Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「毒」になる「善意」

9月終わりにPHP onlineに載っていた、幡野広志さん
の記事。一人でも多くの人に読んで、考えてもらいたい
と思います。

shuchi.php.co.jp

幡野広志さんは、多発性骨髄腫という病気で30代で
余命3か月の宣告を受けながら、情報を発信し続けて
いる、フリーのカメラマンです。

がんであることを公言した幡野広志さんがとても困った
こととして、周囲やブログを通して寄せられる、「代替
治療」や「宗教」の数々であったようです。

幡野広志さんはこのように安易に勧められる根拠のない
アドバイスを、「優しい虐待」と表現されました。

「何を大袈裟な、無視すれば良いじゃないか」
というのは、心身が健康な人の発想だと思います。
このようなアドバイスを、無視したり丁寧に断ったり
するには、しばしばとてもパワーが必要なのです。

しかも、記事にもある通り、どこからか電話番号が伝わり、
怪しい勧誘やお見舞い電話が増え、フリーのカメラマンで
ありながら電話番号を変えなければならなかったそうです。
また、「優しさ」を断った途端に、「生意気な患者」と
なり、悪者になってしまう、とも書かれていました。
きっと、こういった想いをされているのは幡野さんだけ
ではないと思います。

それでも、余命を宣告されたがんの方と、どう接して良い
か分からず「何か」を探してしまうという人も気持ちは
理解出来ます。しかし、「何か」をしなくても良いのだと
思います。もっと言えば、「何か」をしない方がいい。
頼まれた時だけ、頼まれたことを手伝えば良いのです。

他にもハッとさせられる文章がありました。

いいところだけを見せようと、希望だけを与えようとするのは
危険だ。希望がなくなったと気づいたとき、絶望が待っている。

たしかにガンの標準治療、そもそも医療の体制には問題もあるし、
自分だったら受けないような治療を患者にほどこしているのが現実。
とはいえ、彼らが民間療法を行うとも思えない。
少なくとも医療従事者は、プロとしてリスクを背負って実際に
治療をしている。

正直なところ、重大な病気の方と向き合うのは難しいと感じる
人は多いと思います。何を言っても、場合によっては言わなく
ても、相手を傷つけてしまうんじゃないか。また、そのように
思っている自分が嫌で、つい足が遠のいてしまうという人も
いるかもしれません。

治療を勧めることは、少なくとも勧めている方は、楽です。
自分は気分良くなれる。しかし、相手はそれ以上何も
言えなくなってしまうのです。
「これ以上病気の話は
するな」と宣告しているに等しい。そういう自覚は必要
だと思います。

在宅看取りと事故物件

先日Twitterでお世話になっている方からお聞きし、
考えさせられたことがありましたので、皆さんにも
共有したいと思い記事にさせて頂きます。

貸家で殺人事件や自殺があると、そこは事故物件
として扱われ、当然ながら入居希望者が減り、
家賃をかなり下げる必要が出て来ます。これは
アパートやマンションを貸す側からすれば大きな
損失です。

では、患者さんが病気や自然死で家族に看取られた
場合はどうでしょうか。ここまでは私も以前調べた
ことがあり、「事故物件」の定義が曖昧なこと、
しかしサイトによっては「在宅看取りは事故物件
にならない」とはっきり書いてあるものが多く、
私も病死や自然死は事故ではない、当然だよな、
とこれ以上は深く考えないでおりました。

ところが、事態はそれ程簡単ではないようです。
この話をお聞きした時、同時に『大島てる』さんの
「事故物件公示サイト」の話も初めて知りました。
全国の事故物件が地図上に「炎」のマークで表示
されており、初めて見ると非常に衝撃的です。
管理人というか、代表の大島さん(本名ではあり
ません)は、私より若い男性でした。いくつか
記事を拝見しましたが、かなり真面目に、志と熱意
をもってサイトを運営しておられるようでした。

大島さんも、看取りは事故物件ではない、とはっきり
おっしゃっています。ただ、サイトは誰にでも投稿が
出来るようで、一般の方の中には自宅看取りを事故
物件と混同する人はいると思います。また、入居する
人にとっては自殺も病死も嫌だ、というのは当然の
感覚かもしれません。

これは思っていたより大きな問題のようです。
大島てるさんは入居者の立場からの「正義」ですが、
大家さんの立場からは大きな損害に直結しますし、
最終的に自宅で看取りとなった御家族が損害賠償
を求められたり、高齢者や健康に問題があると
思われると入居を断られるケースが多いとお聞き
します。たとえ看取りであっても、大家さん側の
立場では、その風評すら、大きな問題なのです。

