Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

介護における「ボディタッチ」の是非

昨日Twitterで、「介護におけるボディタッチは風俗法に
抵触するのではないか」という意見をお聞きしました。
個人的には結構ショックで、「ついにこういう時代が
来たか…」と思いました。この指摘は、看取り前の
がん末期の患者さんに対して、看護師が手を握ったこと
が、施設から「不適切な行為」とクレームを受けた
エピソードがあり、それに対する意見でした。

長い間何も問題視されず普通に行われて来たことが、
「実はこれ、〇〇法に抵触するのではないですか?」
という問題提起が起こる。これは良い場合と悪い場合
があります。この件も「拡大解釈では…」と思いつつも
私は風俗法を知りませんし、ただきっとそんな解釈を
する人は良くも悪くもこれから増えていくのだろうな、
と漠然と思いました。

もし介護において「患者の手を握る行為」が法に触れる
とすれば、『ユマニチュード』はその根本から崩れて
しまうでしょう(ユマニチュードはフランスで生まれた、
介護のスキル・哲学が体系化されたものです。多くは
日本の介護士が無意識に行ってきたことだと思いますが
私には学ぶところが多く非常に有益でした)。ユマニ
チュードでは、「見る」「話す」「立つ」と共に、
「触れる」ことを最も重要なスキルに位置付けている
からです。

また、私の尊敬する看取り士の柴田久美子さんを
思い出しました。柴田さんも著書『看取り士』の中で
患者さんの手を握り、さすり、「抱きしめて」見送っていました。

こうした例を出すまでもなく、認知症の高齢者や死を
意識した患者さんの一部は非常に強い不安や孤独を
感じています。こうした患者さんに対して「触れる」
という行為が時に抗不安薬以上の安心を与えたり、
大袈裟ではなくモルヒネ以上の鎮痛効果を与えること
すらあるのです。

ただ、その「立ち止まって手を握る」あるいは「話を聞く」
ような行為が、施設の他の職員にも求められたら…という
意見が施設側から出ることは想像出来ます。冒頭の意見を
下さったかたも、それが言いたかったようです。確かに私が
例に出したような介護法は時間や精神的な余裕がなければ
出来ないことであり、一律に全員に求めようとすれば
うまくいかないのは目に見えています。ただでさえ介護士
は人数が足りず、また高齢者からセクハラや暴力の被害を
受けている方も多く、必要以上に触れる介護に抵抗を覚える
人も多いからです。

私の考えではまず、「法」を持ち出し終末期の患者さんの
受けるケアの選択肢を狭めないで頂きたいと願います。
法で封じるのではなくまず違う方向での解決策を模索すべき
だと考えます。

また、実際に介護をする方々の事情や立場を考えずに
「あの人はマッサージしてくれた」「介護はこうすべきだ」
を押し付けようとするならば必ずその試みはうまくいかない
と思います。それこそ、法の力で介護を変える試みが出て
くるのではないかと思います。それぞれが持っている知識・
技術・考え方に応じて出来ることを分担することが大切で、
それが出来ないならば、施設は無理に緩和ケアや看取りに
手を出すべきではないです。みんなが不幸になります。

「ユマニチュード」という革命: なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか

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幸せな旅立ちを約束します 看取り士

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