Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

鎮静で苦痛はとれているのか

終末期に鎮静を行っていても患者さんは苦しそうだという話
を聞くことがあります。痛い、つらいのに声が出せない、と
いった御自身の経験などから「苦しいのに声をあげられない
のでは…」と心配する声も聞きます。

基本的には、鎮静を開始するよりは楽になっていると思います。
それは、開始した鎮静を中止した経験からの推測です。
単純には言えないかもしれませんが、だいたい鎮静を中止した
時には苦痛が強くなりますし、少なくとも家族からも本人からも
もう鎮静をしないでくれという声は聞いた記憶がありません。

基本的に苦痛が対え難く、他に軽減する方法がなかったから
こそ鎮静が開始になったのであり、鎮静を止めたからと
いってより良い状況には出来ないと思います。

また、一言で鎮静と言っても、いわゆる会話も出来ない深い
持続的な鎮静を最初から行わず、「ウトウトはするけれども
苦痛はない」という調節型鎮静(浅い鎮静)
が試みられる
ことがあります。私もよく使う方法です。誤解されやすい
ですが鎮静の目的は「亡くなるまで深く眠らせる」ことでは
なく「苦痛をとること」です。
この調節型の鎮静を選ぶのは
うまくいけば、自然な看取りに近い理想的なカタチではないか
と私は考えているからです。

しかし、この調節型鎮静、ウトウトするだけでもだいぶ楽そうに
見えることも多いのですが確かにどっちつかずの中途半端に
なってしまう可能性もあります。思い切り良くバルビタール
等を使ってRASS-5を目指すのであれば、ずっと確実に苦痛は
取り除けるでしょう。

患者さんが辛そうであれば殆どは鎮静が不十分なことによる
と思いますので、鎮静後も辛そうであれば御家族は、まず
医療者にその旨を伝えて欲しいと思います。そして薬剤の
調整や変更を相談することをお勧めします。

そして大切なことですが鎮静について、何を目指すのか。
24時間完全に苦痛をとることを目的として深い鎮静を選ぶのか、
会話が出来る可能性を期待し浅い鎮静から徐々に薬を
増やして(調節型鎮静)いくのか。

恐らく何も言わなければ状況にもよりますが多くの医療者
はまず後者を選択するのではないかと思います。御家族に
迷いがあれば尚更です。

上記理由で鎮静が始まれば即、無条件で24時間苦痛が全くゼロ
とは言えない
のです。患者さんやご家族も知っておくことで
望む治療が受けやすくなるのではないかと思います。