Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

目的と手段を入れ替えてはいけない

Twitterで見た、ある薬剤師さんのツイートを御紹介します。

在宅医療の主語は誰か?
他ならぬ患者さんである

医療従事者が訪問するから在宅医療なのではなく、
患者さんが自宅で暮らしながら受ける医療が在宅医療なんだと思う

だからこそ、訪問は手段なんだと思っている

『在宅医療の主語は誰か?』
これは私も、とても大切なことだと思っています。
主語が医療者にはなっていないでしょうか?と言うのは
在宅医療では、その在宅医療自体が目的になって
しまっているケース
を時々見聞きするからです。

例えば、訪問診療で「うちの診療所は看取り率が90%です」
等というところがあります。確かにこのクリニックはとても
頑張っているのだと思いますが、本当に90%の患者さんが、
あるいは家族が自宅を望んだのか?という疑問も湧きます。
またがんの終末期限定ならまだしも、肺炎や心不全であれば
在宅で治療が良いか入院も考慮すべきかはケースバイケースの
はずです。『訪問診療を希望』=『入院は絶対にしたく
ない』とは限らないと思うのです。出来るだけ家で
過ごしたいが、最期は病院でという患者さんもいます。
患者さん・家族の願いを聞いていたら、結果的に在宅
看取りが90%になりました、なら良いのですが、
はじめに在宅看取りありきで関わるならちょっと問題です。
今風に言うなら、「患者さんファースト」であるべきで、
「在宅ファースト」「看取りファースト」になっては
いけないということです。

また、何度も例に出して申し訳ないのですが、「うちの
セデーション率はこんなに低いです」というホスピスも、
セデーションをしない事が「目的」になっていないかを
考えるべきだと思います。「看取り率」「セデーション率」
が目標になってしまうと、患者さんの希望や訴えが後回し
になりそうな危うさを感じます。本来、そんな数字は
どうでも良いはずです。在宅医、緩和ケア医は、「どれだけ
患者さんに寄り添えたか」が問題だと私は思います。
物理的な場所が「家だった」事が重要なのではなく
例えばホスピスで安心して穏やかに最期を迎えること
が良い場合もあるのではないでしょうか?

本来医療は患者さんの人生を手助けする「手段」です。
医療者の描く、良いと信じる医療を達成することが
「目的」ではありません。そこを取り違えないように
しないといけないと思います。

「身の置き所のなさ」

がんの終末期に、表現のしようもない辛さを経験する
患者さんがいらっしゃいます。このような場合、表題の
「身の置き所がない」と表現される場合があり、
また逆にこちらから「身の置き所がない感じですか?」
と問い、肯定される場合もあります。

しかし、「身の置き所がない」というのは難しい言葉
です。表現するものが人によって違うこともあるでしょう。
人によっては「だるい」「エラい」「しんどい」という
言葉を使われることもあり、これを「倦怠感」と理解する
医療者も多いと思います。しかし、倦怠感はきっと、
「身の置き所がなさ」の一部を表現しているに過ぎない

というのが今の私の考えです。

また、色々な書籍やインターネットで検索するとお分かり
のように、「身の置き所がなさ」を「せん妄の一種」と
解釈している人もいます。じっとしていられないような
感覚があるからでしょうか。じっとしていられない、と
言うとアカシジアが浮かびますがこれもちょっと違います。
せん妄の場合もあるかもしれませんが、どう考えても違う
場合も多々あります。

実際には本当に表現が難しい、しかし経験をしたこともない
苦しみが、この時期に起こることがあるのでしょう。私達
が普段経験する、休めば治る程度の「身の置き所がなさ」
や倦怠感をイメージしていると、この辛さは理解出来ない
かもしれません。程度は人によると思いますが、実際には
痛みや呼吸苦に耐えられた患者さんも、この症状のために
「入院させて」「死なせて欲しい」とおっしゃる事がある
くらい
なのです。

この症状はしばしば薬剤抵抗性、難治性で対応に苦慮します。
基本的な考え方は他の症状と同じように、取り除ける苦痛
を考え、それを取り除いて行きます
。不眠・宿便や排尿障害など
取り除くことで身の置き所のなさが改善する例もあるそう
です。採血で貧血や高カルシウム血症、脱水、高血糖、感染症
が明らかになるかもしれません(実際にはそれ程うまくいく
ことは少ないですが)。

