Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

点滴に代わるもの

初めにお断りしますが、本日のエントリーはかなり
主観が入ります。終末期の医療に対する、私の個人的
な考えと御承知の上、お読み頂ければと思っています。

ここ数日、末期がんの患者さんの看取り前の体調変化と
輸液についてお話をして来ました。正確な予測は無理でも、
目の前の患者さんの残された時間がどれくらいなのか、
予想外の急変を除いて月の単位か、週の単位か、あるいは
日の単位なのかは、割合正確に予測が出来ます。

そしてがんの患者さんが徐々に衰弱され、食事が殆ど摂取
出来なくなると、飲水が難しくなると、いよいよ最期の時
が迫っていると考えられます。

この時に輸液をしないことが「餓死させる」ことになるか、
という内容は昨日お書きしました。個々の考え方や感情
にもよると思いますが、もしそれを餓死と呼ぶなら、
全ての生物の病死・自然死は餓死であり、点滴をしても
やはり最後は餓死なのではないか
と私は思います。

書いて来たように点滴をしても、患者さんの苦しみは
減りませんし、水も飲めない状況で命を長らえ、その間
もがんは徐々に大きくなることを考えると、延命した
時間が良い時間になることは少ない、と言えそうです

「何かしてあげたい」と御家族が考えるのは当然です。
しかし、その「何か」を安易に点滴に結び付けない方が
良いのではないでしょうか
。共に居るだけでも、多くの
患者さんが感じる、孤独という苦しみを和らげることが
出来ます。同じ空間に居るだけで、とても心強いもの
なのです。優しくマッサージすることも、本当に多くの
患者さんが喜ばれます。喉が渇いたら、氷片を口に入れて
頂ければと思います。花をかざり、好きな音楽をかければ
喜ぶ方もいらっしゃるでしょう。

病院勤務時代、どうも点滴を行うと家族も医療者も「何か
している」気持ちになるのか、またゆっくり弱っていく
患者さんの近くに居辛いのか、徐々に病室から足が遠のく
ように感じていました。御家族も張り詰めた空気の中で
一か月を越えるようになると疲れが出るのかお見舞いに
来ない日も多くなる傾向にあります。

100年前は点滴などなく、殆どの方は自宅で亡くなって
いました。今でも世界の大部分の国々ではがん末期の
患者さんを入院させて点滴で延命する国は多くはありません。
訪問診療では、多くは御高齢の患者さんですが点滴
を行わずに看取る事が増えて来ました。皆さんほぼ例外なく
病院より穏やかで、「餓死」のイメージではありません。

私は自分の終末期には一か月の命が一週間になっても、いや
3日になっても、家族が生活している空間で、その生活を
肌で感じながら看取ってもらえたら…と思います。
あまり長いと自分も辛いし家族も大変なので、点滴だけは
絶対に受けたくありません。

ただ、初めにお書きした通りこれは私の
考え、価値観で、御本人が承知のうえ
点滴を行っている方のお気持ちを否定
する気持ちは一切ありません。

終末期に点滴をしないで苦しくないのか

少し前の記事ですが、yomiDr.にこんな記事がありました。

yomidr.yomiuri.co.jp

タイトルを読んで、多くの医療者はキョトンとするかも
しれません。点滴をしないと苦しむ?…誰が?家族…?と
いうのが私の最初の反応でした。

しかし、医療従事者ではない、看取った経験の少ない方
であれば、こういった疑問もあるのかもしれません。
『餓死』を連想し、お腹は空かないか、喉は乾かないか
という心配が出て来るのだと思います。

しかし、餓死は食事が食べられる健康な人間が、食べる
事が出来なくなって亡くなることです。がんの終末期、
悪液質と呼ばれる状態になるとお腹は空かず、むしろ
食べ物を見ることも苦痛と訴える方が多いです。

「食べられないから死んでしまう」ではなく、「もうすぐ
亡くなるので食べ物を受け付けなくなる」
のです。逆です。
無理して食べさせようとするから、嘔吐したり、誤嚥したり、
窒息するのです。御家族は「本人のため」と思うあまり、
一番残酷なことをしているのです。

これは少し前にTwitterで私が書いたものですが、この時期
食事の量が減ることはむしろ自然なことなのです。
終末期の患者さんはむしろ、「食べろ、食べろ」と言われること
が辛い
、とおっしゃる場合が多く、周囲は満腹のところに
「食べなければダメだ!」と言われるところを想像し、
患者さんの辛さを少しでも理解して頂きたいと思います。

