Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

痛みを我慢する患者

がん性疼痛で、強い痛みがあるにも関わらず痛みを我慢する
患者さんが一定の割合でいます。中には未だにモルヒネを
使うとクセになる、頭がおかしくなる等正しいとは言えない
知識のために使用しない方もいますが、多くはそうではない
ように思います。

一つは、実際痛み止め、ここではモルヒネを例にとります
が、副作用で使いたくないという方も一部おられます。
特に嘔気やせん妄を経験してしまうと拒否される場合が
多いです。便秘や眠気を理由に断る方もいらっしゃいます。
副作用対策を行えば使用出来ることも多いますが、おそる
おそる使った患者さんが副作用を感じた場合、強い拒否に
なることも多く、初回使用時は慎重であって欲しいと思い
ます。最近ある緩和ケア医が、「オピオイド開始時の
ルーチンの吐き気止めは不要」等と言っておられましたが、
上記の理由で私はこの考えには反対です。

また、「痛みを感じることに意味を見出す」方が多いと
思います。病に屈しない自分でありたいという想いや、
キュブラー・ロスの言う「取引き」のような心理が根底
にあるのかもしれません。

また、モルヒネの場合特に、使用することが「いよいよ
自分はここまで悪くなってしまったのか」と麻薬を
増悪・死の象徴のように考える方もとても多いように
思います。

一部モルヒネにより液性免疫機能が低下する、等の研究
があることも事実です。しかし、一方で継続して使用
すると元に戻る、等の意見もあります。いずれにせよ
広くコンセンサスを得るほどしっかりした研究はあり
ません。

もし、ある程度免疫機能への影響があったとしても、では
痛みに耐えて生活することは免疫機能を弱めないでしょうか
痛みは不眠・抑うつ・食欲の低下、活動性の低下と密接な
関係がある事が分かっており
、副腎皮質ホルモンも出っ放し
でしょうから、私には免疫への影響がないとはとても考え
られません。痛みがとれて笑っていられる方がどんなにか
身体にも精神面にも好影響でしょう!

「麻薬の知識不足」や科学的に説明出来る事柄へのアプ
ローチはある程度容易です。しかし、上記患者さん自身
の信念や価値観、スピリチュアルな問題であれば、
麻薬の使用を勧めることは困難ですし、第一説得して
使って頂くことが良いことかどうかも悩ましいです。
私は、無理して勧めず「後で開始してみて、早く使えば
良かった、と言う人も多いですよ」と話し、いつでも
使えますから連絡して下さいね。と伝えるようにして
います。

「無理にでも説得した方が良い」、とか「麻薬と言わずに
始めるべき」という方までいますが、御自分が患者の立場
ならそうして欲しいでしょうか。告知が推奨されているのは
患者さんの自律を支援すべきだからで、自分が良いと
思った緩和ケアを患者さんに嘘をついてまで押し付けること
は論外
、と私は思っています。

スピリチュアルケア-私達に出来ること

スピリチュアルケアを考えるには、まずそのケアの対象である
スピリチュアルペインの存在を理解する必要があります。

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このような図を良く見ると思います。患者さんの苦痛は身体的
なものにとどまらず、様々な種類があります。その中でWHOは
わざわざ「精神的な痛み」とは分けてスピリチュアルペインと
いうものを挙げています
スピリチュアルペインは一言で言う
と、「生きる意味の喪失」
ということになります。

だいたい人は順調な時は「生きる意味」を問いません。競争に
勝ち、認められ、影響を与え、生産性を発揮出来ている時は、
それが生きる意味だとみなすことが出来る
からです。しかし、
私達の考える生きる意味が病気になり老いた時になくなるもの
だけであれば、いつか必ず生きる意味を失うことになります

有名な村田久行さんの『村田理論』は、生きる意味の喪失を
もう少し具体的に説明しました。患者さんは、他者との人間
関係、未来、自律(自分で決めること)の喪失のことであると
説明しています。

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具体的な患者さんからの訴えとしては、

「どうせ死ぬのだから生きている意味がない」

あるいは

「私が生きている意味って何でしょう」

というような問いになります。これは末期がんに限らず
施設等で暮らす高齢者からも多く聞かれます。医療者が
これに答えようとしても、多くは空疎なものとなります。
理由は、医療者は死に面しておらず、また生きる意味は
人によって全く異なりますし、そして医療者自身が
「生きる意味」を自らに問う必要のない立場にいる

