読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Not doing but being

在宅緩和ケアの普及を目指して

DNRの患者さんではないのですか?

DNRは「do not resuscitate」の略で、主に患者さんの
予後が不良である時、急変が起こっても御本人もしくは
家族の同意で心肺蘇生を行わない事を指します。例えば
がんの末期の患者さんが心肺停止となった時、救命処置
で再び心拍が再開しても、遠くない将来に再び病状悪化
による死が待っており、いたずらに苦しい時間が長引く
だけに終わることが多いからです。

最近特に大きな病院から訪問診療の依頼が来た時に、
「在宅看取り希望です」「急変時DNRです」等と
書かれている事が増えました
。確かに御紹介頂く患者さん、
ご家族は自宅での最期を、または家族それを支える事を
希望しています。しかし…。

初診時私達は多めに時間を割き、特に末期がんや老衰の
患者さんでは、急変時の対応につきどのような説明を
受けており、またご自宅で最期を迎えられるのか、
搬送を希望されるのか等をお聞きします。そうすると
ご家族のみならずご本人も「状況により搬送を希望…」
である事が結構多いのです。実は何が何でも病院に
行きたくない患者さんは少数で、10%程度
とされています。
実はそれよりも遥かに多い患者さんが、病院やホスピスへの
搬送・入院を希望されているのです。興味がある方は、
以下の『IV 末期状態における療養場所』をご覧下さい。

終末期医療に関する調査等検討会報告書

少し想像すれば分かりますが、御自分や、例えば自分の母親、
自分のパートナー、子供達が突然の強い痛みや呼吸困難、
吐血や痙攣といった場面に出くわした時に冷静に、覚悟を
持って看取りを遂行出来るでしょうか。いざという場面では
「何が何でも」とおっしゃっていた患者さんですら、搬送を
希望される場合も少なくありません。

私は往診医としての経験から、病院に行ったところで恐らく
苦しみは減らない、一時は良いかもしれないが、再び病状が
悪化する時はすぐに来る。病院では延命処置をする分、苦しむ
時間が長くなる。このような事を知っており、患者さんや御家族
にもお話をします。「モルヒネと安定剤で苦しみは取れます」
と伝えます。

しかし、それでも受診を希望された時、更に強く説得をして
搬送を思い留まらせるべき、とは私にはどうしても考えられない
のです。ここはとても悩むところですが、緩和ケアの目標は
決して「何がなんでも家で最期を迎える」、「ただ楽にする」
事ではなく、患者さんに御自分で選択をして頂くことだと
私は思っているからです。

搬送先の病院にも、なかなか受け入れてもらえない事があります。
病院の救急担当者から、決まって言われることがあります。

「先生、その方はDNRの患者さんではないのですか?」

病院の先生、看護師さんの立場も理解しています。しかし、
DNRとは蘇生の差し控えであって、「搬送しない」「何も治療
しない」ではないはず
です。

「自宅看取りとカルテに書いてあります」

…分かっています。でも患者さんは、今は、貴院での
治療を望んでいるのです。患者さんや家族の気持ち、
意思は揺れ動くものなのです

在宅医療は、特に医療者には自宅で看取りになれば「成功」、
最終的に搬送になれば「失敗」として評価される事があり
ます
。しかし私は「在宅医療の成功・失敗は、在宅療養の
価値はそこですか?」という疑問があります
。あくまで
患者さんが御自分の意思で療養場所を選択し、出来る限り
苦痛なく過ごす。不幸にも自宅にいられないような急変が
起こってしまったとしても、それまでの期間好きな場所で
過ごせたこと、その過程だけで十分価値があったのでは
ないでしょうか。

終わらない抗がん剤治療

意思決定支援 書籍紹介

訪問診療・緩和ケア医として出会う患者さんの中には、病状が
進行し、およそ適切ではないと考えられる時期でも抗がん剤
治療が続いている事があります
。しかも、これはめずらしい事
ではありません。当初は効果が期待されたであろう抗がん剤
患者さんの状態が悪くなると副作用ばかりが目立ち、抗がん剤
ために、逆に命が縮んでいるのではないか、あるいは症状が少なく
良い時間になり得るはずの時間が副作用による苦しみの時間に
なっている
。そう感じる事がある医療者は私だけではないはず
です。この話題について、私が過去にブログで書いた記事の
リンクを以下に貼ります。

