Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「美しい心」と言ってくれた

Twitterでお世話になっている、海月要さんの書いた小説です。
表題作の『「美しい心」と言ってくれた~地下にある死者の施設』
のほか、4作品が納められた短編集になっています。海月さんは
老人施設の看護師をされていますが、その日常の体験をもとに
描かれた優しい作品集になっています。

まず、目を引くのは、表紙です。最後のページを見ると
タイトルは「巻貝」、これは昔海月さんが昔書かれた絵なのだそうです。
表情や座り方から、寂しさ、悲しさ、何か「ぎりぎり」
なものを感じます。ページをめくると同じタイトルの
詩があります。成長により、自分自身に「貫かれる」と
いう表現、「けして 止められない」という言葉からも
追い詰められた状況を想像してしまいます。

あとがきに、海月さんはずっと自殺を考えていたと書いて
ありました。しかし、「生き残りました」とあります。
そして、その海月さんが「自死を選ばないで欲しい。
あなたを必要としている人が、待っています。美しい心を
大切にして欲しい」と言います。振り返ると作品を通して
この強いメッセージが伝わって来るのが分かります。

以下、作品を語るとどうしても「ネタばれ」になって
しまいます。海月さんの作品は「ネタばれ」があって
価値が減るような作品ではないのですが、なるべく
核心に触れずに、さらっと紹介したいと思います。

【「美しい心」と言ってくれた~地下にある死者の施設】
この作品に限らず、物語の背景は近未来のような、SF的
な不思議なものになっています。死んでしまったはずの
主人公がやって来た「下」と呼ばれる世界の正体と、
海月さんがどのような世界として描いているかは物語を
読み進み、あとがきを読むと分かるようになっています。
「下」でも、施設の入居者は次第に老い、物忘れも進み、
やがて死んでしまいます。しかし、決定的に違うところが
あります。そしてそこで、主人公が生きる意味や力を
取り戻す様子、思いがけないある人との再会…。
海月さんのメッセージが一番強く現れた作品です。

【「死なせてくれ」~ポジティブ機能OFF】
認知症が進み、物事を考え、決定し伝えることが出来ない
患者さんに代わり、AIが代わりに考え意思を伝えることが
出来たら…という短編小説です。主人公の気持ちの移り
変わりや家族の揺れる気持ちを想像し上手に書かれています。
この作品のミソは「ポジティブ機能」です。
「利用して良かったと家族が感じて頂けるよう…」
という説明の意味が、後半で分かって来ることに
なります。そして三年間でポジティブ機能が切れ…。

桃源郷に居ます】
個人的に一番好きな作品。老いた時に周囲は安全・安心
を望みますし、それが一番大切、と考える高齢者もいると
思います。しかし、「もう一度ヒーローになる場所」
ってワクワクします。それが桃源郷なのですね。
続きも気になる小説でした。

小さな恋のメロディ
施設で言葉を失い、何も表現が出来なくなった利用者
さんを介護していて思ったことを元に作られた作品
なのだそうです。入居者である高齢の女性の目線で
書かれており、思考や感情を受け止めることが出来る?
ちょっと不思議な男性職員への想いが描かれています。

【誰か、作って下さい~夢の薬~】
これも好きな作品です。きっと似たような会話は
施設の何処ででも聞こえてきそうな。それをにっこり
笑って(あるいは爆笑して)聞いている海月さんの姿
も想像出来そうです。

どれも頭の中で一枚の絵のような情景が浮かぶ作品に
なっていました。誰でもきっと居場所がある…ただ、
死ぬまでの時間を長くするよりも生きる意味や価値を
見出せる世界ある。そんな海月さんの願いを感じます。

医療者が死にゆく時

長年大病院で勤務したある看護師さんが退職後
に末期がんを告げられ、いよいよ病状が悪く
なった時、自分とはふた回りくらい違う歳の
看護師の前で涙をみせられたそうです。

「自分が思い描いていた最期とは違った、
こんなに辛いものだとは思わなかった」

この女性は弱音を吐かない人だったようです。
きっとプライドもあり、ひとりで病気と
向き合って来たのではないかと思います。
痛みには、オピオイドが効きました。吐き気や
不眠も、薬でかなり改善することが出来ました。
しかし、トイレに行くことがこれだけ苦しい
ものだったとは…その苦しさは薬ではあまり
楽になりませんでした。頑張って通ったトイレ
がひとりで行けなくなり、オムツを当て…。
その失望感や悔しさには薬は効きません。
私達が「スピリチュアルペイン」等と呼ぶ、
測りしれない喪失感は思ったよりもずっと
重く、彼女を打ちのめしたのだと思いました。
こんな時、医療は無力です。動いた後の息苦しさ
が早く良くなるように、酸素を使いましょう
とか、抗うつ剤を処方しましょう、ステロイド
を試してみましょう…虚しく聞こえます。

