Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

胃瘻が減って、経鼻が増えた!?

文春オンラインより。

bunshun.jp

2010年、自然に任せて穏やかな最期を迎える「平穏死」
を提言してから6年が経ちました。その間、終末期医療の
現場は大きく変わりました。中でも特筆すべきは、胃ろう
で栄養補給をしている認知症高齢者が、56万人から20万人
激減したことでしょう。

『「平穏死」のすすめ』で有名な 石飛 幸三先生の書かれた
記事です。本はこれです↓

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)


胃瘻造設の診療報酬は平成26年度改訂より大幅に削減
されていました。更に胃瘻を年間50件以上造設する
施設は、厳しい基準を満たさないと更に80%に減額
される事になっていました。

この診療報酬改定以前から、胃瘻の新規造設は若干
減って来てはいたのですが今回この数字をみて、
正直予想以上の数字でした。2015年末には胃瘻が
あまり減っていないという報告をみていたので、
尚更です。

ところが、恐れていた事が起こって来ています。胃瘻
が減った反面、「経鼻栄養」や、ピックカテーテルや
ポートといった別の延命手段が増えているのです。
(ある報告では経鼻は1.1倍、ピックカテーテルは
なんと1.5倍。胃瘻の減少の割合からすると多くは
ありませんが…)これでは本末転倒です。

問題は、「胃瘻という手技」ではありません。無理な
延命治療を受けている患者さんが、気の毒ではないか、
というところから出て来た話なのです。他の延命手段
を選んでいては、同じではないですか。

いえ、同じよりももっとたちが悪いのです。経鼻栄養
は、鼻からチューブを入れて留置しますが、挿入には
胃瘻よりもずっと苦痛を伴い、抜去を防ぐために抑制
(拘束)が増え、交換時の事故も増えます。再び経口
摂取を始めようにも、鼻のチューブが邪魔になる事
くらい誰にも分かるはずです。
経鼻栄養が非人道的
だからこそ、胃瘻が考案され拡がったのです。
これでは胃瘻がない30年前に戻ったようなものです。

高カロリー輸液も然り。胃瘻よりも事故は多く、
医療費は比べ物にならないほど高く、受け入れ可能な
施設は激減します。一体何をやっているんでしょう。

今、病院の医師は、「平均在院日数」を減らすことで
必死
です。胃瘻を反対する家族が増えたので、ひとまず
別の手段を提示し、退院に持って行きたいのです
(もちろん医師だけのせいではありません。制度がそう
させているわけですから)。

私はTwitterで繰り返し述べて来ましたが、もちろん
全ての胃瘻や延命治療を否定するつもりはありません。
小児や事故、脳卒中など色々なケースがあり、また
患者さん自ら胃瘻を望むことも当然あり得ます。

私が問題視しているのは、認知症末期や老衰で意思表示
も出来ない、回復の見込みがない患者さんを胃瘻で延命
するケース。加えて「延命治療差し控え」という情報
提供が乏しく、また差し控えを選んだ家族のサポートが
とても少ないこと。胃瘻のデメリットについての事前
情報がとても少ないこと。在院日数や受け入れ施設の
都合で胃瘻造設になるケースが後を絶たないこと
、です。
きちんと伝えるべきことが伝えられ、デメリットをも
家族が受け入れる覚悟で胃瘻を造るなら、私とて反対
する理由がありません。

しかし、家族が「わけも分からない」からこそ、胃瘻を
やめて欲しいと言った方が、経鼻や高カロリー輸液に
なる
のではないでしょうか。
正確な知識の普及を願います。

「臨床宗教師」

我が国では、医療と宗教は相容れない存在である
かのように扱われています。

山崎章郎さんが東北大学医学部で講義されたことが
あって、それを聞きに行った時のことだ。宗教性の
重要性を話し始めた途端、学生たちはうすら笑いを
浮かべていた。なんとも異様で、「こいつらが医者
になったとき、どうやって人を看取るんだろう」と
背筋が寒くなったほどである。
日本人は無宗教であることが近代人の証だと信じて
いるようで、宗教のようなものを云々するのは医者
の風上にもおけないと思っているのだろう。これが
日本の医療を特殊なものにしていることに気がついて
いない。

岡部健先生の『看取り先生の遺言』からの抜粋です。

医療者が口癖のように使う『エビデンス』という言葉
があります。統計学的に証明された、証拠に基く医療
はEBM(Evidenced-based Medicine)は言うまでもなく
大切です。