いつまで抗がん剤を続けるか
緩和ケア病棟24時:いつまで抗がん剤を続けるか - livedoor Blog(ブログ)

いつまで抗がん剤を続けるか②
緩和ケア病棟24時:いつまで抗がん剤を続けるか② - livedoor Blog(ブログ)

上記旧ブログの内容をまとめてお伝えすると、ダラダラと抗がん剤
が続いてしまう背景には、病状とEndpointの設定が開始時に
定まっていない
から。また患者さんの多くは「正確で合理的な
判断」が出来なくなっているから。解決策として、「オタワ
意思決定支援ガイド」というツールの使用を提案しています。

このブログでも触れて来たように、患者さんの心理状態は一般に
考えられているよりも深刻な状況にあると考えれます
。副作用の
情報が頭に残らず、とにかく治療を続けて下さい、と懇願する
患者さん、ご家族が多いのではないかと推測します。

もちろん患者さんには知らない権利があります。知らせたく
ないという家族の気持ちも分かります。しかし、よく分から
ないまま続けるには、抗がん剤はしばしば、あまりに
デメリットが多いです
。通常、スタンダードと考えられている
抗がん剤は効果が大きく副作用が小さいものが選択されます。
その薬が効かないとなると、次に選ばれる薬は効果か副作用
の面で劣っている場合が多いのです。

そうなると徐々にメリットが減りデメリットが増えてくる中で、
継続/中止の判断は本来は抗がん剤治療を行う医師の責任は重大
になります。しかし、ただでさえ多忙である治療医はひとり
ひとりに何度も説明をする、気持ちの揺れに寄り添い待つ、
という時間の余裕はないと思います。抗がん剤が終了する、
という事が何を意味するのか。それを告げることは治療医に
とっても言いだしにくい事も容易に想像出来ます。

するとここで、このような疑問が沸かないでしょうか?
中止を切り出せない治療医と、とにかく治療を希望する
患者さんやご家族にだけ任せていては、治療が終わらない
のも無理はない
。誰かが間に入って、医師の負担と患者
さんの理解を助ける事は出来ないのか。実はこの考えは
抗がん剤だけに限らず、胃ろうや様々な延命処置にも
同様に有用である可能性があります

ひとつの選択肢として、私は「医療コーディネーター」
のような仕事に可能性を感じます。治療決定に悩んだ
時、理解が十分に出来ない時に助けを求めることが
出来ます。もちろん、本当は訪問医や緩和ケア医と
治療医がフランクに話し合える連携体制を築ければ、
それも間違いなく患者さんの理解を助けることが
出来るのではないかと思っています。
なかなか難しいのですが…。

医療コーディネーター協会
日本医療コーディネーター協会|ALCP認定ライフケア・プラクティショナー 養成講座募集|医療・介護・資格

書籍案内
医療コーディネーターについて書かれた本です

患者中心の意思決定支援―納得して決めるためのケア

患者中心の意思決定支援―納得して決めるためのケア

『末期がんは手をつくしてはいけない』

書籍紹介

この本は前のブログでも紹介させて頂きましたが、ホスピス
に勤務されていた金重 哲三先生の著書です。絶版となって
いましたが、今回Amazonkindle電子書籍)でこの本が
販売されているのを発見しました。私は過去に金重先生から
書籍をPDFで頂いたのですが、その時の感謝も込めて、今回
改めて購入、読み返してみました。

末期ガンは手をつくしてはいけない

末期ガンは手をつくしてはいけない


「理想の死」は偶然に訪れることはなく、覚悟と感謝がなければ
良い最期を迎えることは難しい
。結局のところ、「ほとんど患者
さんを苦しめるだけに終わる」医療にすがった結果、患者さんの
成長と感謝の機会が奪われ、絶望と怒りの中で死を迎えることに
なる
。金重先生の考えは同じくホスピス医であった私にはとても
良く理解出来ますし、多くの医療者もそう感じるのではないで
しょうか。

しかし、金重先生の意見は尤もであると同時に、厳しい。がんの
終末期にある患者さんに「これでもか」と正論を突き付けるのは
どうなんだろう。みんなが強い訳ではなく、病状を受け入れ
られる訳ではないのではないと思います。確かに、患者さんが
病状を「受容」し、感謝して亡くなるのであればそれに越した
事はありません。ただ、こんな聖人のような亡くなり方を暗に
要求されるのは、患者さんにとって辛いかもしれないなぁ、と
私は思ってしまいます。

だいたい、「受容」って全員に必要なんでしょうか?

