Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

患者さんに『寄り添う』とは

私が訪問診療医として特に大切に考えていることは
「対話」です。ですので私は一人当たりにかける
時間は数十分、移動を合わせ一時間程度時間がとれる
ようにしています。御本人が会話が出来ない方では
御家族と。そしてメールや電話でも殆ど私自身が対応
し話を聞くようにしています。

そして極力、患者さんの価値観や考えを大切にしよう
と心掛けています。しかし、その考えや価値観が、
医療者である私のそれとは大きくかけ離れている時、
やはり葛藤を感じることがあります。
たとえば、効果が殆ど期待出来ず、逆にリスクの高い
段階での抗癌剤治療、エビデンスのない高価な免疫
療法を患者さんが希望された時。老衰の患者さんに
対する御家族の延命治療の希望や、嚥下の能力がない
患者さんに食事を摂らせようとする御家族。
余命が非常に限られた段階でも家族に何も伝えていない
患者さん。危険な状態で仕事に行こうとされる患者さん。

先日、『カウンセリング』を引き合いに医師の役割に
ついて考えた記事を書きましたが、やはり自分達の持つ
知識や経験をもとに、あるいは価値観や死生観をもとに
私達は何もアドバイスをせず、ただ傾聴、共感で終わり
には出来ないところがあります。先ほどの例で言えば、
トイレに移動することもままならない患者さんが、免疫
治療を受けるために必死に介護タクシーで受診しようと
されている時、私達はそれを肯定し笑顔で送り出せるで
しょうか。

私が先日、このような葛藤を覚えたお話を先日お書き
しています。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

もちろん、「それも良いではないですか、何か問題ですか?」
と考える医療者がいるのかもしれません。医療者の間でも
考え方や価値観は様々です。

ただ、『寄り添う』は何も患者さんの考えを無条件に
肯定することを指している訳ではない
と私は考えています。
真剣に話を聞き、「気持ち」を肯定すること。それに対して
医療者として、一人の人間として患者さんとは異なる考え
をお伝えしても、それは寄り添っていない訳ではないと
思います。実際、患者さんと医療者は別の人間であり、
知識も経験も置かれた立場も全く違います。ですので、
真剣に近付けば差異を感じるのはむしろ当然なのです

もっと言えば、寄り添っているから葛藤が生まれるのです。

緩和医療における「鎮静」などは医療者によっても考え方
や信念に大きな隔たりがあると思います。
また、何が何でも在宅が良いという訪問診療医では、時に
家族や患者さんがしんどくなってしまう事があります。
医療者は譲れない軸を持つことは良いことですが、
譲れるところ、譲れないところを意識し、場合によっては
合う医療者を紹介し交代することも患者さんのためになる
かもしれません。