しかし、治癒が見込めず死が近いと判断された患者さん
にとっては、エビデンスの恩恵は少なく、「科学的
根拠」以外のものが大切になって来るようです

ホスピスの語源が中世の初めヨーロッパ西部で巡礼者
を休ませた宿泊施設であったように、ホスピス・緩和
ケアはもともとキリスト教を背景に生まれました。
日本でも特に初期のホスピスは「聖隷三方原」や
「聖ヨハネホスピス」等、キリスト教を母体とした
施設が多く見られました。しかし、ここ最近は宗教性を
排除したホスピス・緩和ケアも多くなりました。
これには良い部分も悪い部分もあると思います。

先に紹介させて頂いた岡部健先生は、自らも末期がんを
患い治療を受けながら、末期医療に宗教介入の必要性
を感じておられました。また、先日膵臓がんで亡くなった
内科医であり僧侶でもあられる田中雅博さんも、死に
ゆく苦しみは医師にも科学にも救えないとおっしゃって
います。死は誰も体験した事がなく、まして死後など
分かりません。エビデンスがない事に、医師は答えよう
がないのです

president.jp

多くの患者さんを看取り、自らも末期がん患者となった
共通点を持つお二人が関わった「臨床宗教師」という働きが
最近注目されるようになっています。特定の宗教を
勧めず患者さんの訴えを聞き、不安や恐怖を和らげる
手伝いをしようと考える宗教家
のグループです。

www.nhk.or.jp

私個人は宗教の押し付けはもってのほかですし、宗教は
必須ではないと考えています。緩和ケア、精神科、
カウンセラーで間に合うなら、それはそれで良い
と思うからです。しかし、助けを必要としている患者さん
がいて、苦悩を軽減するための叡智があるなら、アクセス
出来る情報をお伝えすべきではないかとも思います。
臨床宗教師にはその可能性を感じ大いに期待しています。

臨床宗教師会のサイトはこちらです↓
トップぺージ of 実践宗教学寄附講座

川崎市立井田病院の取り組み

昨日もお書きした通り、がんの治療中の患者さんも
痛みや嘔気、四肢の痺れや不安、不眠等様々な症状
に悩まされている方がおられます。しかし治療中の
患者さんの多くは満足な症状緩和治療を受けていません。
一方緩和ケア外来は、「緩和ケア病棟」に登録する目的
であり、化学療法が終了していることがしばしば
受診の条件になっています。より早期からの緩和ケア
の必要性が叫ばれていますが様々な理由で理想通りの
対応が出来ていない
のです。

そんな中、昨日のブログで川崎市立井田病院の取り組み
についてお話したいと思います、と予告していましたが、
偶然に昨日Yahooニュースでこの記事を見付けました。
実現が難しい「早期からの緩和ケア」を何とか実践しようと
努力している医療機関が紹介されています。

headlines.yahoo.co.jp

井田病院の西 智弘(ともひろ)先生は私が心から
尊敬する医師のひとりで、同病院で腫瘍内科・緩和
ケア科、そして在宅緩和ケアまで手掛けておられ
ます。

先生はがんの治療中であっても緩和ケアが必要な方に
向けて、2015年8月より「早期からの緩和ケア外来」
を実施しておられます。特徴は井田病院の患者さん
だけでなく、他の病院からの患者さんも受け入れて
おられること。このような外来は私の知る限りでは
他にありません。

ちなみに、西先生の「早期からの緩和ケア外来」受診を
希望される方は、

「西医師が、金曜日の午前中にやっている、抗がん剤治療
と並行して受けられる緩和ケアの外来を受診したい」と、
名指しでお伝えください。

とのことでした(西先生のTwitterより)

また、西先生は「早期からの緩和ケア外来」でも救えない
患者さんがいると考え、「暮らしの保健室」という働き
を始められました。学生が体調に限らず色々な悩みを
聞いて貰いたい時に、ふっと保健室に立ち寄る…
そんなイメージの名称でしょうか。
外来-病院-在宅と分断された状況を改善し、地域で切れ目
なく患者さんを支えたい
という願いからの取り組みです。
腫瘍内科と緩和ケア科を兼任し、病院も在宅も診る西先生
だからこその発想であり、『診療報酬』に縛られること
なく助けを必要としている患者さんに自由に関わる事が
出来る点も魅力です。次世代の医療に必要な視点ではないか
と思っています。

興味がある方は是非こちらをご覧下さい。

www.kosugipluscare.com

最後に、この「暮らしの保健室」立ち上げまでの道のり
は必ずしも順調とは言えなかったようです。以下に西先生
がどのような想いでこの働きを始められたのか、先生の
言葉を御紹介したいと思います。

私がどうして暮らしの保健室を作ったか - 武蔵小杉