そういう訳で、この時期空腹で苦しむというケースを見た
ことがありません。口渇に関しては、確かに感じる方は
おられます。しかし終末期の患者さんで1日1000mlの点滴
の口渇への効果はプラセボと変わらなかったという報告
もあり、また日々の診療の中でも否定的と考えます。
もっと大量の点滴では話しは変わるかもしれませんが、
昨日もお話した通り浮腫や胸腹水の増加など間違いなく
別の苦痛が増すと思います。適切な口腔ケアや小さな氷片
などで対応する方が適切です。

yomiDr.の記事にもあるように、脱水はむしろ徐々に眠る
時間を増やし、眠るような最期を提供する事が多い

と言えます。以前こちらでも紹介させて頂いた、看取り士
柴田久美子さんの本を読んだ事がない方は是非一度読んで
頂きたいと思います。医療行為などなくても、多くの人は
穏やかに眠るように最期を迎える事が出来るものなのです。

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

500人以上の患者さんの最期を担当させて頂いた経験から、
「終末期に点滴をしないで苦しさが増すか」という問い
にははっきりNoと言えます。もちろん、点滴の有無に
関わらず色々な苦しさを全く経験しないという事もありません
が、少なくともその期間を点滴で長引かせない方が良い
のではないか、と私は考えます。

がん終末期の輸液について

昨日は、残された時間のがん患者さんに現れる身体的
な変化について簡単にお話しました。患者さんの食事
や移動能力、眠る時間等がどれくらいの速度で変化して
いるか。また時にはがんがCT等でどれくらいの速さで
大きくなっているか、採血の結果はどうか等も参考にして、
私達は患者さんの残された時間を推測します。

この他に、がん患者さんの予後を客観的に予測する
ためのツール
もいくつか報告されています。
有名なところではPPI(Palliative Prognostic Index)
やPaPスコア(Palliative Prognosis Score)等が
あります。

www.kango-roo.com

こういった知識を持つと、がんの患者さんが少しずつ衰弱
され「食べ物を受け付けなくなった時、あとどれくらいの
時間が残っているか」という事が分かって来ます。
「口から物を食べられないようになると早い」と言われ
ますが、多くは週の単位から二か月はかなり難しいと考え
られます。

これまでは殆どの方が、「食べられないなら点滴だ」と
考える事が多かったと思います。しかし「高カロリー
輸液」を除き、点滴で得られる栄養は非常に少なく、
とても体力を維持出来るものではありません。後に述べる
点滴の欠点を考えれば、飲水が出来るうちは点滴は避けた
方が良いと思います。

「水分が数口以下」になってしまうと、そのままでは患者
さんは数日からせいぜい一週間程度で亡くなってしまいます

この場合には、輸液を行い水分を確保することで多くは
週単位の延命を図ることが出来ます

しかし、点滴の欠点がない訳ではありません。まず第一に、
水分も摂れないくらい衰弱した状態で命を長らえる事は
本当に患者さんにとって良いことなのでしょうか

家族との時間を楽しみ、話したり笑ったり出来るのであれば
週単位の延命でも貴重でかけがえのない時間です。しかし
もし、病院で一日の大部分を天井を眺めて苦痛に耐える
時間が延びるだけでは、私には「真綿で首を締められる」
ような印象をどうしても持ってしまいます

御本人の希望ではなく周囲の意思で点滴を行うのであれば、
このことも考慮に入れた上で判断して頂きたいと思います。

点滴で得られるメリットの中で「せん妄を減らす」「覚醒
を良くする」というものはありますが、これは逆に言うと
御本人の苦痛や恐怖を更に強くすることとも考えられます

一方、口渇や倦怠感などの症状緩和についての効果は
どうでしょうか。他に胸腹水や浮腫の増加、気道分泌物への
影響など終末期の輸液が患者さんのQOLに与える影響について
は、緩和医療学会の『終末期がん患者の輸液療法に関する
ガイドライン』に詳しいので興味がある方は是非ご覧下さい。
一言で言うとQOL改善には殆ど役に立たず、場合によっては
悪化すると言えそうです。

個人的には、上記ガイドラインに書かれた内容以外にも
点滴を抜いてしまうから、と身体や腕を固定されてしまう
こと(抑制)
、だんだん血管がとれず一日に何度も針を
刺されるようになることや、トイレに移って用を足したい
という患者さんにとってのトイレの往復が増える等も
細かいことかもしれませんが患者さんの苦痛を増している
と思います。

私はどうしても自分が辛くない最期を過ごしたいので
輸液は出来ればしない方が良いと考えてしまいます。
しかし、辛かろうが苦しかろうが少しでも長く生きて
いたいという考えの方もいらっしゃるのは事実です。
私の希望は皆さんが点滴をしなくなる事ではなく、
点滴のプラス面とマイナス面を正しく理解したうえで
選択をするようになって頂きたいという事です