Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

アブストラルとイーフェン

本日はがんの疼痛緩和に用いる薬のお話です。
フェンタニルという麻薬のレスキュー(痛みが強い時に
追加で使う)として使用される薬剤になります。

どちらも2013年に発売されましたが、それまではフェンタニル
のパッチ(デュロテップ、フェントス)を使っていても、
レスキューにはモルヒネやオキシコドンの製剤を使う必要
がありました。便秘や眠気の副作用が少ないフェンタニル
の利点を損ねず、レスキューで使用出来るというのは朗報
でした。また、口腔粘膜から吸収する薬なので嚥下が難しい
方でも使用が可能なのは特に在宅では大きなメリットです

が、しかし…。この2剤、非常に使い方にクセがあります。

通常、モルヒネやオキシコドン(オキシコンチン)であれば
レスキューはだいたい1日使用量の1/6程度を目安に決めます。
しかし、アブストラルとイーフェンはパッチの使用量にかか
わらず、最低量から開始し、量の調整を行う必要があります

これがクセモノなのです。とても分かりにくく、時々医療
従事者も間違えていることがあります。つい最近も…。

アブストラル(イーフェン)の使い方ですが、
出来る限り易しく使い方を書かせて頂きます。

「容量調節期」と「維持期」がある

まず、「容量調節期」と「維持期」というふたつの使い方
があります。 「容量調節期」は、少量から開始し適量を
決める作業
です。アブストラルであれば100μgから開始
し、痛みが取り切れなければ30分空けて同量の「追加投与」
が可能です。調節期は、1回のレスキューに「追加投与」を
合わせて1回と数え、4回までレスキューを使用出来ます

多くの場合、この「追加投与」が混乱のもとになっている
ように思います。

維持期は1日4回まで

そして、例えば1回400μgが適量と決まったら、その後は
「維持期」となり、1日4回まで同量のレスキューが可能です。
維持期は「追加投与」はなく1日4回までとシンプルですが
アブストラルは2時間、イーフェンは4時間、間隔を開ける
必要があります(!)

もうひとつの問題・間隔の長さと使用回数の制限

ここで問題があります。1日4回を越える使用は出来ません
ので、5回目、6回目にはやはりモルヒネやオキシコドン
を使う必要があります
。また、例えばイーフェンであれば
次に使うまでの4時間で痛みが出てくれば、やはりモルヒネ
やオキシコドンを使わなくてはなりません
。こうなると、
ややこしい上にせっかくのフェンタニルで粘膜から吸収出来る
メリットが大幅に低下してしまいます

まだある問題・効果が不十分になった時

更に。もし自宅で痛みが強くなり アブストラル(イーフェン)
のレスキューが十分に効かなくなったらどうするか、という
ことですが、この場合再び「容量調節期」に戻ります。アブストラル
(イーフェン)の1回量を少しずつ上げ、「追加投与」を駆使
しながら新たな1回量を決めるのです
。しかし在宅ではその都度
薬局に電話して規格の異なる アブストラル(イーフェン)を
持って来て頂くことなど実質不可能です

という訳で、 アブストラル(イーフェン)は使い勝手がとても
悪いです。老々介護ではほぼ確実に使えませんし、インテリジェンス
の高い若い御家族でもかなり混乱されます。せっかくの在宅向けの
製剤ですが、用法用量を真面目に守ろうとすると使用出来る
場面はとても限られてしまいます
。私は殆ど使いません。

ここまで面倒なのは、フェンタニルが眠気が少ない分、突然
呼吸抑制が起こるという薬剤の特徴によります。なので慎重に
ならざるを得ないのです。

ちなみにモルヒネのレスキュー(例えばオプソ)やオキシコドン
(オキノーム)は1時間空ければ何回でも使用出来ます。それは
呼吸抑制が起こるずっと前に普通は眠気で飲めなくなるからです。
もちろん、いつもと違う痛みが出て2回以上飲んでも痛みが
引かない場合は何度もレスキューを追加する前に医療機関に
相談した方が良いです。

お迎え

まずは2012年8月放送のクローズアップ現代のページを
御紹介します。

www.nhk.or.jp

なんだか私のブログ、クローズアップ現代の記事が多い
ですが別にNHKの回し者ではありません^^;
この番組は結構介護・看取りや死に関する特集が多いもので。

さて、実は過去にもブログでこの話題に触れたことが
あるのですが、本日は人が亡くなる直前に、とうに
亡くなった家族や友人が枕元に立つという、「お迎え」
現象についてです。諸外国でも同様の現象があるそうで、
確かに興味深いです。

クローズアップ現代にも出て来る、「看取り先生」こと
岡部 健(たけし)医師は、自宅で亡くなる患者さんの多く
が「お迎え」を経験している事に興味を持ち調査した結果
在宅では実に42%の方に、このお迎え現象が起こっていた
ということが分かりました
。これに対して病院では同じ
体験をした患者さんはわずか5%だったという事です。
病院では薬物の影響などがあるのか、それとも周囲が
気付かないだけなのか。

更に岡部医師は、「お迎え」があった患者さんは安らかに
最期を迎えるのでは、という仮説のもと調査を続けました。
上記クローズアップ現代では、お迎えがあると9割の方が
安らかに最期を迎えたとありましたが、私が読んだ
『看取り先生の遺言』という本では「お迎えがあろうと
なかろうと80%を越える方の最期は穏やかだった」

