Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

医療者が死にゆく時

長年大病院で勤務したある看護師さんが退職後
に末期がんを告げられ、いよいよ病状が悪く
なった時、自分とはふた回りくらい違う歳の
看護師の前で涙をみせられたそうです。

「自分が思い描いていた最期とは違った、
こんなに辛いものだとは思わなかった」

この女性は弱音を吐かない人だったようです。
きっとプライドもあり、ひとりで病気と
向き合って来たのではないかと思います。
痛みには、オピオイドが効きました。吐き気や
不眠も、薬でかなり改善することが出来ました。
しかし、トイレに行くことがこれだけ苦しい
ものだったとは…その苦しさは薬ではあまり
楽になりませんでした。頑張って通ったトイレ
がひとりで行けなくなり、オムツを当て…。
その失望感や悔しさには薬は効きません。
私達が「スピリチュアルペイン」等と呼ぶ、
測りしれない喪失感は思ったよりもずっと
重く、彼女を打ちのめしたのだと思いました。
こんな時、医療は無力です。動いた後の息苦しさ
が早く良くなるように、酸素を使いましょう
とか、抗うつ剤を処方しましょう、ステロイド
を試してみましょう…虚しく聞こえます。

訪問看護師さんは、彼女と一緒に泣いたそうです。
きっと、この看護師さんがしたことが
私達が出来る最高のことではなかっただろうか
と私は思います。
結局最後は患者さんと向き合い、一緒に泣いたり
悩んだり祈ったり…一緒に時を過ごすことしか
私達には出来ないのです。

そしてまた、この看護師さんだからこそ、彼女は
心を開き、辛いよ、苦しいよ、と言えたのだと
思いました。

このブログでも何度も取り上げた訪問診療医
の大先輩である早川一光先生も、御自身が病に
倒れられた時に「こんなはずではなかった」
おっしゃいました。たくさんの患者さんを看取り、
良く理解していたはずの人間の最期ですが、
看取る側と看取られる側の世界の違いは、
早川先生ですら想像もつかず
大いに狼狽させるものでした。

もちろん、だからと言ってこの看護師であった
患者さんや早川先生がやってきたことは無意味
ではありません。現役の医療者は誰も終末期を
経験したことはないのです。

私もまた看取られる側になり現実に打ちのめされる
日が来るでしょう。こんなに辛かったのか、惨め
だったのか、孤独だったのか。その時にまだ死を
知らない、健康な次世代を担う医師や看護師に
きっと支えられることになるでしょう。
そんな時はきっとそれらしい立派な言葉を聞きたい
のではなく、逃げずに誠実に向き合ってくれることを、
きっとそれだけで十分ではないかと思うのです。

胃瘻を中止にすることは出来ない!?

ある胃瘻の患者さんの御家族から、
「胃瘻にしていると老衰は出来ないのですか?」
と尋ねられたことがあります。老衰とはこの場合、
老衰死=平穏死のことを指しているのでしょう。

老衰死の場合、人は物を摂らなくなりますが、
多くの死をみているとこれは苦しい時間を減らし、
脱水でぼんやり、ウトウトすることで苦しさを減らす
側面がありとても合理的なことだと私は思っています。

胃瘻から栄養が入り続けていると、このような最期が
とても迎えにくくなるのは確かです。多くは肺炎など
感染症心不全などの臓器不全等で亡くなります。
中には痰が詰まったり不整脈などが起こったのか、
あまり苦しまずに急に亡くなる方もおられますが。

胃瘻はとても難しい。造設時には回復を目指し導入された
ものでも、結局期待した改善がみられなかれば結局延命的
なものになってしまう。あるいは、施設から入居の条件に
されることもあります。導入時には家族が支えるつもりでも
介護者が老いたり病気になり、先に亡くなってしまうことも
あります。多くは数日という限られた期間で判断しなければ
ならず、一度決めたら変えられない
というのも無茶な話です。

ただ、おかしなことに胃瘻(経鼻栄養等も同じですが)も
造設時は拒否することが出来ます。この時処置の反対が
大きな問題として取り上げられることはまずありません。
一方で一度始めた胃瘻からの栄養を中止にしようとすると
介護放棄だの殺人だのと大騒ぎになる
のです。
これが介護放棄になるなら、そもそも胃瘻を造らないことも
介護放棄になるはずですが…。

医療者もこれとよく似た「人工呼吸器」の問題で、装置を
外した医療者が罪に問われた記憶が鮮明過ぎて、胃瘻の
中止にも難色を示す場合が多いのではないかと思います。
ガイドラインには経管栄養の中止を支持する記載があります。
実際に止めたり、末梢の点滴に切り替えたりしているケース
もあるとは思うのですが、殆ど公にはなってしません。
後から法の専門家が現れ、咎められないという保証は
どこにもないからだと思います。

