Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

ACPのポスターに思うこと

厚生省の発表した、ACP普及のためのポスターに批判が
集まり、自治体へのポスターの発想やPR動画の公開を
中止にしたという記事が出ていました。

www.asahi.com

このポスターは厚生省が吉本興行へ作成を依頼していた
ものらしく、対象は「ACPは他人事」と思っている若年者
から健康な40~50代を意図しているのは明らか
であり、
そうであれば逆に長閑な風景や人々の笑顔のポスターで
あれば、全くと言って良いほどインパクトはないでしょう

吉本興行なら、多くのこれらの人々の気持ちを掴むことが
出来ると思ったのかもしれません。

しかし当然のことながら、ポスターは闘病中の患者さんや
その御家族の目にもとまります。嫌というほど自身の死
や家族の死について考えざるを得ない方々が、それでも
なんとか希望を探し、より良く日々を生きていたい、と
いう時に、このポスターは残酷でした。批判する気持ち
も当然であると思います。

健康成人に向けたACPと、療養中の患者さんに向けた
ACPは、実は全く考え方が違います
。前者は遠い将来に
対する仮の意思表示となり、これまでの研究で目に
見える効果はないと言われています。しかし、逆に
病気になった時は老いや病により思考力や意欲が
失われ、このポスターへの批判が象徴するように不安
や恐怖で自身の死を前提とした話し合いの準備が
最後まで出来ない方も多い
のです。

どちらも難しい面を持ってはいるのですが、私はむしろ
健康な成人にACPを積極的に知って頂き、体験して頂く
ことを期待しています
。これは、ADやACPというもの
が「何か」を知って頂く機会であり、自身の将来を
考えた時こそが、延命や死に対する知識を得るチャンス
でもあります。その知識は将来、自分自身だけでなく、
親や配偶者、治療を考えるうえで影響を与えることに
なるのではないでしょうか

「厚生省が推進している」ということから、不信感や
警戒心を持つ方が多いようですが、ACPとは患者さん
本人と信頼する他者(家族・医療者・友人)との対話
を行うこと
に他ならず、何かを決めることでもなければ
誰かに強制されて行うものでもありません
。ですので
ACP自体は批判を受ける内容ではなく、患者さんの
より良く生きるために、また愛する家族を必要以上に
苦しめないために話し合う「権利」に他なりません

そして「人生会議」という言葉も、(採用したのは
厚生省かもしれませんが)ICUで働く若い看護師さんが
日々苦しみながら亡くなる高齢者を看て、「これが、
患者さんが望んだ最期なのだろうか、患者さんが
望む生き方や最期を家族と気軽に話し合えたら」
という
願いを込めて考えた名称です。

ACPが普及しなければ、私も皆さんも認知症になり、
あるいは重い怪我や病気で会話が出来ない時、選択
家族と医療者にお任せで本当にそれで良いですか

ポスターに反対するのは良いですが、このような
状況に、誰でもすぐにでもなる可能性があります。
考えることが出来るうちに考えおく、メリットは
計り知れないほど多いと思うのですが。