Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

胃瘻を中止にすることは出来ない!?

ある胃瘻の患者さんの御家族から、
「胃瘻にしていると老衰は出来ないのですか?」
と尋ねられたことがあります。老衰とはこの場合、
老衰死=平穏死のことを指しているのでしょう。

老衰死の場合、人は物を摂らなくなりますが、
多くの死をみているとこれは苦しい時間を減らし、
脱水でぼんやり、ウトウトすることで苦しさを減らす
側面がありとても合理的なことだと私は思っています。

胃瘻から栄養が入り続けていると、このような最期が
とても迎えにくくなるのは確かです。多くは肺炎など
感染症心不全などの臓器不全等で亡くなります。
中には痰が詰まったり不整脈などが起こったのか、
あまり苦しまずに急に亡くなる方もおられますが。

胃瘻はとても難しい。造設時には回復を目指し導入された
ものでも、結局期待した改善がみられなかれば結局延命的
なものになってしまう。あるいは、施設から入居の条件に
されることもあります。導入時には家族が支えるつもりでも
介護者が老いたり病気になり、先に亡くなってしまうことも
あります。多くは数日という限られた期間で判断しなければ
ならず、一度決めたら変えられない
というのも無茶な話です。

ただ、おかしなことに胃瘻(経鼻栄養等も同じですが)も
造設時は拒否することが出来ます。この時処置の反対が
大きな問題として取り上げられることはまずありません。
一方で一度始めた胃瘻からの栄養を中止にしようとすると
介護放棄だの殺人だのと大騒ぎになる
のです。
これが介護放棄になるなら、そもそも胃瘻を造らないことも
介護放棄になるはずですが…。

医療者もこれとよく似た「人工呼吸器」の問題で、装置を
外した医療者が罪に問われた記憶が鮮明過ぎて、胃瘻の
中止にも難色を示す場合が多いのではないかと思います。
ガイドラインには経管栄養の中止を支持する記載があります。
実際に止めたり、末梢の点滴に切り替えたりしているケース
もあるとは思うのですが、殆ど公にはなってしません。
後から法の専門家が現れ、咎められないという保証は
どこにもないからだと思います。

胃瘻はどんなに検討してもやってみないと分からない面が
あります。一時的にせよ良い時間が過ごせ、その時間が
かけがえのない時間になることもあります。ですので私は
胃瘻の造設時に「一度開始したら止めるのは難しい」と説明
するよりも、御本人も家族も苦しんでいるのに止めては
いけない現状
を何とかした方が良いと思うのです。

これには中止にした場合に罪に問われる「かも」しれないと
言われるとただでさえ苦しい決断する側は更に苦しむのです。
それこそ、亡くなる前に弁護士や警察などの専門的な
三者が話し合いに加わり「妥当性の評価」を助けては
頂けないのでしょうか。国は支援して下さらないのでしょうか。

フェントスのeラーニングを終えて

フェントステープは医療用麻薬、フェンタニルのパッチ
製剤です。フェンタニルパッチにはほかにデュロテップ
MTパッチ(ワンデュロ)がありますが、個人的に使い
慣れているフェントスでeラーニングを受けました。

eラーニングのeはelectronicの頭文字ですが、ある種の
薬剤は医師がインターネットで講習を受けなければ処方
出来ない仕組みを作っています。フェントスを癌性疼痛
に使用する分にはeラーニングはいらないのですが、
『慢性疼痛』に使用するにはこの講習を受け登録する
必要があります。

内容はそう多くはありません。テストも車の運転免許
の時に受けた筆記試験を思わせるような、「日本語
の引っかけテスト
」のような内容です。それが永遠続き、
全部終わったとに採点があり、間違えると最初から
やり直しなので、集中力のテストとも言えるかもしれません…。

さて、本題に入ります。eラーニングで学んだことと、
考えたことを2~3述べてみたいと思います。専門的な
内容になりますので多くの方には面白くないかもしれ
ません。ご了承下さい。

学びの中で強調されていたことは、ひとつはオピオイド
が有効な痛みなのか?というアセスメントの重要性
でした。確かにこれはとても大切なことで、他が効かない
から、(自動的に)じゃあオピオイドね、では困るという
ことです。既に現在、整形領域などで、『リ〇カ』や
『ト〇ムセット』が安易に処方され、しかも漫然と
使われている現実
があります。最近はサ〇ンバルタも同様です。
これらは特に高齢者で傾眠→転倒や認知症様症状などを起こします。

同様に癌性疼痛においても、癌だからと自動的にオピオイド
になっているケース
をしばしば見受けます。しかも効果が
あったかどうかの評価もやっているのかすら曖昧です。これらが
eラーニングだけ解決するとは思いませんが、多少なりとも痛みの
アセスメントと使用後の評価の重要性を考えて頂きたいということ
なのでしょう。

次に、フェンタニルのパッチは思わぬ呼吸抑制が生じること
があり、『他のオピオイドからの切り替え』が必須です。
しかし、どのオピオイドから、どれくらい使用してから
変更するかが添付文書等には書かれていませんでした。
eラーニングでは、トラマドールからの変更は安全性が
確立されていないこと
、先行オピオイドを1週間継続して
から切り替える等、具体的な導入法が明記されていました。
これは良いことですが癌性疼痛ではMSコンチン、オキシ
コンチン等は使えませんから、書かれている通りにしようと
すると塩酸モルヒネ錠かコデインを使用しなければいけない
ということになります。現実問題としてこれはとても使いにくい。
結局「エビデンスがない」トラマドールからの切り替えを判断
しざるを得ないことになるケースが多いのではないかと思います。

