Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

ホスピスは誰のため?

9月4日、久し振りに更新されていた新城拓也先生のブログから。
先生はホスピス勤務を経て現在神戸で訪問診療をされています。
お会いしたことはありませんが、恐らく私とは同世代で、ホスピス
→訪問医という流れも同じですし、共感出来る部分も多い先生です。
また知識やスキルは一流でありながら誠実で良い意味で器用では
ない先生で、そういうところも含めて心から尊敬する緩和ケア医
の一人です。

drpolan.cocolog-nifty.com

記事は講演の内容を3回に分けてアップしたもので、今日の
お話は「前編」に当たる部分です。新城先生が医師になり、
ホスピスに勤務する中で感じられ、考えられたことが書か
れていますが、その中で特に共感したのが

一番驚いたのは、ホスピスには、最期を迎えるにあたり
こういうところで生きていきたい、そして死んでいきたい
と、自分で望んだ患者たちが来ると私は思っていました。
働きだしてわかったのは、そんな人はほとんどいない。
大きな病院から、ベッドが満床になった、入院日数が2-3
週間を超えたという理由などで回されてくる。患者も家族
もホスピスに来ることを求めていないのに、病院から転院
を促されてくるのです。

の部分でした。私もホスピスにやって来た頃は、「ホスピスとは
患者さんが自ら選択して入る病棟である」と思っていました。
「自分で決めた人生」を支援するのがホスピスではないのか、と
当時は結構ショックを受けたことを思い出しました。

新城先生がおっしゃる通り、入院期間に制限のないホスピスは
一般病棟にいられない、家族が様々な理由で家で看られない
方々の、「長期入院が許される場所」として期待されている
全てではないにせよ、そういった部分は多分にあります。

ホスピス開設当時から仕事をしている看護師さんは、オープン
当初は望んで入院する方も多く、好きなことをして生き生きして
いる患者さんも結構いらっしゃったとのこと。

もちろん、私も看護師もボランティアもチャプレンも、望まない
でやって来た患者さんであっても、入院している患者さんの苦痛や
孤独を癒す義務と考え、今出来ることは何か、どうすれば良いと
思うか等日夜相談し最善と考える医療を、看護を提供して来ました。
今のホスピスもそうだと思います。一般病棟とは目的が違うので
比較するのは適切ではないかもしれませんが、穏やかでより良い
時間を過ごせる可能性は高いと思います。そのための工夫も、色々
なところに見つけることが出来るでしょう。

しかし、いくら私が「ホスピスは死ぬ場所ではなく生きる場所
です」
と言ったところで、一般的には死を連想する場所なのは
確かなので、「こんなはずじゃなかった」、「家に帰りたい」
と思いながら最期を待つのであればホスピスも良い場所には
なれないかもしれません。仕方ないこととは言え、残念なこと
です。多くのホスピス医がやがて在宅を意識するのはそういった
部分もあるのではないかと思います。

次回以降も新城先生のブログで触れられている話題について
自分なりの考えも加えて紹介させて頂こうと思っています。

高齢者の誤嚥と訴訟を考える(2)

前回の更新からだいぶ時間が空いてしまいました。
今日は前回に引き続き、高齢者の誤嚥の問題を考えたいと
思います。

さて、まず医療者、介護者にはだいたい常識的にお分かり
だと思いますが、『要介護者』に当たる高齢の方々は、
どんな原因で亡くなっているでしょうか。
実は少なく見積もっても、肺炎で亡くなる方が3人に一人
です。『がん』は1割未満、数%に過ぎません。加えて、
死亡診断書に「がん」「心不全」「腎不全」「老衰」等と
あっても、肺炎が直接的・間接的に関与している割合は
計り知れません
。もちろん、市中肺炎は少なく大部分が
誤嚥によるものでしょう。どんな原因でも、人が弱って
いけば必ず嚥下が困難になって行くのです

誤嚥によって肺炎を起こし亡くなれば、それは「病死」です。
しかし、食物が気道に詰まり、目の前で患者さんが亡くなって
しまえばそれは『窒息』ですが、これは『事故死』になります。
私達かかりつけ医は、死亡診断書を書けません。警察が来ます。
関係者は『取り調べ』を受けます。警察は『事件性』を判断
するだけで、何もなければ罪に問われることはないにせよ、
ただでさえ自分の介助が原因で人が亡くなってしまった上に
警察に質問責めに合う苦痛は計り知れないと思います。

ちなみに『不慮の事故』で亡くなる方のうち、1位は交通事故
でしたが、今は『窒息』が1位で、年間10000人以上の方が
亡くなっています。今後は更に増えるでしょう。しかし、
要介護高齢者の窒息は『事故』として扱うことなのでしょうか
誤嚥性肺炎とは食物の量が違っていただけで、私には病死、もっと
言えば自然死にしか思えないのですが。
警察が介入すれば『なにか
悪いことがあった、介護ミスだ』と知識のない方は思うかもしれ
ません。少なくとも、人間が衰弱する過程、むせが多く食事に時間
がかかる方々の多くが不顕性誤嚥を繰り返しており、いつ顕性の
誤嚥で肺炎を起こしても窒息を起こしても全く不思議ではない
という『常識』を周知するように、国は、マスコミは、考えて
頂きたいと思います。

