Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

自分で決めない文化

日本において本人よりも家族の意思が優先される場面が多々あるのは
確かに課題ではある。しかしそれを本人自身が望んでいる場合という
のもまたあり、それが日本人としての特性だろう。

ACPを進めて本人の意思を最優先させる仕組みを整えていくことは重要
だが、欧米の進め方を単純に外挿して同じアプローチをとれば、日本の
家族のみならず本人をも苦しめる可能性があることは考慮すべきだ。

今朝の、西智弘先生のツイートです。いつもながら鋭いご指摘、
本当にその通りだと思います。

高齢者や病気を患い、気力体力が落ちている人は物事を調べ、
冷静に考え、決断することがとても難しいということは、
これまでも臨床の場で良く感じていたことです。ですから
元気なうちに医療の可能性と限界を知り、自分の考えを他人に
伝えておくことが重要
、と私は繰り返し述べて来ました。
しかし、どうもそれだけではない。日本人は自分で決めること自体が
とても苦手なのです。

それは教育も社会も、そして家庭もそうだから、かもしれません。
小さい頃は親や先生に、成人し結婚すれば夫や妻や友人、職場に。
あるいは、メディアに。病院では、医師に。
そこで気付きました。日本人は自分で決めるのは苦手ですが、
他人に決めてもらうことは苦ではなく、他人のことを決めるのは
それ程苦手ではない、ということかもしれません。例外はもちろん
ありますが、多くの日本人はお互いに、相手の大切なことを決め
合って社会を構成して来たのです。
これは、家族が良いと思うなら自分にとっても
それが良い…ということかもしれません。

もちろん、〇〇したい、△△が良いという好みや要求はあります。
しかし、責任が伴う決断は、それが大きくなれば大きくなるほど
苦手である。あるいは、どうしたら良いか分からない。
そこで結論を医療者や家族に任せてしまう。私達が聞き慣れた、
「先生にお任せします」
「妻が言うので治療を受けます」
に繋がります。他人は「しない」という判断はでなかなか出来
ません
から、「治療」がだらだら続くことになってしまいます。
果ては「胃瘻社会」を生み、怪しい代替療法を育て、ホスピス
ACP、鎮静といった考えは浸透しにくい
、そんな風に思います。

医療的な内容を聞くのであれば専門家の医師に尋ね決めてもらうのが
良いと思います。具体的には、手術の方法、抗がん剤や痛み
止めの選択など。しかし、「生き方」まで任せてしまうのは
どうでしょうか。

もちろん他人に任せる自由・権利もありますが、根本的に、あなたと
家族が望むものは別
だということは知っておくべきです。
選択を任せた人生で良いならそれもひとつかも
しれませんが、私にはそれで満足されている
ようには見えないのです。

「ヘルプマン!!」とキラキラ系介護

今回は、前回の続きの予定のつもりでしたが、うまく
まとまらないので、他の内容にさせて頂くことにしました。

ヘルプマン!!

ヘルプマン!!

皆さんは『ヘルプマン!!』という漫画を御存知ですか?
介護士が主人公の漫画で、随分前から有名ですよね。調べて
みると2003年にスタートしているとのことです。実は私は
今回初めて読みました。読んでみて知ったのですが、てっきり
旧版のリメイクだと思っていた本作は、前作からの続きだった
のですね。旧作は『ヘルプマン!』で感嘆符『!』の数が違う
ようです。第一巻は「胃瘻」がテーマでした。

私の本作品に対する感想は、非常に丁寧に取材をされている
なぁ、でした。確かに主人公の百太郎(ももたろう)は熱血
過ぎて、実際の介護経験者からすると「これはねーよ」と
思われてしまう内容だと思います。「ジジババを笑顔にする!」
と突っ走る百太郎。胃瘻の患者さんにトンカツを食べさせようと
するシーンはその象徴でしょうか。

ちょうど今日、「キラキラ系介護」についてのブログを読み、
私は百太郎を思い浮かべてしまいました。

www.kaigosos.com

百太郎は「ナルシスト」ではないようですし、この記事が
そのまま百太郎に当てはまるわけではないかもしれませんが、
介護経験者からすれば現実離れした百太郎の「キラキラ感」が
鼻についてしまうかもしれません。実際はそんなに上手くは
いきませんし、一人の高齢者に一日付きっきりも不可能です。
漫画だから良いですが、カツやころもで窒息してしまったら
百太郎は責任を取れません。

しかし、視点を変えてみましょう。『ヘルプマン!!』は現実の
介護の問題点、矛盾点を上手に描いています。百太郎がいない
ヘルプマン!!』は現実そのものです。胃瘻がなければ施設に
入れない、という記述もリアルですし、認知症の父親の介護で
疲れ果ててしまった娘の言葉が印象的です。セリフを少し引用
させて頂きます。ちなみに娘さんは、自らも癌の治療中という
設定です。