昨日のブログでも、「余命告知」を「受容」出来た方は少数で
あった、という話をしました。これらの受容出来ない患者さん
に対して、「何が何でも分からせようとする」のではなく、
「希望するから」とガイドラインに沿って抗がん剤をただ
使って行くのでもなく、それぞれの患者さんに何がベストかを
常に共に悩み続ける姿こそ、Beingであり私の理想の医療者の
あるべき姿なのです

話が著しく脱線ましたが、この本は患者さん御本人よりもむしろ
御家族に読み、理解して頂きたい本です。「家族の気持ち」を
優先し、そのために御本人が苦しみ続けることは、やはり違う
と思います。そして、出来れば御自身も御家族も病気ではない
段階で、本書のような考えを(全て賛同するかどうかは別としても)
知って頂くことは将来医療を受ける上で間違いなく選択肢が
拡がるのではないかと思っています

余命告知が患者さんに与える影響

意思決定支援 文献

本日は「余命告知」について。今日のお話は、2015年11月
に『Journal of Clinical Oncology』という雑誌に載った
以下の論文に沿ってお話をさせて頂きます。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4737862/

この文献は非常に有難いことに右上のPDFを選ぶと、無料で
フルテキストがPDFファイルのかたちで読むことが出来ます。

さて、まず「余命」と言っても医者はエスパーではないので
厳密には「生存期間中央値(MST)」のことで、例えば
「余命6か月」と言われても6か月の時点で半分の方は
生存している訳です。なんとなく6ケ月でみんな
亡くなってしまうという意味に捉えている方も多いようなので。

この調査は590人の進行がん患者さんに対するコホート
研究です(結果的に平均生存期間は5.4ヵ月)。

まず、驚いたのは患者さんの7割超が余命告知を望んでいた
にも関わらず、 調査の際に余命についての説明を覚えていた
患者さんはわずか17.6%だった
という事です
。覚えていても
話せなかった?のかどうかは定かではありませんが…。

また、余命について考えている患者さんは極めて楽観的で、
ほぼ半数が実際よりも2年以上長く、29%が5年以上長く
考えていたそうです
。この傾向は、当然ですが余命告知を
希望しなかった人達で顕著でした。

この調査で、余命告知を覚えていた人達について、まず
生存期間には差がありませんでした。次に、生存期間に
ついて実際とのズレが少なく(告知前と比べ平均で
17ヵ月余命を短く考えるようになった)、心理テストや
アンケートを用いた調査では悲観、不安のスコアに差は
なく、医師との関係の悪化もありませんでした
。患者さん
余命延長よりも緩和に関する治療を選択する傾向があり、
心肺蘇生の希望も減りました(DNRは2.5倍)

確かに余命告知が大きなマイナスがなく、患者さんはより
現実的で適切な判断が出来た、とここからは読めます。
しかし一方で、余命告知を希望しない、あるいは告げられ
たが覚えていない患者さんもたくさんいらっしゃる
事も
また、ここから読み取れることを忘れてはいけません。

「セデーションの是非」論争に思う

看取り

一昨日、昨日とセデーション(鎮静)についての話をさせて
頂きました。その中でさらっと触れた、『深い持続的な鎮静
CDS)の是非』について、本日は少し掘り下げてみたいと
思います。

まずは平成28年1月に放送された、クローズアップ現代の記事
をご覧ください。

www.nhk.or.jp


「深い持続的な鎮静」と「安楽死 /自殺幇助」は、明確な
違い
があります。それは、ガイドラインにもある通り

1.目的が違う…鎮静は患者さんの耐え難い痛みを取るのが目的
2.使用する薬剤が異なる…鎮静で用いられるのは睡眠薬
抗精神病薬・抗痙攣薬であり、患者さんの命を終わらせる
「毒物」ではない。
3.成功した場合の結果が違う。鎮静の目的は「患者さんの
死」ではなく、苦痛の緩和である。