倦怠感であれば、リンデロン等のステロイドが有効な場合が
あります。しかし、これもまた一部の患者さんのみです。
他に安定剤やモルヒネが使われる場合があるようですが、
正直なところ私はこの症状にはモルヒネも効果があるとは
思っていません。ただ、他に方法がない辛さであれば、
効かないと決め付けず試していくしかありません。
もちろん、これらの薬剤はもしせん妄であれば悪化させて
しまう可能性があります。かと言って、せん妄の治療の
つもりでセレネースやセロクエルを使用してもあまり役に
立った試しはありません。

実はこの「身の置き所のなさ」も終末期の継続的な鎮静
(CDS)の理由のひとつになっています。全身状態から
死期がせまってるのが明らかであれば、いたずらに検査
や投薬を試す時間が長引くのは気の毒な気がします。
少なくとも鎮静の選択肢は患者さんに伝えるべきでしょう。
私が以前書いたブログに、この症状で鎮静を行った患者
さんの話が出て来ます。この時私は症状を「強い倦怠感」
と理解しており、そのように表現していますが。

緩和ケア病棟24時:Nさんの想い出 - livedoor Blog(ブログ)

このブログの3月の記事に、東札幌病院CDSが0.05%である
という記事を取り上げました。また、在宅ではCDSは不要
であると言い切る在宅医もいます。強い「身の置き所のなさ」
で苦しむ患者さんは一定の割合でおり、その数は0.05%より
ずっと多いはずです。CDSが不要と言い切るこの医師たちは、
「身の置き所のなさ」に苦しむ患者さんにどのような魔法
を使っているのでしょうか。安易なCDSは反対ですが、
癒すことも出来ず有無を言わさずCDSという選択肢を取り上げて
いるなら、それは緩和ケアと呼べるのだろうかと私は思います。

認知症~安全よりも大切なもの

2015年に、関西のカジノやパチンコ、マージャンなど
娯楽設備を備えた介護施設について、行政はパチンコ
やカジノを主なリハビリ手段として使用すること、施設内
で流通する疑似通貨の使用を禁止する条例を制定しました。
理由は、高齢者がギャンブル依存症に陥る懸念や、税金が
投入される介護保険施設としてふさわしくないという
疑問の声が上ったため、としています。利用者はとても
楽しみにしていたようで、残念だという意見も書かれて
いました。

私が知る範囲でもカジノや麻雀が置いてあるデイサービスは
まだありますので全面的に禁止された訳ではないようです。
と、思って調べたら、こんなところがありました。

デイサービス・ラスベガス

パチンコはともかく、マージャンやカジノは高度な思考力
を要します。何より、「楽しい」という感覚はとても重要で、
デイサービスが楽しみで仕方ないと思えるなら個人的には
良いと思います。

疑似通貨で本当に依存症になるのかは分かりませんが、
デイや老人ホームの利用者さんの中には過去に依存症の既往
がある人もいると思いますし、ギャンブルというととても嫌な
想いをする御家族もいらっしゃると思います。もちろんこれが
ギャンブルである必要はなく、もっと多くの方が嫌な想いを
しない方法でも工夫は出来るように思います。

例えばリハビリにゲートボールや輪投げのような種目を
取り入れている取り組みもあります。

gagoltherapy.com

その他にもカラオケや、実際にお酒は出なくてもバーのような
空間でノンアルコールのカクテルやビールでも雰囲気は楽しめる
と思います。そういえば桜町病院の聖ヨハネホスピスには
お酒も出るバーがありましたね。洒落たレストラン風の部屋
でも良いと思います。

どうも日本は高齢者に、とりわけ認知症の高齢者に、「危ない
から、身体に悪いから」と容易に何でも取り上げて閉じ込め、
管理しようとする傾向が強いと感じます。確かに危険は減り
ますが、結果的にとても禁欲的な生活を強いられ、高齢者達は
目がうつろになり、「死にたい」「生きていても仕方ない」
と言う方が大勢いらっしゃいます。

ところでオランダには認知症の高齢者が暮らす村があります。
「ホグウェイ」というのですが、皆さんはお聞きになった事
がありますか?

www.huffingtonpost.jp

「転んだら大変」「誤嚥させたら訴えてやる」等と言っている
我が国ではとても考えられないような大胆な発想ですが、認知症
の方が生き生きと生活することを第一に考えれば、このような
考えは当然「あり」だと思うのです。認知症の患者さんの楽しさ
や喜びを重視する風潮がもっと拡がると良いと思います。