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Not doing but being

在宅緩和ケアの普及を目指して

「人は死ぬために生きる」のか

今はなくなってしまいましたが、以前『桜町病院 
聖ヨハネホスピス』のホームページにアクセスすると、
「ホスピスはあなたらしく生きる場所です」という
メッセージが流れていました。

ホスピスはしばしば「死ぬ場所」と考えられていますが
本当は「苦痛を和らげて、自分らしく生きる場所」なの
です。同じようにがんの末期の方が自宅に退院する時、
「家で死ぬことを選んだ」と表現されることがありますが
これも違います。家で生きることを選ばれたのです。

表現が違うだけじゃないか、という方がいますが、
私にとっては

「人は死ぬために生きている」

と同じくらい、的外れな表現です。
…違いますよね。人は笑ったり、愛を語ったり、趣味を
楽しんだりするために生きている。私はそう思って
います。がんの患者さんも同じです。

これは一般の方だけでなく、医療者にも理解されていない
と感じることがあります。「緩和ケア」「疼痛コントロール」
に興味を持つ医療者が増えたことは素晴らしいことですが
「苦痛をとること」には熱心でも「患者さんが生きること」
には関心が少ない方も多いように見えます。
「痛いから痛み止め増量」がautomaticに行われているとしたら
それは本当の緩和ケアとは言えないのではないかと思います。

「苦痛ゼロ」が最高の目的であれば、最高の治療は「Deep
Sedation(深い鎮静)」になるはずです。しかし、これでは
患者さんのQOLはゼロになってしまいます。目的は自分らしく
生きる、であって、苦痛の緩和はそのための手段に過ぎません

大きな苦痛を、「その人らしく生きる」ことが出来る程度まで
軽減することが緩和ケアチームの役割ではないでしょうか。
もちろん、どんなに眠くなってもいいから痛みをとって下さい、
という患者さんもいます。それはそれで良いと思います。

実は私は冒頭の『聖ヨハネホスピス』の山崎章郎先生の著書
『病院で死ぬということ』を読み、ホスピス医になりたいと
思ったのが医師になろうと決めた切っ掛けでした。

しかし研修医時代に出会ったホスピスの先生から、
すぐにホスピスに行くことだけは止めた方が良い。
生きようと必死にがんと闘っている患者さんを診ていない
人間がホスピスに行くと、おかしなことになる

とアドバイスを頂きました。これは本当にその通りだと
思いましたし、今でも思っています。

医療リテラシー

リテラシー(literacy)という言葉を頻繁に目にするように
なりました。これを読んでおられる多くの方々に今更説明
は不要だと思いますが、一言で言えば情報を理解・解釈し、
真偽や有益性を吟味し、人生に役立てていく能力を言います。
特にメディア、経済、ITの分野で盛んに使われています。

「経済格差」は「情報格差」と言われていますが、これは
医療にも当てはまる部分があります。実際、「医療リテラ
シー」、「ヘルスリテラシー」という言葉もあり、情報を
持たない患者さんは、治療の選択肢が狭まったり、あるいは
苦しいだけの余計な治療を受けるはめになってしまう。
そういった事は残念ながら日常的に起こっています

昔は、「素人は医療に口を出さない方が良い」という風潮
が今よりも強く、「先生にお任せします」が当たり前でした。
しかし、医療を受ける患者さん側も、考えを持った方が良い
という当たり前のことがようやく言われるようになったの
です。時代は大きく変わった今、「お任せします」はとても
危険な言葉です

しかし、「より良い」選択をするには知識が必要です。
もちろん、細かい手術の方法や数多くの薬の知識を持つ
ことを言っている訳ではありません。しかし、例えば
がんの患者さんが抗がん剤を勧められた時、その治療の
目的すら曖昧なままに治療がスタートする、等ということ
が現実には起きています
。患者さんは病気が治ると思って
受けた治療が、実はうまくいっても寿命を3か月伸ばす
程度だったりするとしたらどう思われますか?