同じく、持ち家でも売却に支障が出る可能性がある
という記事も見ました。黙っていれば…と思っても
近所の目、噂などがあり後で嫌な想いやトラブルの
元になると考えると得策とも言い切れないようです。

それぞれの立場が理解出来るだけに、とても難しい
問題で、あまり良い解決策が浮かびませんが、国と
しても在宅での看取りを推進していくのであれば、
まずは事故物件の定義をしっかり定め、看取りは
事故ではないと周知して頂きたい
と思います。
私たちもこうした問題があることをまず知り、
考えを深める必要があります。やがて私たち自身に
降りかかる問題
なのですから。
また、不動産の素人の意見で申し訳ありませんが、
いっそ「看取りOK」「高齢者OK」を提示した
賃貸も受容があるように思います。

「鎮静」という手段を知って下さい

5年余り訪問診療を行って来て、先日初めて在宅でドルミカム
を使った持続的な深い鎮静を行いました。対象は若い患者さん
で、身の置き所のなさとせん妄があり、家族も眠れず心を
傷めている状況でした。「眠っても良いから楽にして欲しい」
と御本人もおっしゃり、せん妄に踏み切り、ご自宅で安らか
な最期を迎えられました。

日本の緩和ケアの歴史のはじまりをどこと考えるのかは異論が
あるかもしれませんが、少なく見積もって聖隷三方原病院の
独立型ホスピス開設としても既に我が国には35年以上の緩和
ケアの歴史があることになります。しかし、未だに緩和ケアが
何かということは、下手をすると医療者すらその本質を理解
していない部分があります。なかでも、この「鎮静」という
緩和医療については、実施出来る医療者も少なく、多くの
患者さんは希望しようにもその選択肢すら知らないということ
が多いように思います。

鎮静(セデーション)は、一般的な鎮静に対して「終末期
鎮静」とも言われますが、終末期の耐え難い苦痛に対して
薬剤により意図的に意識レベルを落とし、その状態を維持
することを示します。
鎮静には、「夜だけ」など決まった
時間のみ鎮静を行う「間欠的な鎮静」、「呼べば目覚めて
話が出来る」くらいの「浅い鎮静」、深い眠りを意図する
「持続的な深い鎮静(CDS)」という分類があります。
CDSを選択するにはガイドラインがあり、推定される命の
長さが2~3週間未満であること等条件が設けられています。

問題になるのはCDSで、うまくいけば患者さんの苦痛をほぼ
完全になくすことが出来る一方でQOLを完全に奪ってしまう
治療法
であり、緩和ケアとしてはある意味敗北であるばかり
か、医療者の中にも「安楽死」「自殺幇助」との区別が自身
の中でついていない方も多く、責任を問われるのでは…との
漠然とした恐れも加わり躊躇う場合が多い
のが実情です。

CDSをしなくても済むような医療・ケアをする」のが
本来の緩和ケアなので、CDSの割合が少ないことは良い
緩和ケアを提供していることのひとつの指標になっています。

ただ、問題は「うちはCDSが0%です」等と鎮静を減らすこと
自体が目的となってしまうと、患者さんが強い苦痛を感じて
いても適切なタイミングで鎮静が選択されない場合があります

既にそのあちこちでその兆候があり、このブログでも何度か
取り上げています。

ちなみに、欧米を含め一般的なホスピスの終末期鎮静の割合
は30%程度、という数字があります。

CDSを減らす最も確実な方法があり、それはCDSをしないこと
です。なんだか「頓智」のような言い方になってしまいますが、
何のことはない、鎮静が出来ない医療者でも0%なのです

大切なことは、患者さんが元気なうちから鎮静(セデーション)
という治療があることを知ること。そして医療者は鎮静の方法
を完璧に熟知すること。その上で患者さんが鎮静を希望せず、
医療者もその必要がないと思えて初めて、その緩和ケアは
評価され、CDS0%に意味があるのだと私は思います。


私が末期がんで死の床におり、強い苦痛がある時に、鎮静という
手段がいつでも使えるという安心感があれば、どんなに心強い
かと思います。ぎりぎりまで頑張ろう、最後には苦痛をとって
もらえるから…と思えるからです。医療者は是非、自分の感覚
だけではなく患者さんの希望にも耳を傾けて欲しい。しかし、
そのためには患者さんも鎮静という治療を知る必要があります

CDSは慎重に。しかし、患者さんが必要を感じているなら大胆に。
これが私の信条です。