Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

心肺停止で救急車を呼び警察沙汰になった話

訪問診療で看取りを前提にしている場合、もし患者さんが
呼吸をしていないと分かった場合は訪問医(私)にまず
連絡をするように、と伝えています。搬送になると運ばれた先
の病院では診断書が書けないという理由で、警察が呼ばれる
のが普通です。呼ばれたからには警察は事件性の有無を確認
しなければならず、多くは御家族が容疑を掛けられているかの
ような質問責めにあい、御遺体も服を脱がせられ写真を撮られる
ことになります。場合によっては、なんと警察が自宅まで来て
介護をしていた環境を確認する
とかで自宅の写真まで撮ります。
患者さんが亡くなったことで非常に悲しい想いをしている
ところに、警察の介入はとても堪えると思います。

警察の方と話したことがありますが、これはやはり捜査であり
形式だけ、という訳にもいかないようです。御家族が患者さん
を殺害する、ということは稀ですが、虐待などは時々遭遇する
らしく、手を抜けない仕事のようです。

私の受け持ちのこの患者さんでも、とても衰弱はされて
いましたがまだまだ生きていて欲しいという御家族が、
急な呼吸停止の患者さんを思わず救急車で病院に運ばれた
ことがありました。御家族は蘇生を希望されていましたが、
搬送後の処置で回復することはなく、そのまま亡くなって
しまいました。

私は搬送後に連絡を受け、急いで病院に情報提供書を書き、
自分が訪問診療を行っており、蘇生困難の場合は死亡診断書を
お書きしますと伝えましたが、私が病院に着くと既に担当医
は警察に連絡しており、あとのことは警察と話して下さいと
だけ言われました

このケースでは、御家族が救急車を呼ばなければ私が訪問し
死亡確認を行い、問題なく診断書を書いていました。外傷の
有無などはもちろんのこと確認しますが、少しずつ経口摂取
困難が進み、全介助で言葉を発することも出来ない方であり、
いつ何が起こっても不思議ではない状況、つまり明らかな
老衰の過程でした。私が在宅で死亡診断書を書いた多くの方
と同様に、私が診断書を書くことで何も問題はなかったはず
です。

しかし、何故心肺停止で救急車を呼ぶと亡くなったあと
自動的に警察に連絡が入り、捜査を受けなければならない
のでしょう。何故訪問医が診断書を書くと言っているのに、
警察が必要になるのでしょう。咄嗟のことで、ましてまだ生きて
いて欲しいという家族の願い…それは確かに医療者からすれば
現実的な願いではないかもしれませんが…家族には自然な気持ち。
それだけで警察が介入することの合理的な理由が私にはどうしても
理解出来ませんでした。

この話には続きがあり、警察の「捜査」、具体的には自宅
を調べさせて欲しい、という申し出に、家族は強く反対
され、一時間以上、警察との話し合いが続きました。
私も非常に熱心に診ておられるご家族だったので、
捜査は法律に基づく強制的なものですか、と尋ねましたが、
明確な返答はありませんでした。結局最終的に呼ばれた警察官
が御遺体を確認し、診断書を書いて良い、ということになりました。
…つまり、捜査は任意であり、必須ではなかったのです

慣例的に(何かあると面倒だかから)病院の医師はかかりつけ
医ではなく警察を呼び、警察も(何かあると面倒だから)
ルーチンに行う捜査を一通り行う。御遺体は警察に運ばれ、
監察医が外傷等の有無を確認する。訪問医に診断書の許可が
出るのは通常その後でです。警察からすれば「これだけ
すれば(私たちは)安心」と思えるのだと思いますが、
「そういうものだから」というだけでは御家族には納得
出来ない仕打ちでしょう。

かかりつけ医が明らかに老衰の過程と考えているのに警察が
取り調べを行わなければいけないなら、本来在宅看取りは
全例必要になるのではないでしょうか。救急車と事件性が
疑われることは関係があるのでしょうか。病院の医師は、
特に事件性を疑った訳ではなかったようです。少なくとも
病院の医師とかかりつけ医が事件性はないと考えるなら
警察への連絡は省略出来ないのか、何のための訪問医・
かかりつけ医なのか。色々なことを考えた経験でした。