また、実際には効果の乏しい「免疫療法」に何百万円も
つぎ込んでしまう患者さんがいます。効果が乏しいことに
加えて、病状が悪化した時にそのようなクリニックが責任
を持って診てくれる可能性は殆どありませんので、
投げ出されてしまった患者さんが今更前の病院にも戻れない
という悲劇が実際に起こっています。

「胃瘻」に代表される延命治療もそうです。実際に胃瘻を
受けている患者さんにどんなメリットが、デメリットが
あるのか。介護は誰がやるのか、身体的・精神的なサポート
体制はどうなのか。いくらお金がかかるのか。そういった
知識がないうちに、言われるがままに胃瘻の治療を選択
してしまった患者さん・家族の苦しみを今まで嫌という程
みて来ました。

これらの知識を、病気になってから手に入れれば良いと
考えていても、実際にはとても難しいことです。病気や
考える力や気力を奪いますし、感情的にも混乱した状態
で、限られた時間の中で必要な知識を吟味することは
容易ではありません。

「終活」という言葉があります。元気な方が御自分の
死に際について考えることなど出来るのか、という批判も
あると思いますが、このような機会を持つことで将来
何らかの助けになる可能性は十分にあります。「延命」
について考えがある方は、しっかりと文章にして、
大切な人に伝えておく
事はとても重要です。それは御自身
を守るだけではなく、大切な人の苦しみを軽減すること
でもあるからです。

今後こちらのブログでも胃瘻や延命をテーマにした話を
していく予定です。お時間ある方はお付き合い下さい。

医師に出来てAIに決して出来ないこと

昨年から今年にかけて、AI(人工知能)に関する記事、特に
医療においても積極的にAIを活用していこうとする、あるいは
既にこんなことが研究されているという記事を目にするように
なりました。

AIの性能はまだまだ発展途上もいいところですが、たとえば
IBM Watsonが診断の難しい白血病の患者さんを正確に診断し、
治療のアドバイスまで行った
という話がありました。

japanese.engadget.com

このように特にがん治療の選択や生活習慣病の指導などは
数多くの論文に瞬時にアクセスしデータを引っ張ってくる
ことで人間を越える働きが期待出来る分野と考えられます。
他にも血管の位置を同定し採血をしたり、手術を行うロボット
も研究されています。医師にとって代わる事はまず無理だと
思いますが分野によっては大きな助けになり得ることは疑いの
余地がありません

少し前になりますが、人工無能「イライザ」というものが
ありました。利用者の打ち込む言葉を覚えて、ランダムで
言葉を繰り返したり関連する話題を並べるだけです。
イライザは精神カウンセリングの手法を取り入れ、 相手の
言葉を反復して質問することで会話を続ける対話プログラム
だったそうです。興味深いことに、イライザと会話した多くの
人々の心の中に、 イライザは自分を理解してくれた、と
いう幻想まで抱かせてしまった
そうです(!)。

こんなお粗末なプログラムでも、人間が癒される可能性が
あるのであれば現在の、相手の表情から感情を推測したり
色々な言葉の認識も可能になったAIであれば、いつか
カウンセリングで活躍するAIが生まれるのかもしれません。

しかし、AIに決して絶対に出来ないことがあります。
それは「共感」です。「共感したように反応」することは
出来るかもしれませんが、それはそう見えるだけです。
医師は人間だからこそ、患者さんの苦しみを慮ることが
出来、共に悩み、心を痛め苦しむことが出来るのです。
AIは病気になりません。老いもなく、衰弱し亡くなる家族も
いません。

もちろん、「共感」は人間であれば無条件に出来るもの
ではありませんが、出来る可能性はあります。
医療が人間の苦悩と切っても切り離せない関係である以上、
医療にとって「共感」は決して不要になることはない、
そして人間である医師にこそ求められることなのではないか
と私は思っています。