Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

認知症独居の高齢者を支える

昨日地域の介護事業所の勉強会にお誘い頂き参加しました。
あるケースカンファレンスを行いましたが、そこで考えた
ことを今日は書かせて頂こうと思います。

90代独居の男性。簡単な会話は出来るが短期記憶障害は
著しい。糖尿病と心不全あり。奥様との想い出の残る
自宅で死にたいと。しばしば介護拒否が強く、特に
便まみれになっていても下着の交換を嫌う。なんとか
歩けるが自宅内で転倒を繰り返し発見者により複数回
搬送歴がある。骨折した時も大声で入院を拒否。

誤嚥性肺炎で搬送された際には帰りたいと言うが強く
拒否する力もなく入院となる。抗うつ剤が開始となり
退院後多少介護抵抗が減ったが、元気になりまた抵抗
が増えて来ている。娘さんは本人の意思を尊重し独居を
続けさせたい希望、極力訪問し夜間も頻回に泊まって
いるが娘さんも70近くで体力的な限界がある。本人の
意思を尊重し自宅生活を続けるにはどうすれば良いか。

本質的ではない部分は多少変えてありますが、良くある
こんなケースでした。これに対して皆さん、薬の更なる
調整の可能性、介護用の「つなぎ」の着用、デイや
ショートの利用、24時間の介護サービスの導入を、また
限界なので特養の申請を、などのの意見を出して話し合い
ました。

このような場合、全員御本人のことを考えて意見していても
何を大切に考えるかで様々な違いが出て来ると思います。
まず、高度な認知症である御本人の考えをどこまで言葉通り
捉えるか
、です。正確な判断が出来ないと考えれば施設入居
の方が本人のため、という意見もあると思います。誤嚥性肺炎
で入院した時も、「本人の意思を尊重する」と考えるならば
入院せず自宅へ帰るのが正解でした。また便まみれでも着替え
たくないという「本人の意思」を尊重すべきかと言えばそうは
いかないと思います。「出来る限り本人の意思を尊重」の、
「出来る限り」の線をどこで引くかということです。

娘さんからは、御本人を転倒させたくないという強い考えから
ベッドに4点柵を、という意見が出たそうです。しかし4点柵は
虐待に当たると考えられています。私からすれば赤ちゃんの
安全を守る柵と変わらないと思いますし、転倒に任せて放置
することも負けず劣らず虐待だと思いますが、こういった
「かわいそう」「虐待だ」も非常に主観的で個人の考えに
依るところが大きいのではないかと思います。
また、「薬剤により精神状態をコントロールする」ことも、
抑制・鎮静的な側面から転倒・誤嚥の可能性を増すとして
処方すべきではないという考えも根強くあり、これも同様です。

そして実はこの方の後日談は、ある時入院先からショートを
利用することで予想以上にうまく事が運び、現在は月の1/2
から1/3はショートステイを利用することになったそうです。
ショートでは食事や内服の管理が出来、元気になって来た。
(転倒は相変わらず多いとのことでしたが)。
そして、その様子を見て娘さんのお気持ちも変わったのか
特養の申し込みも行っていく予定とのこと。

何が何でも、何を犠牲にしても自宅が良い、という考えも
ありますが私は物理的な住む場所については柔軟な考えで
良いのではないかと思っています。それよりも「ここは
あなたの家ですよ」と言ってくれる介護者がいて、安心
して御本人が過ごせれば、また御家族との関係性の良い
ことの方が重要だと思うからです。

何事も決して画一的な解決策はなく、一人の患者さんでも
次第に問題が変化して同じ方法や考えが通用しなくなります。
ここでも私達に出来ることは悩みながら共に歩み続けること
に尽きるのでしょう。

韓国で「尊厳死」の選択が可能に

10月23日より、韓国の一部の医療機関で「尊厳死」を選ぶことが
出来るようになりました。試験期間を経て、来年2月から本格的
に法が施行されるとのことです。

私は尊厳死法は賛成です。過剰な治療により苦しみ続ける患者さん、
そして介護者(家族)を本当に本当にたくさんみて来たから
です。

そんな中今朝、文筆家の平川さんのツイートが流れて来ました。
私が思ったことを書かせて頂こうと思いますが、死生観なので
なにが正しい、間違っているとはなかなか言い切れない問題
だと思います。なので、平川さんと異なる立場ではありますが、
また文章にすると言葉はきつくなってしまうかもしれませんが
非難する気持ちは全くないことを初めにお断りしておきます。

日経新聞から、尊厳死に関する取材をうける。「尊厳死」という言葉自体が、いかがわしい。死に尊厳もくそもない。病気で死のうが、戦争で死のうが同じだ。「尊厳死」はかならず、「尊厳生」へと結びつく。死に方を選別することは、生き方を選別することにつながる。

「尊厳死法」が命の選別になるという意見は、私は少し飛躍して
いると思います。また、どんな死も同じ、尊厳死はいかがわしい
と感じるかどうかも人それぞれですから否定はしませんがこれは
単なる感情論です。