場合が多いからかもしれません。

スピリチュアルケアと言いますが、こんな医療者ですから
何か話をして患者さんを癒そうなんておこがましいことだと
思います。しかし、何も意識せず実行しないで良いという
ことでもありません。スピリチュアルケアとは、別に
江原啓之さんのような「何かすごいアドバイスをする」こと
ではなく、一言で言えばスピリチュアルケアは時間を
かけて誠実に向き合う
ことで、患者さんは誰かに話ながら
御自分で答えを探していくのです。

このブログで既に2回紹介した早川一光先生の言葉です。

「一緒に泣こうよ一緒に語ろうよ一緒に悩もうよと
一緒に歩いていく事しか僕らにはできないのではないかと
いうのが僕の医療に対する基本的な考え方です。」

無力さを感じつつ、患者さんの傍に留まり続けること。
これが唯一患者さんのスピリチュアルな苦痛に対して
医療者が出来ることだと私は思っています。

希望

川崎市立井田病院の、西先生のブログの記事から。

tonishi0610.blogspot.jp

西先生は緩和ケアを専門にされているという理由もありますが、
とても私と考えが近く、「本当にそうだよなぁ」と思うことが
多くあります。大学の同期が以前西先生と同じ病院に勤めて
おり、話を聞いたことがありますが、ブログイメージ通り
勉強家で、患者さん思いで優しい先生のようです。

緩和ケアに限ったことではありませんが、
患者さんの「希望」って何だろう。
私も、ずっと考えて来ました。
患者さんの希望に沿うことはとても重要なのは
間違いありません。
しかし同時に、「希望するなら何をしても良い」
も明らかに間違いです。

その分かりやすい例が、西先生も挙げておられるがん治療
の「免疫細胞療法」です。理論はともかく、わずかな例外
を除き、費用に見合う効果はありません。希望したから、と
何百万もする効果の怪しい治療をするのは誠実なことなの
でしょうか。免疫細胞療法に対する私の考え、スタンスは
西先生とほぼ同じなので、ここでは敢えて書きません。

しかし、ここからは西先生とは意見が違うと思うのですが、
私は『代替治療』そのものについては医療者はもう少し
寛容であって良いと思っています。問題は、代替治療
そのものではなく、立場の弱い患者さんや家族の足元を
見て高額な商品を売りつける医師や業者がたくさんある
こと、つまり「騙し」です。
また患者さんが失うものの大きさです。

逆に、抗がん剤が「有意に生命予後延長」という「有意」
時に「一ケ月半」等と、患者さんの期待しているものと
大きく異なる
ことがあり、個人的にはそちらも同じくらい
問題だと思っています。患者さんは治癒、もしくは年単位の
効果を期待して辛い治療に耐えている、ということが
今でも多くあり、それは患者さんが失うものはやはり多く
考え方によっては、代替治療でキノコを食べたり軟骨を
食べたりするよりも、ある意味もっと有害かもしれません。

そして、多くの医師は(勤務医なので)直接患者さんから
料金をとることはしませんし、恐らく騙すようなことは
しませんが、意識するしないは別にしても「自分の考えに
従わないなら診ない」という、これはこれで弱い立場にある
患者さんや家族を「脅す」ようなことをしている
かもしれません。

私が考える理想の状態は、患者さんと医師が対等であり
患者さんは自分の病状と、治療の効果と限界を医師同様
に理解している
こと。そのうえで、受けたくない
治療は受けずに済み、「これは偽りの希望かもしれないけれど、
受けてみたい」と納得して受ける代替治療があるならば、それも
責められずに選択肢に入れて良いこと、です。
老い、不安に苛まれ理解し決断が難しい状況にある患者
さん、御家族も多くおられます。しかし、そこは周囲が
易しく(優しく)時間を掛けて理解を助けること、
そしてたとえ残酷な現実であっても誠実に伝え、良い
関係を築き続ける努力をすること。本当の意味での希望
は、自分らしく考えられるようになって初めて出てくる
ものではないかと思います

私はこのような医療者の態度は、医学で治癒不能と判断された
患者さんには、「科学的に正しい医療」を行う以前に大切な
ことだと思っています。