この他に、「相応性」として、

1.耐え難い苦痛がある
2.苦痛は主治医単独ではなく医療チームにより治療抵抗性
と判断されている。
3.原疾患のために2~3週以内に死亡が生じると考えられている

が挙げられています。死が目前であり、複数の専門家に
より判断されている
ことも、単なる安楽死・自殺幇助とは
明確な違いだと思います。

とは言え、これらの違いは個人の経験や知識、感性によって
「明確に違う」と考えるか「いやいや、同じでしょ」に
分かれるものなのでしょう(だから、議論があるわけで)。
また、それぞれのケースを「耐え難い」、「治療がない」、
「余命2~3週いないである」の部分も、関わる医療者の
知識や考え方に随分と左右されてしまうものでもあります。

ただ、明確な代替案もなく闇雲にCDSに反対するところ
で議論を止めてしまうのは、「苦しむ患者・家族は我慢しろ。
知ったことではない」と言っているに近い
、ということも
忘れてはいけません。

また特に「密室」である在宅において、妥当な検討がなされて
いるかどうがこの番組の中で問いが投げかけられているように
思いました。緩和医療学会でも「鎮静」はより慎重に行われる
べき
、との方向で議論が進んでおり、今後は在宅での鎮静
についても言及することになるはずです。このような議論
は必要ではありますが、一方で「慎重」「我慢」「努力」
が美徳のこの国では、逆に「安易にCDSを避ける」流れに
ならないよう注意する必要があります

この番組に出て来た小笠原医師。1000人の看取りで鎮静は一人だけ、
とおっしゃいました。「町医者日記」の長尾先生も、1000人超の
在宅看取り中、鎮静は経験がなく、考えた事もないとおっしゃって
います。こうした、極端な「在宅では鎮静は不要」論を
唱える先生
は、もし新城医師の代わりに御自身が「義隆さん」
の主治医だったらどうしたのでしょうか。新城医師は高度な
緩和医療のスキルを持つ先生ですが、「もっと良い方法」を
御存知なのでしょうか。それならそれで、「もっと良い方法」
を啓蒙して頂きたい。そうすればCDSの議論自体が不要になる
でしょう。正直、新城医師と小笠原医師では診ている患者さんの層が
違うのでしょう、というのが同じく在宅医である私の感覚です。

私は、鎮静が考慮され得るほど辛いご経験をする患者さんは、在宅
でも少数ならがいらっしゃると思います。医療者がCDSを悩まず、
躊躇せずに実施するようになってしまうと、それは安楽死や自殺
幇助に近いものになってしまうかもしれません。鎮静は医療者が
患者さん、家族と共に悩み、悩み、悩みぬいて考慮される選択肢で
あるべきですが、その選択肢が本当に必要な方から奪わないで
頂きたいと強く願っています

セデーション率0.05%の病院

看取り

セデーション(鎮静)の話題をもう少し続けさせて頂きます。
セデーションって何でしょう?という方は、昨日の記事で
説明しましたのでご参照下さい。

さて、本題に移ります。
半年程前にMedical Tribuneで、東札幌病院における深く
継続的な鎮静(CDS)の施行率がわずか0.05%であるという
私にとって衝撃的な記事がありました。在宅なら、まだ
分かります。患者さんは不安や孤独感が少なく持続的な
鎮静が必要な方は非常に稀だからです。また、本当に
強い苦痛が消えない方は入院になる可能性が高い、という
強力なバイアスもかかります。

medical-tribune.co.jp

同記事にもあるようにホスピスでのCDSの施行率は最近でも
一般的に15%程度
と言われています。ですからにわかには
信じ難いというのが最初の感想です。残念ながらその理由
について記事の中では詳細が語られていません。ちなみに
私がホスピスに勤務した5年間では、後半は6~8%くらいでした。
これでも、CDSを回避しようと頑張るあまり患者さんに無理を
させてしまったかなぁ、という反省も多々ありました。
0.05%は殆どゼロ、患者さんのあらゆる苦痛はほぼ完全に
コントロールし得る
ということになります。