リビングウイルとか、尊厳死法案にみるいかがわしさの正体。自分の死は、自分の意志で決めていいし、自分の責任であり、医師は免責される、か。自分の意志など、信じてはいけない。二十歳のときの意志など、還暦になれば意味を失う。そもそも、意志は、自分で思っているほど自分のものではない。

『自分自身の意思など、信じてはいけない』これも極論です。
二十歳と還暦で考え方が違うのは分かりますが、では去年は?
先月は?昨日は?一時間前は?突き詰めると「患者の意思など
信じてはいけない」ということになりませんか?
そして、一方で家族や医療者の意思は「信じる」のでしょうか?
リビングウィル(アドバンストケアプラニング)を書いた時点
と今とでは患者の気持ちも変わっているかもしれない、という
のはあくまで『かもしれない』であって、同じかもしれない
また、だから周囲が勝手に決めて良い、あるいは延命の限りを
尽くさなければいけない、という現状に疑問を持つ人が多く
なっているからこそ、尊厳死の議論が出て隣国で新しい法律が
施行されるようになったのではないかと思います。

延命治療をどこまでするか、本人も家族も医師も悩むだろう。その悩みのプロセスを端折って、簡単なガイドラインを作るのは馬鹿げている。悩みのプロセスこそ、必要なことであり、死の潮時を見出すための必要な時間だ。介護をしながら、つくづく、考えたこと。

これは確かにそうですが、現在議論されている「尊厳死法」は、
単に本人の意思があれば自動的に尊厳死をしなければならない
という法律ではありません
。家族の同意、専門家の判断のうえで
慎重になされるもので、決してプロセスを端折ろうとするものでは
ありません。平川さんは当然内容を御存知のはずで、何故こういう
書き方をするのでしょう。

何故、こうも「苦しまない最期」を選ぶ権利が否定されてしまう
のでしょうか。平川さんのような考えが尊重されるべきである
のと同様に、尊厳死を望む人々もいる。どちらかでなければならない
という考えは不自然です。しかし、いつも思うのですが尊厳死に
反対の方は御自分の最期は家族や医療者に任せたい、あるいは
とことんまで延命治療を受けたいと思っておられるのでしょうか。

『ニルスの国の認知症ケア』

ニルスの国の認知症ケア―医療から暮らしに転換したスウェーデン

ニルスの国の認知症ケア―医療から暮らしに転換したスウェーデン

はじめにお断りしておきますが、2013年出版の本です。
内容に感銘を受けたので紹介させて頂きます。

母親を自宅で看取る経験をした著者の藤原さんが、
スウェーデンでは寝たきりの高齢者や認知症の人がいない
理由を調べるために何度も渡航し詳しい取材を行いました。
この本はその記録です。

一言で言えば、それはパーソン・センタード・ケアという
ことになります。ですが、個の尊重は徹底しています
また、それを実行に移すための具体的な考え方、スキル、
細部の心遣いは学ぶところが多々あると思います。

いくつか印象に残った箇所を紹介します。まずは医療面ですが
認知症の診断がかなり慎重だと思いました。一過性の心因反応
等の誤診を除外にとても慎重であり、診断に六カ月を費やす
というのは驚きました。「それでは医療の介入が送れるのでは」
という意見もあると思いますが、ア〇セプトを処方する、くらい
の介入なら、誤診や誤った治療のリスクを考えれば軽微だと
思います。認知症が明らかなら臨機応変にすれば良いのです。

また、認知症の患者さんを介護度という概念で区分けする考え
がないことも国民性なのかもしれませんが面白いなと思いました。
確かに日本はランク付けが好きで、すぐ日常生活自立度等を用い
ます。時間がない中で患者さんの様子を想像するには便利な面
もあるかもしれませんが、患者さんではなく「病気」をみる
視点だと思いました。

制度としては「アンダーナース」という、介護職と看護師の
中間的な存在のスタッフがいることに興味を持ちました。
また看護師の力は大きく、医師に任され自律した存在に
なっています
。日本は全てにおいて医師が中心で、下手を
すると患者さんの生活を知りもしない医師が「意見書」を
書くことになります。医師も余計な仕事が増えますし、
看護師・介護士など現場のニーズが満たされにくい無駄の
多い仕組みと言えます。仕組みを合理化するには国民の
意識の変化も必要ではないかと思いました。

実はスウェーデンでも認知症の患者さんを精神科病院に
「閉じ込め」、抗精神病薬を大量に処方し、拘束を行って
いた時代があったそうです。しかし詳細は本に譲りますが
80年代より改革が行われました。日本も見習うことは
出来ないでしょうか。

土壌が違う、認知症の方の数が違う、法が違う等色々ある
とは思います。特に日本の介護士の方々の苦労は相当な
もので、改革などする余裕はないように思います。しかし
本の最後には神奈川県の小規模多機能居宅介護サービス
の取り組みが紹介されていました。これを読むと、最終的
には人、御本人を取り囲む医療者・介護者・家族の知識、
考え方、お互いを尊重し思いやる気持ち等が全てに勝り
大切なのではないかと感じます
。考え方次第で出来る
ことは間違いなくたくさんあります。

他にもこの本は看取りの話題なども取り上げられ、とても
興味深いです。