胃瘻はどんなに検討してもやってみないと分からない面が
あります。一時的にせよ良い時間が過ごせ、その時間が
かけがえのない時間になることもあります。ですので私は
胃瘻の造設時に「一度開始したら止めるのは難しい」と説明
するよりも、御本人も家族も苦しんでいるのに止めては
いけない現状
を何とかした方が良いと思うのです。

これには中止にした場合に罪に問われる「かも」しれないと
言われるとただでさえ苦しい決断する側は更に苦しむのです。
それこそ、亡くなる前に弁護士や警察などの専門的な
三者が話し合いに加わり「妥当性の評価」を助けては
頂けないのでしょうか。国は支援して下さらないのでしょうか。

フェントスのeラーニングを終えて

フェントステープは医療用麻薬、フェンタニルのパッチ
製剤です。フェンタニルパッチにはほかにデュロテップ
MTパッチ(ワンデュロ)がありますが、個人的に使い
慣れているフェントスでeラーニングを受けました。

eラーニングのeはelectronicの頭文字ですが、ある種の
薬剤は医師がインターネットで講習を受けなければ処方
出来ない仕組みを作っています。フェントスを癌性疼痛
に使用する分にはeラーニングはいらないのですが、
『慢性疼痛』に使用するにはこの講習を受け登録する
必要があります。

内容はそう多くはありません。テストも車の運転免許
の時に受けた筆記試験を思わせるような、「日本語
の引っかけテスト
」のような内容です。それが永遠続き、
全部終わったとに採点があり、間違えると最初から
やり直しなので、集中力のテストとも言えるかもしれません…。

さて、本題に入ります。eラーニングで学んだことと、
考えたことを2~3述べてみたいと思います。専門的な
内容になりますので多くの方には面白くないかもしれ
ません。ご了承下さい。

学びの中で強調されていたことは、ひとつはオピオイド
が有効な痛みなのか?というアセスメントの重要性
でした。確かにこれはとても大切なことで、他が効かない
から、(自動的に)じゃあオピオイドね、では困るという
ことです。既に現在、整形領域などで、『リ〇カ』や
『ト〇ムセット』が安易に処方され、しかも漫然と
使われている現実
があります。最近はサ〇ンバルタも同様です。
これらは特に高齢者で傾眠→転倒や認知症様症状などを起こします。

同様に癌性疼痛においても、癌だからと自動的にオピオイド
になっているケース
をしばしば見受けます。しかも効果が
あったかどうかの評価もやっているのかすら曖昧です。これらが
eラーニングだけ解決するとは思いませんが、多少なりとも痛みの
アセスメントと使用後の評価の重要性を考えて頂きたいということ
なのでしょう。

次に、フェンタニルのパッチは思わぬ呼吸抑制が生じること
があり、『他のオピオイドからの切り替え』が必須です。
しかし、どのオピオイドから、どれくらい使用してから
変更するかが添付文書等には書かれていませんでした。
eラーニングでは、トラマドールからの変更は安全性が
確立されていないこと
、先行オピオイドを1週間継続して
から切り替える等、具体的な導入法が明記されていました。
これは良いことですが癌性疼痛ではMSコンチン、オキシ
コンチン等は使えませんから、書かれている通りにしようと
すると塩酸モルヒネ錠かコデインを使用しなければいけない
ということになります。現実問題としてこれはとても使いにくい。
結局「エビデンスがない」トラマドールからの切り替えを判断
しざるを得ないことになるケースが多いのではないかと思います。

そしてもうひとつ、オピオイドの依存について、かなり
具体的に細かい注意がありました。かつて日本はオピオイド
後進国等と言われましたが、『合理的に』オピオイド
使いまくったアメリカなどは依存の問題が深刻になって
います。

かつて、緩和医療のテキストには「痛みが存在する限り
オピオイドの依存は起こらない
」等と堂々と書かれて
いました。今でもこうのような説明が随所で見られます。
しかし、緩和ケア領域では依存が形成されにくいとしながら
慢性疼痛では最大限注意しなければならないというのは、
ダブルスタンダード以外の何ものでもなく、それが意味する
こと
を含め使用する側は自覚する必要があるのではないかと
思いました。

実は慢性疼痛の治療ではレスキューが推奨されておらず、
オプソ・オキノームも慢性疼痛に対して適応を
取得していません。曰く、急激に血中濃度が上がり、
依存を形成させやすいから
、だそうです。
依存形成と言うと『ソ〇ゴン』(ペンタゾシン)が
悪者にされていましたが、ベースなし、屯用・筋注を
繰り返すという恐ろしく間違った使い方による結果
かも
しれないわけですね。