Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

認知症~家族介護の難しさ

私は今グループホームや老人ホームへの訪問診療は
行っておらず、訪問しているのは全て患者さんの自宅
です。独居の方も多いですが、大半は御家族が同居し
介護されています。

つくづく思うのは家族介護は家族ならではの難しさを
持っており、しばしば非常に神経をすり減らすものだ
ということ。そして「家族だから看なければならない」
という無意味な固定観念は持たない方が良い、という
ことです
。「家族が介護出来ればラッキー」くらいが
ちょうど良いと思います。

よく「施設に入るのは親がかわいそう」等と言いますが、
入居する時は当然嫌がったとしてもいざ施設に入って
慣れてみると意外と穏やかに元気に過ごせる認知症の方も
たくさんいらっしゃいます。
一番不幸なのは施設に入ることではなく、義務感で
家族を苦しめたり、日々家族間で衝突し疎まれることかも
しれない
のです。

家族介護の難しさの第一は、やはり家族ならではの甘え
や期待が認知症の方にも御家族にもある
という事かも
しれません。長期の介護にはある種の割り切りが不可欠
ですが、家族にはそれがなかなか難しい場合があります。
自立を支援しよう、栄養の良いものを食べてもらおう、
という家族の配慮が、「我慢」「頑張る」ことが難しい
認知症の患者さんとぶつかることになります

また、認知症の患者さんに限ったことではないかも
しれませんが、患者さんは遠方に住む家族には別の顔を
見せることがあります。たまに来る家族(特に忙しい
息子さん)に見せる姿は、しっかりして穏やかな昔の
親の姿だったりします。すると「ボケたボケたと言う
けれど、昔と変わらないじゃないか」という事になるの
です。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

しかし、↑この記事にも書きましたがここで大切な事は、
「自分が見た認知症の親、きょうだいの姿」だけが本当
だとは思わない
ことです。まずは介護者を信じ、「何故
同居の家族と自分に見せる態度が違うのだろう」
と疑問
を持つことが出来れば、その先の議論に繋がります。

時々来てうるさい事を言わない子供には、にこやかで
穏やかな姿を見せるに決まっているではないですか。
これはちょうど、子供を想い厳しく当たる親が子供に
恨まれるようなものかもしれません。この苦労・苦悩
は親になった者にしか分からないのと同じです。

過去に介護虐待・介護殺人・介護者の自殺についても
記事を書きました。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

虐待は当然ですが大部分は家族間で起こっています。
もちろん、大きな問題なく自宅介護をしている方も
たくさんおられますが、もし介護で辛い生活を過ごす
方がいらっしゃるのであれば、まずは「家族会」等を
探し参加される事をお勧めします(この記事の9大
法則、1原則も読んだことがなければお勧めです)。

認知症をよく理解するための9大法則・1原則 | 公益社団法人認知症の人と家族の会

訪問診療の中で、あれだけ熱心に介護されていた御家族
が、ふとした出来事で「もう無理です」になってしまう
例を何度も見て来ました。今でこそ、「熱心だから
こそ」
看れなくなってしまったのだという事が良く
分かります。

ですのですぐに決断する、しないに関わらず施設入居
への選択肢は常に考えておきましょう。自分が倒れたら
結局困るのは患者さん御本人なのですから。

『100点中10点』に思う

6月24日のm3(エムスリー)に、めぐみ在宅クリニック院長、
小澤竹俊先生のインタビューが載っていました。ホスピスを
経験し、現在は訪問診療医として多くの患者さんと関わり、
たくさんの方を看取って来られた先生です。診療体制に
ついてのお話のあと、このような事を言っておられました。

在宅医に必要な心構えは、自分の弱さを認め、
力になれなくても逃げないこと。
そして、周囲の人からの支えに気づくことだと思います。

とても大切な言葉だと思いました。

患者さんのベッドサイドに5分程度いるだけでは、
この感覚はなかなか分からないと思います。
真剣に向き合えば向き合うほど、私たちは無力
であるという事実を思い知らされるのです

だから私は、自信満々な在宅医・緩和ケア医は
正直胡散臭いな、と思っています。

次に小澤先生はこのように言います。

わたしはよく看取りに関わる人に「あなたは自分に
何点をつけますか?」と問います。医師であれば、
十分な治療ができたときに100点中100点をつけるでしょう。
これは英語でvery good(よくできました)。一方、治療
しても完治が見込めず、それ以上何もできないときは
どうでしょうか。自分の不甲斐なさに10点をつけるかも
しれません。

これもまた、同じ在宅医である私にはとてもしっくり
来る言葉でした。提供した治療が患者さんの苦痛を
とても緩和出来ることもありますが、一方何をしても
辛さが癒えないこともあります。
「そうですね…辛いですよね…」としか言えない時は
逃げ出したい程の無力さを感じるものです。
しかし、在宅医はここで逃げてはいけないのです。