誰が、目の前の利用者・患者さんを窒息させたいでしょうか
自分の介助によって目の前のお年寄りが亡くなっても
「別にいい」と思うでしょうか。よく「何故具をもっと細かく
刻まなかったのか」「ドロドロにしなかったのか」という方が
いますが、食事をしていた高齢者はそれを望んだでしょうか。
施設の職員が「この方が食べやすい」と思っても、利用者が
「そんな物なら食べない」「あの人は食べている」等と言う
ことは日常茶飯事だと思います。また、「もっと時間を掛けて
食べさせるべきだった」と後から言う人も後を絶ちませんが、
一度食事の現場をみて、一緒に仕事をすれば分かります。
人がいないのです

主に職員の、介護者の立場から話して来ましたが、入居している
患者さんにしても、「誤嚥する」「しない」「安全」「危険」
といった話ばかりで、食事を楽しむ、好きなものを食べたい
という想いはいつも(しばしば、家族により)後回しになります。
危ないからとドロドロの食事になり、挙句の果てに訴訟を恐れ
胃瘻になるのは本当に気の毒です。

施設の種類を問わず、入居者の方が楽しみにしていることの
第一位は圧倒的に食事です。「少しでも安全に」工夫するのは
もちろんですが、御本人の嗜好、もっと言えば歴史や生き方、
性格や尊厳を尊重する考えと、『窒息の犯人探し』『訴訟』は
真逆の考え方だと思います。
私が衰弱し亡くなる頃は、
皆が老衰を受け入れ、窒息したら「大往生だった」と笑顔で
送り出してくれる世の中になっていて欲しいと願っています。

高齢者の誤嚥と訴訟を考える(1)

7月に埼玉県の特養に入所中の86歳の女性が食事中に誤嚥し亡くなり、
「母親が亡くなったのは施設の介護ミスが原因」として40代、50代
の息子さん二人が提訴したという記事が出ていました。

www.bengo4.com

この記事によると非常に短い時間で食事を詰め込んだ事が原因と
しています。また褥瘡を知りながら一か月以上放置されていた
と言い、事実なら確かに施設の介助が悪いのは間違いないと
思います。

しかし、この弁護士の言葉

「(息子さんは)介護の現場がいかに大変かということも理解して
いる。現場を変えたいという思いも持ってこの訴訟に臨んでいる」

という部分に関して、本気でそう考えているなら申し訳ないです
が浅はかとしか思えません
。これまでのこの手の訴訟を見れば
メリットがデメリットを上回ることはまずないでしょう。

諸事情から詳細は語られないのが常で、わずかな人を除いては
全ての顛末を知る事はないでしょう。結局「誤嚥」「訴訟」
「4000万」といった言葉が一人歩きするのことになり、余計な
「介護不信」が増し、施設は施設で嚥下障害のある高齢者は
「胃瘻がないと受けない」といった今ある流れが加速し、
「同意書」が増えるのが関の山です。一番の弊害は、このような
事件が表に出る度に、介護士の成り手は減るだろうということ
です。現実に介護士が集まらず閉鎖する特養も出ています。

www.nhk.or.jp

もしプラスがあるとすれば、今の介護を取り巻く問題を少しでも
多くの方が興味を持ち、知識を持ち、考えて貰えるようになる事

です。しかし残念ながら、これ程までに状況が悪化している介護
の問題は、「当事者」以外にはなかなか興味を持って貰えません。

介護の抱える諸問題の中で、嚥下機能に障害のある高齢者の問題
は非常に深刻です。人は老いれば衰弱し、衰弱すれば食事を摂る
のが難しくなって来ます。これは人がいつか死ぬことと同様に、
必然です。高齢者が増えているのですから、嚥下障害の高齢者の
数もは2025年に向けますます増えるのは明らかです。
丁寧に食事
介助をすれば1時間はかかる、という高齢者も多いのですが、
普通に考えて特養の職員だけでそれだけの時間を掛けるのが
不可能であることは明白ではないでしょうか。

食事に時間がかかる高齢者が増え、介護職員が減っているのは
事実なのですから、その中でどうすれば良いかを考える時期が
来ています。社会保障費の問題を知れば、特養の今の環境が
改善することはほぼないでしょう。そうであれば、私は良い
介護環境を維持するには家族の協力は不可欠だと思うのです。
例えば一部の家族が出来る限り食事介助に協力すれば、職員の
手が空き、家族のいない高齢者の食事介助に時間を掛けること
が出来ます。そうすれば今回のような事故も、ゼロにはならず
とも少なくすることが出来ると思います。ゴーマンかましますが、


「特養に介護を丸投げし、良い介護を期待するなど、甘い!」


のではないでしょうか。施設も出来る限り頑張るし、家族も
出来る限り協力する。これが当たり前にならないと介護の
将来はないと私は思っています。