あります。私自身の実感としてもそうですが、在宅での
死の自然の経過で「8割程度は穏やかである」という記述は
良く見掛けます。すると「お迎え」が有意に「穏やかな最期」
率を上げているのかは不明です。

前に御紹介した「看取り士」柴田久美子さんも、

旅立ちの前に、とうに死んだ人が迎えに来る……。
こんな話は、私の中では当たり前のようになっています。

と書いておられ、実際に患者さんに「お迎えは来ましたか?」
と問い掛ける場面も出て来ます。柴田さんは、「お迎えは
必ず来る」とも書いておられます。

さて、私は医師という職業柄どうしても「超常現象」として
片付けるのには抵抗があります。似た経験として「せん妄」
があります。せん妄は幻視を伴う事が多いのですが、
「お迎え」の場合語る患者さんは比較的しっかりされていて
意識レベルが低下している、混乱しているという感じでも
ありません。

また、「お迎え」と呼ばれる現象が「死の間際」ではない
時に起こることも複数回経験しています。病院で亡くなった
「母が来た」と言った私の親族は、数年たった今でも健在です。
「それはお迎えではない」と言われればそうかもしれませんが
では何が違うのでしょうか?

根拠はないのですが、私は大きな苦しみや不安を経験した時に
人間の脳は過去の楽しい思い出や安心の記憶を呼び起こす
メカニズムがあるのではないか
と思っています。だからこそ
「お迎え」は患者さんにとって恐怖ではなく、優しい安心する
記憶として残るのではないかと。そんな風に思っています。

もちろん、「お迎えはやはり両親や兄弟の霊である」という
考えが出来るならば、私はそれも素敵なことだと思っています。
それはきっと、残された家族の悲しみを和らげることにも
繋がると思うからです。

遠方に住む家族

医療者にとって、最も苦手な存在のひとつが、患者さんの
体調が悪くなった時に初めて現れる、「遠方に住む家族」
ではないでしょうか。普通我々は患者さんの近くで実質
患者さんを支えている中心人物をキーパーソンと呼びます。
体調が悪い患者さんに代わり書類を書いたり身の回りの世話
をする、時には治療の方針について決断を迫られる事も
あります。

ところが、遠方から(私達にしてみれば)突然現れた
親戚が容態の悪い患者さんに驚き、キーパーソンや
医療者を責める場合があります。「大事な母を任せて
おいたのに、一体何をやっているんだ!」という具合
です。おっしゃる内容・気持ちは理解は出来るのですが、
感情的になられている事も多く、既に静かな最期の時を、
と話し合っていたところが、「治療をしろ」「転院
させろ」と大騒ぎになる場合もあります。多くはもう
少し冷静ですが、明らかに不信そうに説明を求めて
来られるとこちらも正直やりにくさを感じます。
ちなみにここで言う家族とは患者さんの兄弟姉妹で
あったり、娘息子とその配偶者、時には甥や姪たちです。

医療者とキーパーソンは、多くの場合患者さんとの
関わりの「中で、何度も話し合い、悩みながら信頼関係を
築いて来た訳ですが、「遠方に住む家族」はその過程が
ありません。あくまでこれは私達の立場で、での意見に
なりますが、「それなら今ではなくもっと早く関わって
くれたら良かったのに」と思ってしまいますし、やはり
一生懸命関わってくれた事を知っているキーパーソンの
方を庇う立場に立ちたいのが人情
です。

しかし、医療者は「遠方の家族」の痛みも知るべきです。
遠くに住むから、忙しいから関わりたくでも関われなかった、
患者さんに対する申し訳ない気持ち・罪悪感。患者さんの
姿を見た時のショック、心の準備が出来ていないところで
多くを受け入れなければいけない辛さ。「今こそ、私が
患者さんのために頑張る時だ」と思われるのかもしれません。
医療者の私達も、十分に「遠方の家族」になる可能性が
あります。その時の気持ちを想像すれば、優しい気持ちで
向き合えるのではないでしょうか。

忙しいのは分かるのですが、このような場合に時間を割き
少なくとも一度は話し合いをするのは主治医の義務では
ないかと思います。誠実に対応しても分かって頂けない
ならともかく、その手間をかけずに 「遠方の家族」を
悪く言うのは違うのではないか、とも思います。

つくづく思うのは、患者さんが意思表明が出来ない場合、
家族というものは治療の方針でぶつかる事が
多いものだ
という事です。方針とは、主に命を伸ばすための
積極的な治療を行うか、寿命がある程度短くなっても
苦しまない方法を選ぶか、です。

傾向として身近で患者さんが苦しみつつ少しずつ弱って
いくのをみて来た御家族は安らかな時間を、遠くで様子
だけ聞いていた御家族は積極的な治療・延命を希望され
るようです。そして多くの場合「苦しめない治療」を決心
された御家族は「迷い」があり、積極的な治療を希望する
御家族は何故か迷いがない
ようで、あなたは「冷たい」と
キーパーソンを責めるケースが多いように思います

これは一度に多くを受け入れる必要がある「遠方の家族」
の立場によるのかもしれませんし、誰にも愛する家族には
生きていて欲しい、という強い想いがあり、しかし患者さん
の苦しみは実際に見てないと分からないからではないかと
私は思っています。

皆、患者さんを想う気持ちは同じ。ただ、愛し方には人
それぞれの方法がある。 御自分の感じたこと、考えたこと
が全てではありません。 当たり前のことですが、これを
大前提にしっかりと家族間で話し合いを持って頂きたいと
思います。