4月2日のブログで紹介させて頂いた、在宅医早川一光
先生の言葉を、もう一度紹介させて頂きます。

「長い人間の人生とおつきあいしてくると治せずに
老いを迎え治せずに死ぬ事ばかりなのです」。
「一緒に泣こうよ一緒に語ろうよ一緒に悩もうよと
一緒に歩いていく事しか僕らにはできないのではないかと
いうのが僕の医療に対する基本的な考え方です。」

私達が出来ることを全て行い、手立てがないとしたら、
最後に残された手段は、逃げないで一緒にいること。
つまり、Beingです。

そして小澤先生はこう言います。

医師として100点を目指したいのは当然です。しかし、
在宅の現場では力になれない自分を認めないと、
いずれ燃え尽きてしまう可能性が高い
。わたしは
「誰かの支えになろうとする人こそ支えが必要」
だと考えています。

100点満点で10点でも、先生は「good enough」と
考えるべきと言います。これに対して掲示板で
「10点でも十分とはプロフェッショナルとして
甘いのではないか」という意見がありましたが
私はそれは違うと思います。本当に自分に甘い
医師は、同じ状況で60点、70点をつけるでしょう

しかし、そうではなくたとえ10点として認識しても、
それでも絶望せずこれからもずっと患者さんと向き
合って行くために「good enough」と考えよう、
というところに小澤先生の謙虚さと優しさを感じるのです。

最後に、関連する小澤先生の著書を御紹介します。

医療者のための実践スピリチュアルケア―苦しむ患者さんから逃げない!

医療者のための実践スピリチュアルケア―苦しむ患者さんから逃げない!

死に目に会う

小林 麻央さんの旅立ちがニュースになっていました。
私は芸能界に疎いのですが御夫婦の姿をネットで度々
拝見し、子を持つ親としても穏やかで優しい時間が
過ごせることを願わずにはいられませんでした。
海老蔵さんは麻央さんが亡くなる瞬間に
立ち会えたそうですね。「愛している」と言って
旅立った、と書いてありましたから。

実際の臨終で、お別れの時にはっきりとした会話が
出来ることはとても少ないと思います。患者さんは
眠っている事が多く、また精神的にも夢の中のよう
な状態で、混乱気味のことが多いからです。
そういう意味で、麻央さんの最期が良くて、眠った
まま亡くなる方の最期が良くない、等とは全く思い
ませんが、ドラマチックな最期であったことは確か
だと思います。

そもそも病院では御家族が余程覚悟して付き添う
ことがない限り、亡くなる瞬間に立ち会えないこと
も少なくはありません。

亡くなる瞬間に家族が立ち会うことを「死に目に会う」
と言い、強く希望される家族、義務のように考えている
家族が多いようです。寂しいのではないか、という
気持ちも分かりますし、自分自身が後悔するから、
という御家族もいらっしゃるでしょう。
一緒に居てあげられなかったから、せめて最期は…。
この気持ちも分からなくはありません。
しかし、一部医療者が違和感を感じるケースもあります。
ちょうど同じような違和感をブログに書かれているDr.
のブログを紹介します。

ameblo.jp


「家族が揃っていないので、まだ死なせないで下さい」
というものです。中には御家族の心情を察して心臓マッサージ
をする(ふり)、アンビューバッグを押し続けて家族
の到着を待つ医療者もいます。でも、これ、本当に
死に目に会えているのでしょうか…?歳をとると、こう
いった儀式も完全に無駄ではないことが分かって来ますが、
違和感が拭えないのは、これは完全に患者さん
御本人のためではないからなのでしょう。

これは考え方かもしれませんが、患者さんが意識もない
状態ではなく、生きているうちに、会話が出来るうちに、
御家族の存在を肌で感じ、孤独ではないことが分かる
うちに、是非御家族には一緒に居て頂きたいと私は思い
ます
。一緒に時を過ごせていれば、亡くなる瞬間に
物理的に御家族が何処にいようと関係ないと思うのです。
「間に合う」とか「間に合わない」なんて、とても
「この世的な考え」だと思います。

それでも本当に瞬間に立ち会いたいのであれば、個室
で常に付き添うか、自宅介護がお勧めです。しかし、
それでもうたた寝している時に、トイレに行っている
時に亡くなる患者さんもいらっしゃいます。逆に数年
ぶりに見舞いにやって来た御家族が臨終に立ち会える
事もあり、それはきっとある種の運命のようなもの
なのではないかと思います。

どうか、死に目に会えなくても後悔がないくらい、
患者さんが生きているうちに一緒に時間を過ごして
あげて下さい。