Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

BSC(ベストサポーティブケア)という言葉

病院の先生からの情報提供書に、「BSCの方針となりました」、
「BSCを選択されました」等という言葉が書かれていることが
いつしか増えて来たように思います。BSCはBest Supportive 
Careの略ですが、抗がん剤や手術などの有効な治療がなく、
「今後患者さんに積極的な治療を行わない」を指すことが多く、
サポーティブケア、つまり苦痛を和らげる治療のみを行って
いく、というニュアンスです。「治療を行わない」とは書かず
BSC等という言葉を使う辺りがオブラートで包む日本人らしい
表現だと思いますが、しかしどうもこのBSCという言葉、
私には違和感がありました。緩和ケア医としては、「サポーティブ
ケア」は緩和ケアと同様の概念なので、「治療中止と関係なく
行われるべきもの」だと思うのです。

さすがに「(治療が終わったから)あとは緩和ケア」という
言い方をする先生は少なくなりました。「緩和ケアは終末期に
限ったものではない!」と私達が色々な場所で口を酸っぱく
して言い続けて来たので、治療している先生方も「頭では」
そのことを理解して下さっているのではないかと思います。

しかし、では言葉を替えて「サポーティブケア」にすれば
問題ない、のでしょうか。どうも先生方の心の奥底ではやはり、
(積極的治療が終わったので)あとはサポーティブケア
≒緩和で」という思考から脱していないのではないかと感じる
のです。そうでなければ、治療が終了した患者さんに対して
ベストサポーティブケア等という言葉を使うでしょうか。
サポーティブケアもまた化学療法等と並行して行われるべき
ですし、それが「ベスト」なのではないでしょうか。

「呆け」を「認知症」とよぶようになっても、「ニンチ」
等と侮蔑するような言い方では受け手の傷が変わらないのと
同じで、「あとは緩和ケア」を「あとはサポーティブケア」
と言い換えても、受け取る側が受けるメッセージは同じです。

治療の選択肢がないのであればそこに「あとは緩和」的な
メッセージを入れず、「積極的治療は終了となりました」
で良くないですか?いい加減、緩和ケアは終末期に限った
ものではなく、治療と並行して行なうのが常識、という
ことをまずは医療者だけでも徹底して理解して頂きたいと
願っています。

安心して死にたいと言える場所

『だから、もう眠らせてほしい』
以前私が紹介した西 智弘先生のこの本。
安楽死について緩和ケア医としての考えや葛藤をまとめた
素晴らしい内容です。ちなみに私が以前に紹介した記事は
こちらです。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

今回はこの本の中の、8章に当たる、松本 俊彦先生との
対談を取り上げてみたいと思います。松本先生は自殺対策
に取り組んでいる精神科医です。対談の全てが、前半部分
も非常に興味深いのですが、恐らく松本先生が最も伝え
たい内容、「安心して死にたいと言える社会」という箇所
に注目してみたいと思います。先生は、「自殺したい
人がゼロになる社会は想像出来ない」としながら、こう
続けられます。

人生終わりにしたい、と思っている人たちに、少しでも
関われるチャンスを作るにはどうしたらいいかってことは
いつも考えている。僕は『安心して死にたいと言える社会』
が必要だと思っているんですよ。死にたいと言ったからと
言って、説教されたり、叱責されたり、否定されたりする
のではなく、『もう少し話を聞かせて』っていう人がいて、
その人に関心を持って、その人の物語の証人になろうと
する人がいる社会だと思っているんですよ

とても共感出来る言葉でした。今の社会、自殺したい
人がいれば「何言っているんだ、頑張れ」とか、
「もっと辛い人はたくさんいる」とか、ひどくなると
「死にたきゃ勝手に死ね」なんて言葉が飛び交う。
皆に共通しているのは、死にたい気持ちのその人の
言葉を聴こうとしていない。自分が言いたいことを
言っているだけ
であり、そう言われるとその
先何も言えなくなってしまうのではないでしょうか。

先生の言葉は自殺について語ったものですが、私は以前
から「緩和ケア」についても同じことを考えていました。
緩和ケアも、「安心して死にたいと言える場所」である
べきだと思う
のです。
「死にたい」に限ったことではありませんが、遠慮せず
弱音を吐ける、何でも言える場所。表面的な言葉だけを
捉えて安易に否定されたり、解決法を提案して口を塞ぐ
のではなく「どうしてそう思うのか」を丁寧に聞いて
くれる場所。

もちろん、語ることを望まない人もいるでしょう。大切な
ことは相手が何を望んでいるのかを想像する、汲み取ろう
とする気持ちや余裕だと思います。

『死亡直前と看取りのエビデンス』

今日は久し振りの本の紹介です。全く新刊ではないです。
過去にTwitterでも紹介したように記憶しています。
既に読まれたという方も多いかもしれませんが、まだ
の方は是非お勧めしたい本になります。

死亡直前と看取りのエビデンス

死亡直前と看取りのエビデンス

内容は医療者向けですが看取りを考えている御家族の
方も、知識を持つことで色々な備えが出来るのではないか
と思います。今の日本は、亡くなる方の殆どが病院であり、
亡くなる過程についての経験・知識が本当に少ないと
感じます。これだけ情報がたくさんある時代でも、
看取りに関しては直接関連のない方にはあまり興味を
持たれないのも理由のひとつかもしれません。

森田先生の本はいつもとても興味深いですが、この本も
例外ではありません。医療者であれば、下顎呼吸や
死前喘鳴が出現すれば患者さんの死が間近であることは
分かります。しかし、たとえば下顎呼吸が出現する頻度、
また下顎呼吸から患者さんが亡くなるまでの平均時間を
知っている医療者はどれだけいるでしょうか。
この本によると、下顎呼吸が始まってから亡くなるまで
の平均時間は2.5時間であるそうです。しかし5%は24時間
以上、この状態が続きます
。こうした正確な知識を持つ
ことで、多くのご家族の疑問に答えることが出来ると
思います。

しかし一方で、バイタルサインはあまりアテにならない
ことも記されています。もちろん、亡くなる直前になると
血圧が下がり、脈拍が上がり、SpO2は低下して測定が
難しくなります。しかし亡くなる前日までは正常という
方も多く、3日以内の死を予測する判断材料としては
あまり頼りにならないことが示されています(感度は
35%以下)。

単に自然な死の過程を学ぶだけでなく、「輸液」が
QOLや余命にどう影響するのか、「鎮静」は余命に
影響するのかといったことも解説されていますが、
個人的に興味を持ったのは、終末期の蘇生の成功
に関するエビデンスです。まず、病院内で心肺停止
になった患者さんの場合、蘇生し退院出来た方は
6.2%。がんが局在している方では9.5%、遠隔転移
している患者さんでは5.6%に下がります。これを
高いといるか低いとみるかはそれぞれだと思いますが、
徐々に症状が悪化して心肺停止が予測出来た患者さん
に限ると蘇生率は171例中0例であったということです

統計的に、信頼区間を計算すると0~2%ということ
ですので、やはり医療者のみならず家族が正しい知識
を持っていないといたずらに患者さんに苦痛を経験
させてしまうことになります。

ということで、医療者にとっては「何となく」知って
いることに科学的な裏付けを追加出来る本です。ご家族
には、是非詳しく知りたい!という方以外はちょっと
難しく、解説が必要かもしれません。本の中でも紹介
がありますが、看取りのパンフレットのようなもの
の方が分かりやすいかもしれないですね。

http://gankanwa.umin.jp/pdf/mitori02.pdf