Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

『自分らしく』とその限界

今日は緩和ケアにおいて大切な、患者さんの
「その人らしさ」を尊重するということについて
考えてみたいと思います。

「考えてみれば、ケアを提供する私達がそもそも
『自分らしさ』って何か、考えたことがない。」

どこで読んだか忘れましたが、こんなことを言う
方がおられました。しかし、私に言わせれば
『自分らしく生きる』とは何かを考えないで済む
人は、既に自分らしく生きられているのだと思います。

『自分らしく』『その人らしく』と言っても、
哲学でも倫理でもなく、特別なケアを言っている
わけではないのです。

これは、『自分らしくない』とはどういうことか
を考えてみるとよく分かります。例えば病院で、
ご自分の意思によらず命を延ばすための治療を
『我慢』して受けている状態ではないでしょうか。
治療に限らず、誰とどうやって過ごすのか、いつ
寝て起きて、食べて、好きなことをする。私達が
意識せず送れていた日常を、この先も意識せずに
続けていくこと。私はこれが『その人らしく』では
ないかと考えています。

この場合、そっくりそのまま、以前のままではなくても、
御本人が『こうしたい』という気持ちを表現出来れば、
新しく姿を変えた、その時点で最高の『その人らしさ』
を提供することが出来るかもしれません。

しかし、いくつか限界があります。まずは御本人が
色々な理由で決めることが出来ない場合は、介護者
(多くは家族)に判断が委ねられます。

また、御本人に意思がある場合も、介助者や医療者が
「それは適切ではない」「ワガママだ」と考える場合。
喫煙やアルコール、外出等がその例になるかもしれません。
この場合、御本人と御家族(介護者)が衝突したり、
どちらかが我慢を強いられるような状況になるかも
しれません。

どうも今の医療・介護は何も考えないでいると御本人が
「少しでも長く生きる」ことをゴールに「管理」し、
あれこれ我慢させる指導やケアに傾きがちです。
これもひとつの価値観ではありますが、そのように厳しく
したところで、どれだけ御本人にメリットがあるのかも
考える必要があるのではないでしょうか。

どうせもうすぐ死ぬのだから、好きにさせてよ

と私なら考えると思います。もちろん明らかに御本人に
害があることを止めることが間違いと言っている訳では
ありません。ただ、援助する側が『その人らしさ』を
意識することが大切なのではないかと私は考えます。

「毒」になる「善意」

9月終わりにPHP onlineに載っていた、幡野広志さん
の記事。一人でも多くの人に読んで、考えてもらいたい
と思います。

shuchi.php.co.jp

幡野広志さんは、多発性骨髄腫という病気で30代で
余命3か月の宣告を受けながら、情報を発信し続けて
いる、フリーのカメラマンです。

がんであることを公言した幡野広志さんがとても困った
こととして、周囲やブログを通して寄せられる、「代替
治療」や「宗教」の数々であったようです。

幡野広志さんはこのように安易に勧められる根拠のない
アドバイスを、「優しい虐待」と表現されました。

「何を大袈裟な、無視すれば良いじゃないか」
というのは、心身が健康な人の発想だと思います。
このようなアドバイスを、無視したり丁寧に断ったり
するには、しばしばとてもパワーが必要なのです。

しかも、記事にもある通り、どこからか電話番号が伝わり、
怪しい勧誘やお見舞い電話が増え、フリーのカメラマンで
ありながら電話番号を変えなければならなかったそうです。
また、「優しさ」を断った途端に、「生意気な患者」と
なり、悪者になってしまう、とも書かれていました。
きっと、こういった想いをされているのは幡野さんだけ
ではないと思います。

それでも、余命を宣告されたがんの方と、どう接して良い
か分からず「何か」を探してしまうという人も気持ちは
理解出来ます。しかし、「何か」をしなくても良いのだと
思います。もっと言えば、「何か」をしない方がいい。
頼まれた時だけ、頼まれたことを手伝えば良いのです。

