スピリチュアルケア-私達に出来ること
スピリチュアルケアを考えるには、まずそのケアの対象である
スピリチュアルペインの存在を理解する必要があります。
このような図を良く見ると思います。患者さんの苦痛は身体的
なものにとどまらず、様々な種類があります。その中でWHOは
わざわざ「精神的な痛み」とは分けてスピリチュアルペインと
いうものを挙げています。スピリチュアルペインは一言で言う
と、「生きる意味の喪失」ということになります。
だいたい人は順調な時は「生きる意味」を問いません。競争に
勝ち、認められ、影響を与え、生産性を発揮出来ている時は、
それが生きる意味だとみなすことが出来るからです。しかし、
私達の考える生きる意味が病気になり老いた時になくなるもの
だけであれば、いつか必ず生きる意味を失うことになります。
有名な村田久行さんの『村田理論』は、生きる意味の喪失を
もう少し具体的に説明しました。患者さんは、他者との人間
関係、未来、自律(自分で決めること)の喪失のことであると
説明しています。
具体的な患者さんからの訴えとしては、
「どうせ死ぬのだから生きている意味がない」
あるいは
「私が生きている意味って何でしょう」
というような問いになります。これは末期がんに限らず
施設等で暮らす高齢者からも多く聞かれます。医療者が
これに答えようとしても、多くは空疎なものとなります。
理由は、医療者は死に面しておらず、また生きる意味は
人によって全く異なりますし、そして医療者自身が
「生きる意味」を自らに問う必要のない立場にいる
場合が多いからかもしれません。
スピリチュアルケアと言いますが、こんな医療者ですから
何か話をして患者さんを癒そうなんておこがましいことだと
思います。しかし、何も意識せず実行しないで良いという
ことでもありません。スピリチュアルケアとは、別に
江原啓之さんのような「何かすごいアドバイスをする」こと
ではなく、一言で言えばスピリチュアルケアは時間を
かけて誠実に向き合うことで、患者さんは誰かに話ながら
御自分で答えを探していくのです。
このブログで既に2回紹介した早川一光先生の言葉です。
「一緒に泣こうよ一緒に語ろうよ一緒に悩もうよと
一緒に歩いていく事しか僕らにはできないのではないかと
いうのが僕の医療に対する基本的な考え方です。」
無力さを感じつつ、患者さんの傍に留まり続けること。
これが唯一患者さんのスピリチュアルな苦痛に対して
医療者が出来ることだと私は思っています。