CDSは昨日も述べた通り、苦痛を著しく減らすと同時に患者さんの
QOLを完全に奪う方法であり、これをいかに回避出来るかが緩和
ケアチームの力が試されるところ
だと思います。ただ、詳しくは
分かりませんが0.05%を実現するためには病棟が一丸となり、
セデーションを回避するために何が出来るかを考え、徹底的に
患者さんの苦痛に寄り添うなど、日々相当な努力をしていること
は間違いありません。また輸液の実施やCSD以外のセデーションの
実施などどの程度行われているのかも興味があります。

全ての緩和ケア従事者にとってCDSを最大限回避する、という
目標を持つべき、というならその通りだと思います。しかし、
CDSは非人道的」「行うべきではない」という考えは賛成
しかねます。それでは、苦痛が緩和出来なかった患者さんは
「我慢をしなければいけない」ことになるからです。CDS
適応でありながら実施されないのであれば、そちらの方がずっと
非人道的です。「CDSを回避すること 」 そのものが目的ではなく
CDSが不要なくらいに完璧に苦痛をコントロールする」こと
こそが大切なのです。

ただ、私が患者であれば、「決してCDSをしないホスピス
よりも、苦痛緩和に最大限の努力を行いつつも、「必要と
考えたら大胆にCDSを実施してくれるホスピス
の方が安心です。
「私はCDSはしない」等の医師の信念や死生観よりも、
私の気持ちを大切にして欲しいと思います。
皆さんはどう考えられるでしょうか?

在宅でのセデーション事情

看取り

今日は訪問診療におけるセデーション(鎮静)について私の
経験から話をさせて頂こうと思います。まず、セデーション
を御存知ない方のために説明させて頂くと、

患者さんの苦痛緩和を目的として意識を低下させる薬剤を
投与すること。または苦痛緩和のために薬剤によって生じた
意識低下を意図的に維持すること。

を言います。セデーションにはその様式によって、一定期間の
鎮静の後に覚醒して頂くことを意図して行う「間欠的鎮静」と、
中止を定めずに意識低下を維持する「持続的鎮静」に分類され
ます。また鎮静の深さとして「呼べば覚醒する」程度の「浅い
鎮静」と、完全に深い眠りに導く「深い鎮静」があります。
特に深く持続的な鎮静(continuous deep sedation;CDS
は苦痛をほぼ完全に取り除く事が出来る一方、患者さんのQOL
を完全に奪ってしまう方法
として是非が議論されます。
私はセデーションを回避することが緩和ケア医・看護師の腕の
見せ所だと思っています
。実際、ガイドラインでも鎮静は非常に
慎重な議論に基づき使用されるべきであるとしています。
しかし、経験上呼吸苦は時にどうしても鎮静が必要になります。

ちなみにセデーションはよく安楽死と混同されますが、前者の
目的が「患者さんの死」である事に対して、後者の目的が
「苦痛の緩和」である事が明確に違います

在宅では通常、セデーションを考慮する余地すらない事が多い
です。意図的に意識を落とさなくても徐々に眠りが深くなり、
殆どの患者さんは病院とは比較にならないくらい楽そうです。
しかし例外的に呼吸苦が強い患者さん、若く高カロリー輸液を
続けていた患者さんは、結果的にCDSになってしまった方が
いらっしゃいました。

また、昨日のエントリーでもお話した「独居の在宅死」では、
苦痛が残った状態では患者さんは不安なものです。私も、
自分なら考慮して欲しいな、と思う時には選択肢として提示
することはあります。この場合まずCDSは不要で、浅い
鎮静や一時的な鎮静(と、言うより経口摂取が出来ない方に
眠剤を使う感覚に近いかもしれません)で殆ど問題ないはず
です。よく使う方法は、ダイアップ座薬6mg、ダイアップ
合わない場合はセレネース0.5~1A。これで随分楽に夜を
過ごせます。

【おまけ】

尚、深いセデーションについて持続皮下注が無理なら、
ワコビタールが良いです。

初回200mgを挿肛した後、100mgを1日2回程度で使用
深い鎮静が得られたら多くは50mg1日1回

これで殆ど問題ないと思います。もちろん体重や素早い鎮静
を考慮されているなら適宜増減、他の鎮静剤を併用します。
ちなみに点滴していると、十分な鎮静が出来ないことも。