他にもハッとさせられる文章がありました。

いいところだけを見せようと、希望だけを与えようとするのは
危険だ。希望がなくなったと気づいたとき、絶望が待っている。

たしかにガンの標準治療、そもそも医療の体制には問題もあるし、
自分だったら受けないような治療を患者にほどこしているのが現実。
とはいえ、彼らが民間療法を行うとも思えない。
少なくとも医療従事者は、プロとしてリスクを背負って実際に
治療をしている。

正直なところ、重大な病気の方と向き合うのは難しいと感じる
人は多いと思います。何を言っても、場合によっては言わなく
ても、相手を傷つけてしまうんじゃないか。また、そのように
思っている自分が嫌で、つい足が遠のいてしまうという人も
いるかもしれません。

治療を勧めることは、少なくとも勧めている方は、楽です。
自分は気分良くなれる。しかし、相手はそれ以上何も
言えなくなってしまうのです。
「これ以上病気の話は
するな」と宣告しているに等しい。そういう自覚は必要
だと思います。

在宅看取りと事故物件

先日Twitterでお世話になっている方からお聞きし、
考えさせられたことがありましたので、皆さんにも
共有したいと思い記事にさせて頂きます。

貸家で殺人事件や自殺があると、そこは事故物件
として扱われ、当然ながら入居希望者が減り、
家賃をかなり下げる必要が出て来ます。これは
アパートやマンションを貸す側からすれば大きな
損失です。

では、患者さんが病気や自然死で家族に看取られた
場合はどうでしょうか。ここまでは私も以前調べた
ことがあり、「事故物件」の定義が曖昧なこと、
しかしサイトによっては「在宅看取りは事故物件
にならない」とはっきり書いてあるものが多く、
私も病死や自然死は事故ではない、当然だよな、
とこれ以上は深く考えないでおりました。

ところが、事態はそれ程簡単ではないようです。
この話をお聞きした時、同時に『大島てる』さんの
「事故物件公示サイト」の話も初めて知りました。
全国の事故物件が地図上に「炎」のマークで表示
されており、初めて見ると非常に衝撃的です。
管理人というか、代表の大島さん(本名ではあり
ません)は、私より若い男性でした。いくつか
記事を拝見しましたが、かなり真面目に、志と熱意
をもってサイトを運営しておられるようでした。

大島さんも、看取りは事故物件ではない、とはっきり
おっしゃっています。ただ、サイトは誰にでも投稿が
出来るようで、一般の方の中には自宅看取りを事故
物件と混同する人はいると思います。また、入居する
人にとっては自殺も病死も嫌だ、というのは当然の
感覚かもしれません。

これは思っていたより大きな問題のようです。
大島てるさんは入居者の立場からの「正義」ですが、
大家さんの立場からは大きな損害に直結しますし、
最終的に自宅で看取りとなった御家族が損害賠償
を求められたり、高齢者や健康に問題があると
思われると入居を断られるケースが多いとお聞き
します。たとえ看取りであっても、大家さん側の
立場では、その風評すら、大きな問題なのです。

同じく、持ち家でも売却に支障が出る可能性がある
という記事も見ました。黙っていれば…と思っても
近所の目、噂などがあり後で嫌な想いやトラブルの
元になると考えると得策とも言い切れないようです。

それぞれの立場が理解出来るだけに、とても難しい
問題で、あまり良い解決策が浮かびませんが、国と
しても在宅での看取りを推進していくのであれば、
まずは事故物件の定義をしっかり定め、看取りは
事故ではないと周知して頂きたい
と思います。
私たちもこうした問題があることをまず知り、
考えを深める必要があります。やがて私たち自身に
降りかかる問題
なのですから。
また、不動産の素人の意見で申し訳ありませんが、
いっそ「看取りOK」「高齢者OK」を提示した
賃貸も受容があるように思います。