Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

また夜がやって来る

昨日NHKのETV特集で、「こんなはずじゃなかった
在宅医療 ベッドからの問いかけ」という番組がやって
いました。70年間在宅医療を行って来た早川 一光医師
が、自ら末期がんとなり訪問診療を受けている。ずっと
「畳の上での養生は天国」と説いて来た早川医師。自ら
が患者の立場になった時に、「こんなはずじゃなかった」
と言わざるを得なかったと。

もちろん早川医師は自宅での療養を否定している訳では
ありません。ただ、畳の上にも「天国」と「地獄」が
あると知った
、と言います。特に印象深かったのは、
「夜が怖い」ということを病気になって初めて知った、
というところでした。「西の空に太陽が傾き日が暮れ
はじめると、ああ、また夜がやって来ると思う
」のだ
そうです。早川先生は、夜は携帯を握りしめて寝ると
言います。「大丈夫?」という電話の向こうからの
言葉は「睡眠導入剤よりほっとする」とのこと。

ホスピスで出会った敬虔なクリスチャンである患者さん
も、「死ぬのは怖くないのですが、夜が怖いんです」
とおっしゃっていたことがあり、とても記憶に残って
います。病棟の暗闇と静寂に、叫んでしまいそうな
恐怖を感じると告白されました。程度の差こそあれ、
そのような気持ちになる方は他にもいらっしゃると
思います。がんの患者さんは不眠を訴えることが多く、
終末期になるに従い眠剤を飲む患者さんの割合は
増えます。「昼夜逆転」が多いのは、身体機能の低下
が影響している部分もありますが、やはり昼間は安心
するではないかと思います。

また、「畳の上がいい」とおっしゃっていた早川さん
も、肺炎の際には病院に入院しています。そしてまた、
入院か在宅か、を悩みます。70年在宅医療をして、
在宅の良さを知る医師ですら、悩むものなのです。
まして医療者でもない患者さんが、家族が入院を
悩むことなど、当然のことではないですか

「長い人間の人生とおつきあいしてくると治せずに
老いを迎え治せずに死ぬ事ばかりなのです」。
「一緒に泣こうよ一緒に語ろうよ一緒に悩もうよと
一緒に歩いていく事しか僕らにはできないのではないかと
いうのが僕の医療に対する基本的な考え方です。」

早川医師の言葉です。

くり返しになりますが私のブログのタイトルが
not doing but being なのは、doingを否定している
訳ではありません。しかし終末期の患者さんが、そして
私自身が最後の最後に本当に必要なものはきっとbeing
であろう、と私は思っているからです。

迫りくる「息子介護」の時代

本日は同名の本の紹介です。
本の帯に「介護なんて俺には他人事」と書いてある、
その横に移った男性の表情がほんとに「他人事」
っぽい感じでちょっと笑えました。


迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (光文社新書)

迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (光文社新書)

「息子介護」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つ
でしょうか。本著でもくり返し述べられている通り、今でも
良し悪しは別として介護は「女性の仕事」と理解されている
事が多いと思います。そして、介護者による「虐待」の4割が
息子さんというデータ
もあり「介護離職」「介護離婚」など
危機的な状況をイメージ・連想される方もおられるかもしれ
ません。

しかし、本著の著者は介護福祉の専門家ではなく、社会心理
学の研究者であるということもあり、客観的な立場で「息子
介護者」を取材しレポートしています。つまり、介護者の
苦労は伝わってきますが、「息子介護」はこんなに大変なの
ですよ、と社会に報告するのがこの本の目的ではないという
ことです。裏テーマが、「男ゴゴロ、息子ゴゴロの心理学」
と著者も書いている通り、「男ってこうだよね」という男子
「あるある」を、介護を通して明らかにしています。
文献や過去の研究にも触れ、少々理屈っぽいですが、逆に
好きな方は楽しんで読むことが出来ると思います。

興味深いのは、「息子介護者」を支えているのは多くの場合
女性、妻・女友達・近所の女性等であり、しかし、逆に最も
衝突するのは「異性のきょうだい」が多い
こと。
男と女の介護に対する考え方の違いが衝突の原因になるの
ですが、さすが心理学者という切り口で書かれていました。

そして、やはり関心の集まる、「息子さんの母親に対する
身体介護(おむつ交換等)」について
や、「介護と仕事」
の問題、慣れない食事や片付け・洗濯等の家事につき、
実際の「息子介護者」がどのように考え向き合っている
のかも、意外な発見や納得があり面白かったです。

福祉の専門職の方には、心理学的な分析以外は面白くない
かもしれません。どちらかと言うと専門家や介護の当事者
よりも、「知人や友人の男性が介護をしている」あるいは
将来介護に携わるだろうと考えている一般の方向けの本
と言えるだろうと思います。まさに他人事ではない「親の
介護」を考える良い機会になると思います。

看取り士

数年前に「看取り士」柴田久美子さんを知った時は衝撃でした。
看取りを職業にする、という発想自体がまず斬新ですが、24時間
寄り添い、抱きしめて送る…。すごいの一言で、まさに理想の
看取りを実践されているのではないかと思いました。

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

幸せな旅立ちを約束します 看取り士

柴田さんは、医療のあるところでは理想的な最期を迎えにくい
と考え、離島で看取りの家を設立、旅立ちに寄り添います。
その後は鳥取県米子に移り、その後は在宅で亡くなるの援助
を行っています。

最もインパクトがあったのは、「旅立つ人と呼吸を共有する」
という行為です。抱きしめて触れあいながら呼吸を合わせ、
何十分もかけて合わせているうちに、お互いの呼吸が「一体と
なった感覚がある」(相手側にも感じられる)そうです。
柴田さんはこの方法で、患者さんの息苦しさを軽減させています。
また、痛みに対しては「ひたすらさする」ことで対応します。
昨日も書きましたが、患者さんの苦しみの何割かはこういった
行為で軽減し得るのではないかと思っています

柴田さんは、いざという時は医師に連絡します、と書いておられ
るので、決して医療を否定はしていません。ただ、「痛み止め
はかえって痛みを強くするように思います」と表現されており、
医療の役割が限定的であると認識されているように思います。
「痛み止めはかえって痛みを強くする」は医学的には誤った表現
かもしれませんが、なんとなく分かるような気もします。心を
支えようとせず薬だけで済まそうとする事は、終末期の苦しみを
取り切れないのではないかと私も思っている
からです。

病院では、医療者はその気があっても長い時間一人の患者さんに
付き添う事は出来ません。御家族も面会時間の制限があり、また
患者さんは治療のために苦しみに堪える必要があります。一方、
御家族はいつ亡くなっても不思議ではない患者さんの延命治療
の中止を希望しても言い出せず、自宅で看取る自信が持てない
のではないかと思います。

看取り士の活動は始まったばかりで、全国でサービスを受けられる
訳ではありませんが、「水も飲めなくなってしまった」患者さん
の命を、病院で拘束してまで点滴で伸ばすよりも、自宅で看取りの
エキスパートに支えて頂き、数日であっても優しさに満ちた自宅
という空間で過ごすという選択も決して悪くない
、と私は言いたい
です。

看取り士会のサイトです
mitorishi.jp