でも…口から食べて…少々元気になったところで……
認知症が治るわけじゃないでしょう……?
むしろ、ハンパに元気になられたら、また問題が増えるだけ
じゃないですか。

わかってるわよ!
どんな無慈悲なことを言っているか……
でも怖いのよお……
いったいいつまで背負えばいいのか……

正論を突き進む百太郎は周囲の人々を傷付けています。まさに
キラキラ系かもしれません。しかし、この本のテーマは「みんなで
百太郎になろう」ではないと思うのです。介護を知らない方に
介護を知ってもらう、興味を持ってもらう。一石を投じる。
問題提起なのではないでしょうか。実際、百太郎が出て来なければ、
話はちょっと悲惨過ぎて救いがありません。百太郎の存在で、
漫画のバランスがとれている、とも考えられると思います。
少しでも介護が明るくなって欲しいという筆者の当然の希望・願望
が百太郎なのだと思えば自然です。

なんだかんだで私は他の巻も読んでみたいと思いました。
そのうちまた、ブログで紹介させて頂くかもしれません。

【追記】食事が誤嚥性肺炎の原因ではない、は言い過ぎです。
むせ込んだエピソードの数時間後に高熱が出るような典型的
誤嚥性肺炎は確かに少なくなりましたが。

『母親に、死んで欲しい』

将来介護をする、受ける人になる可能性は、とても高いと
思います。特に家族に介護する/される人にとって、是非
一度は読み、考えて頂きたい本だと思います。

「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白

「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白

副題に「介護殺人・当事者たちの告白」とあります。
時にニュースとなり、私達の目に入る、「介護殺人」。
新聞やインターネットのニュースには決して出て来ない、
殺人に至るまでの介護者の苦悩が赤裸々に描かれています。
「あとがき」にもあるように、どのような理由があっても
殺人など許される訳がありません。当事者だけの訴えを
聞き、介護殺人を美化するような嫌悪感を感じる人もいる
かもしれません。しかし、現実問題として時に殺意や
暴力をふるってしまう多くの方は身勝手で凶悪な犯罪者
ではありません。そんな人が、多くの犠牲を払って介護を
するでしょうか。
私はこの本をAmazon kindleで読みました
が、共感・考えさせられる箇所にマーカーを引いたところ、
あちこちがマーカーだらけになりました。介護の負担は、
差し迫った社会の問題として、そして未来に降りかかるで
あろう自分自身の問題としてみんなが考えなければいけない
問題だと私は強く思っています。

認知症高齢者の介護を考えると、「御本人を第一に」という
言葉をよく聞きます。「パーソン・センタード・ケア」、重要
なのは言うまでもありません。しかし、介護者が常に疲弊し、
苛立ちや抑うつ、仕事や家族も失い、収入も殆どないとしたら、
その傍で認知症高齢者だけが幸せに過ごしていることを
想像出来るでしょうか。家族を、介護者を支えるという視点
なしに、認知症高齢者の安定や幸せは有り得ないのです。

本著でも繰り返し述べられているように、介護は子育てや仕事
と異なり、どんなに努力しても目標達成やゴールはなく、
次第に認知症は進行し相手は衰弱していきます。相手から感謝
されないことも多く、逆に暴言や罵声を浴びせられることすら
あります。周囲でも介護の経験者がいなければ理解を得にくく、
結果として仕事を諦めなければいけない、そういう方が本著でも
多く出て来ました。当然、収入面でも貯金を崩したり、寝る時間
を削って働く。そして子育ての時期と大きく異なることは、介護者
老い、健康を損ねることが多い
こと。病院にも行けない
人が少なくないようです。介護者が徐々に追い詰められていくのは、
むしろ当然のことのようにも思えます。そして家族が介護に入ると、
どうしても愛憎や恥・プライド、責任感のようなものに介護者が
縛られていく傾向があるようです。
このような本を読むことは、
陥りやすい失敗を客観的な知識として持つことが出来るので、
その意味でも有用だと思います。

そして社会が、地域が何を出来るか。栗山町の取り組みについて
書かれた第6章は、そのヒントになると思います。家族など、
無償で介護する介護者を「ケアラー」と呼び、介護をする人を
ちゃんと見ていこう。それが介護を受ける人のケアを更に高める
ことにもつながる、
という考えです。細かい部分は割愛しますが、
SOSが出せない介護者をあぶり出す、アウトリーチの考え方
はとても大切だと思いました。相談先を伝えたり、ケアラーの集う
場所を作ったり、関わりの中で積極的に「介護うつ」のスクリー
ニングを行う、など。国としても、介護離職や結婚を諦めて
しまう介護者に対する支援や、相談所、カウンセリングを受ける
機会を増やす、御本人だけでなく介護者にも金銭を支給するなど
出来ることはたくさんあるようにも思います。

全ては、国民ひとりひとりが自分を含めた全員の問題として、
介護を理解することが大切だと思うのです。