもっと病状を受け止め、ホスピスも含め
御自分の生き方を考えることが出来ていました。無理な
抗癌剤治療にはこだわらないとお話されていました。
しかし、まるで催眠術にでもかかったように、今は治療
を続けることに固執され、その他のことに有意義な時間
を使う、等ということは考えられないようでした。
病状が理解力を奪ってしまったのかもしれませんし、
以前よりもずっと死が身近に迫り向き合うことが困難に
なっているのかもしれません。ここで止めたら、ここまで
頑張って来た自分の努力を否定するような気持ち
もある
のかもしれません。

抗癌剤を続けることはAさんの希望だから、続けること
が良いという意見もあると思います。しかし、Aさんは
恐らく病状や予測される予後を正確には告げられておらず、
抗癌剤の効果の限界もお聞きになっていないと思います。
間違った前提のうえに立った意思は、本当にAさんの意思
なのでしょうか
。半分に減らした抗癌剤では、恐らくは
通常量の抗癌剤よりも効果は薄くいと思います。
病院の医師はAさんの気持ちを「察し」、細かい病状説明
や期待出来る効果を告げず、Aさんは複雑な心理状態で、
恐らく主治医にこれらの質問をしないで抗癌剤を続けること
でしょう。

この、病院の医師とAさんのような関係は、恐らく我が国
の至るところで日常的にある光景だと思います

若い頃はこのような患者さんの心理状態をあまり理解出来ず、
真実を告げることが正義だと思い込んでいました
しかし、Aさんは知りたがっているのでしょうか。
今、私はAさんにシビアな現状を伝えることだけが
ベストであると言い切ることが出来ません。
Aさんにとって何が正解で、Aさんが実際には何を望んで
いるのか。告げる私の自己満足にはなっていないか
Aさんに「受容」させるのはAさんのためなのか
絶対的な価値観などあるのだろうか。
しかし、私はまた知っています。抗癌剤が終わった時、
Aさんの希望もまた終わるだろうということを。
その時Aさんに、何かを考える力はあるのでしょうか

私に出来ることは、対話を続けることだけです。Aさんの
気持ちを探りながら、アンテナを延ばし、Aさんの気持ち
が私との話に、将来の話し合いに向いたその時に、
Aさんの望む話が出来るように。

施設系訪問診療の難しさ

昨日、「施設系訪問診療のピットフォール」という勉強会
に参加させて頂きました。その中でとても共感したことは、
施設の「担当者」、これは主に看護師さんですが時に
施設長さん等も含みますが、要するに「本人」と「家族」
以外の担当者が介在する難しさ
です。これは病院や、個人
の在宅診療ではあまりない問題です。

具体的には、報告をして下さる職員により、同じ事象に
対する報告が異なる
のです。これはある意味当然で、
人間は誰しも人生経験や価値観などを基準に物事を判断
し、そこに自らの感情や感想を加えて他者に伝達して
います。しかし、担当医としてはどの報告を基準に、
治療を考えたら良いか悩むことがあります

医師は2週間に一度程度、一人の患者さんに割ける時間も
多くはないですし、多くは白衣を着た医師の前で見せる
患者さんの顔は普段とは異なるので、それだけでの判断
や評価は逆に問題を見誤る可能性すらあります

例としては、BPSD。入居者の方の介護抵抗や暴言などが
あります。当然のことながら人間には相性や好き嫌いが
ありますので、患者さんも特定の職員に対して強く当たる
こともあるでしょう。これに対してある薬を使うことに
なったとして、その薬の評価を尋ねても当然職員により
評価や報告内容が違って来るのです。

これは仕方のないことで、勉強会でお話された先生も
対話を繰り返していくしかないとおっしゃっていました。
もちろん、いつも特定の職員から話を聞くことで
同じ「物差し」で判断出来るわけですが、それはそれで
評価が偏ってしまう可能性があります。

理想は、施設で話し合いの場があり、皆の意見を総括
し、医師に伝えてもらえれば助かるのですが、忙しい
介護施設ではそれはかなり難しいでしょう。

なかなか解決策を示せる問題ではないですが、最低限
必要なことは、報告をする職員も担当医も、「自分の
目で見る患者さんが全てではない」
という認識を持つ
ことです。可能な限り、周りの他の人と考えや気持ち
を共有することで、主観と客観を分けて患者さんを
みることが出来るのではないかと思います。
これは患者さんに対してプラスなだけでなく、
それぞれに新たな気付きや抱えるストレスの軽減に
なり得るのではないでしょうか。

最後に、関連する内容としてもしお時間があれば
こちらもお読み頂ければと思います。

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