そしてもうひとつ、オピオイドの依存について、かなり
具体的に細かい注意がありました。かつて日本はオピオイド
後進国等と言われましたが、『合理的に』オピオイド
使いまくったアメリカなどは依存の問題が深刻になって
います。

かつて、緩和医療のテキストには「痛みが存在する限り
オピオイドの依存は起こらない
」等と堂々と書かれて
いました。今でもこうのような説明が随所で見られます。
しかし、緩和ケア領域では依存が形成されにくいとしながら
慢性疼痛では最大限注意しなければならないというのは、
ダブルスタンダード以外の何ものでもなく、それが意味する
こと
を含め使用する側は自覚する必要があるのではないかと
思いました。

実は慢性疼痛の治療ではレスキューが推奨されておらず、
オプソ・オキノームも慢性疼痛に対して適応を
取得していません。曰く、急激に血中濃度が上がり、
依存を形成させやすいから
、だそうです。
依存形成と言うと『ソ〇ゴン』(ペンタゾシン)が
悪者にされていましたが、ベースなし、屯用・筋注を
繰り返すという恐ろしく間違った使い方による結果
かも
しれないわけですね。

心肺停止で救急車を呼び警察沙汰になった話

訪問診療で看取りを前提にしている場合、もし患者さんが
呼吸をしていないと分かった場合は訪問医(私)にまず
連絡をするように、と伝えています。搬送になると運ばれた先
の病院では診断書が書けないという理由で、警察が呼ばれる
のが普通です。呼ばれたからには警察は事件性の有無を確認
しなければならず、多くは御家族が容疑を掛けられているかの
ような質問責めにあい、御遺体も服を脱がせられ写真を撮られる
ことになります。場合によっては、なんと警察が自宅まで来て
介護をしていた環境を確認する
とかで自宅の写真まで撮ります。
患者さんが亡くなったことで非常に悲しい想いをしている
ところに、警察の介入はとても堪えると思います。

警察の方と話したことがありますが、これはやはり捜査であり
形式だけ、という訳にもいかないようです。御家族が患者さん
を殺害する、ということは稀ですが、虐待などは時々遭遇する
らしく、手を抜けない仕事のようです。

私の受け持ちのこの患者さんでも、とても衰弱はされて
いましたがまだまだ生きていて欲しいという御家族が、
急な呼吸停止の患者さんを思わず救急車で病院に運ばれた
ことがありました。御家族は蘇生を希望されていましたが、
搬送後の処置で回復することはなく、そのまま亡くなって
しまいました。

私は搬送後に連絡を受け、急いで病院に情報提供書を書き、
自分が訪問診療を行っており、蘇生困難の場合は死亡診断書を
お書きしますと伝えましたが、私が病院に着くと既に担当医
は警察に連絡しており、あとのことは警察と話して下さいと
だけ言われました

このケースでは、御家族が救急車を呼ばなければ私が訪問し
死亡確認を行い、問題なく診断書を書いていました。外傷の
有無などはもちろんのこと確認しますが、少しずつ経口摂取
困難が進み、全介助で言葉を発することも出来ない方であり、
いつ何が起こっても不思議ではない状況、つまり明らかな
老衰の過程でした。私が在宅で死亡診断書を書いた多くの方
と同様に、私が診断書を書くことで何も問題はなかったはず
です。

しかし、何故心肺停止で救急車を呼ぶと亡くなったあと
自動的に警察に連絡が入り、捜査を受けなければならない
のでしょう。何故訪問医が診断書を書くと言っているのに、
警察が必要になるのでしょう。咄嗟のことで、ましてまだ生きて
いて欲しいという家族の願い…それは確かに医療者からすれば
現実的な願いではないかもしれませんが…家族には自然な気持ち。
それだけで警察が介入することの合理的な理由が私にはどうしても
理解出来ませんでした。

この話には続きがあり、警察の「捜査」、具体的には自宅
を調べさせて欲しい、という申し出に、家族は強く反対
され、一時間以上、警察との話し合いが続きました。
私も非常に熱心に診ておられるご家族だったので、
捜査は法律に基づく強制的なものですか、と尋ねましたが、
明確な返答はありませんでした。結局最終的に呼ばれた警察官
が御遺体を確認し、診断書を書いて良い、ということになりました。
…つまり、捜査は任意であり、必須ではなかったのです

慣例的に(何かあると面倒だかから)病院の医師はかかりつけ
医ではなく警察を呼び、警察も(何かあると面倒だから)
ルーチンに行う捜査を一通り行う。御遺体は警察に運ばれ、
監察医が外傷等の有無を確認する。訪問医に診断書の許可が
出るのは通常その後でです。警察からすれば「これだけ
すれば(私たちは)安心」と思えるのだと思いますが、
「そういうものだから」というだけでは御家族には納得
出来ない仕打ちでしょう。

かかりつけ医が明らかに老衰の過程と考えているのに警察が
取り調べを行わなければいけないなら、本来在宅看取りは
全例必要になるのではないでしょうか。救急車と事件性が
疑われることは関係があるのでしょうか。病院の医師は、
特に事件性を疑った訳ではなかったようです。少なくとも
病院の医師とかかりつけ医が事件性はないと考えるなら
警察への連絡は省略出来ないのか、何のための訪問医・
かかりつけ医なのか。色々なことを考えた経験でした。