鎮静が必要なのは医師の技術が劣っているからか
興味深いタイトルの記事があるな、と思っていたら、大津 秀一先生
のブログでした。
色々な緩和ケア医がいますが、大津先生は最も勉強家で、何より
とてもバランスのとれた先生の一人だと思います。おこがましい
ですがとても私に近いお考えで、今回の記事も本当にその通り
だと思いながら読ませて頂きました。
前半は鎮静に関する一般的な知識、後半は私も大いに感じている
誤解、思い込みに関する内容でした。少し抜粋させて頂きます。
「提供されている緩和ケアが不十分なので、持続的な深い鎮静が
必要となる。ちゃんとした緩和ケアをすれば、持続的な深い鎮静
など必要ない」拝見していると、在宅医療をされている医師の一部からこのような
意見が時に出ている印象があります。そして、自施設では持続的な
鎮静がいらない、していない、という言葉もセットです。本当に、緩和ケアが不十分だから、鎮静が必要となるのでしょうか。
本当に、その通り!です。
確かに、安易に鎮静を選択するホスピス・緩和ケアが問題視されて
いた時代がありました。鎮静は完全な苦痛の除去と引き換えに、
クオリティ・オブ・ライフを限りなくゼロにしてしまう方法です。
出来るだけ回避しようと懸命に工夫する施設、医師のもと
では、当然鎮静率は「いくらか」低くなるものと思われます。
なので「鎮静率が低い緩和ケア医は優れた緩和ケア医である」と
いうような「空気」がひと昔前にはあったように思います。
その時代に緩和ケアに携わった医師達は、今でも「鎮静率の低さ」
が自らのアイデンティティになっているようです。
しかし、何事でも程度があります。鎮静率が「低ければ低いほど
良い」には、私も「ちょっと待って」と言いたいです。
ここは、上で紹介した大津先生のブログにも詳細な文献紹介と
具体的な数字で紹介されています。例えば、
緩和ケアの先進国と目される英国でも19%程度の施行率がある
のが持続鎮静です。
緩和ケアの歴史を見ても、各国の報告を見ても、一定の割合の
患者さんには鎮静が必要であった、ということが明らか
になっているのです。
鎮静は主治医の価値観によるところが大きく、密室の在宅ではその
傾向がより顕著になります。主治医が、「患者は苦しんでいない、
鎮静は不要」と判断すれば、鎮静率が下がることになります。
御家族も多くの死を看取っている訳ではないので、
そう言われればそういうものか、と思うでしょう。
私も、残念ながら鎮静を選ぶ時は無念さ、無力感を痛感します。
しないで済むなら、こんなに楽で嬉しいことはありません。
しかし、そんな自分の想いのために、鎮静が必要な患者さんが
必要な時に治療を受けられないとすれば、
それは許されるべきではないと思います。
鎮静率は高過ぎる場合も低過ぎる場合も、疑問を持った方が
良い、というのが私の個人的な考えです。