訪問看護師さんは、彼女と一緒に泣いたそうです。
きっと、この看護師さんがしたことが
私達が出来る最高のことではなかっただろうか
と私は思います。
結局最後は患者さんと向き合い、一緒に泣いたり
悩んだり祈ったり…一緒に時を過ごすことしか
私達には出来ないのです。

そしてまた、この看護師さんだからこそ、彼女は
心を開き、辛いよ、苦しいよ、と言えたのだと
思いました。

このブログでも何度も取り上げた訪問診療医
の大先輩である早川一光先生も、御自身が病に
倒れられた時に「こんなはずではなかった」
おっしゃいました。たくさんの患者さんを看取り、
良く理解していたはずの人間の最期ですが、
看取る側と看取られる側の世界の違いは、
早川先生ですら想像もつかず
大いに狼狽させるものでした。

もちろん、だからと言ってこの看護師であった
患者さんや早川先生がやってきたことは無意味
ではありません。現役の医療者は誰も終末期を
経験したことはないのです。

私もまた看取られる側になり現実に打ちのめされる
日が来るでしょう。こんなに辛かったのか、惨め
だったのか、孤独だったのか。その時にまだ死を
知らない、健康な次世代を担う医師や看護師に
きっと支えられることになるでしょう。
そんな時はきっとそれらしい立派な言葉を聞きたい
のではなく、逃げずに誠実に向き合ってくれることを、
きっとそれだけで十分ではないかと思うのです。

胃瘻を中止にすることは出来ない!?

ある胃瘻の患者さんの御家族から、
「胃瘻にしていると老衰は出来ないのですか?」
と尋ねられたことがあります。老衰とはこの場合、
老衰死=平穏死のことを指しているのでしょう。

老衰死の場合、人は物を摂らなくなりますが、
多くの死をみているとこれは苦しい時間を減らし、
脱水でぼんやり、ウトウトすることで苦しさを減らす
側面がありとても合理的なことだと私は思っています。

胃瘻から栄養が入り続けていると、このような最期が
とても迎えにくくなるのは確かです。多くは肺炎など
感染症心不全などの臓器不全等で亡くなります。
中には痰が詰まったり不整脈などが起こったのか、
あまり苦しまずに急に亡くなる方もおられますが。

胃瘻はとても難しい。造設時には回復を目指し導入された
ものでも、結局期待した改善がみられなかれば結局延命的
なものになってしまう。あるいは、施設から入居の条件に
されることもあります。導入時には家族が支えるつもりでも
介護者が老いたり病気になり、先に亡くなってしまうことも
あります。多くは数日という限られた期間で判断しなければ
ならず、一度決めたら変えられない
というのも無茶な話です。

ただ、おかしなことに胃瘻(経鼻栄養等も同じですが)も
造設時は拒否することが出来ます。この時処置の反対が
大きな問題として取り上げられることはまずありません。
一方で一度始めた胃瘻からの栄養を中止にしようとすると
介護放棄だの殺人だのと大騒ぎになる
のです。
これが介護放棄になるなら、そもそも胃瘻を造らないことも
介護放棄になるはずですが…。

医療者もこれとよく似た「人工呼吸器」の問題で、装置を
外した医療者が罪に問われた記憶が鮮明過ぎて、胃瘻の
中止にも難色を示す場合が多いのではないかと思います。
ガイドラインには経管栄養の中止を支持する記載があります。
実際に止めたり、末梢の点滴に切り替えたりしているケース
もあるとは思うのですが、殆ど公にはなってしません。
後から法の専門家が現れ、咎められないという保証は
どこにもないからだと思います。

胃瘻はどんなに検討してもやってみないと分からない面が
あります。一時的にせよ良い時間が過ごせ、その時間が
かけがえのない時間になることもあります。ですので私は
胃瘻の造設時に「一度開始したら止めるのは難しい」と説明
するよりも、御本人も家族も苦しんでいるのに止めては
いけない現状
を何とかした方が良いと思うのです。

これには中止にした場合に罪に問われる「かも」しれないと
言われるとただでさえ苦しい決断する側は更に苦しむのです。
それこそ、亡くなる前に弁護士や警察などの専門的な
三者が話し合いに加わり「妥当性の評価」を助けては
頂けないのでしょうか。国は支援して下さらないのでしょうか。