Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

スパゲティ症候群とクオリティ・オブ・デス

「ピンピンコロリが良い」「眠るように死にたい」と多くの
方がおっしゃいます。しかし「ピンピンコロリ」で死を迎える
ことが出来る人は5%に過ぎない、と在宅医の長尾 和宏先生は
おっしゃっています。

「スパゲティ症候群」という言葉を御存知でしょうか。
昭和の、私が医者になる前からあった言葉ですから、平成が
終わろうとしている今の若い方には馴染みのない言葉かも
しれませんね。

病気の治療のために、胃管(胃瘻)、尿道カテーテル、点滴、
各種モニタ類で「チューブ、導線」だらけになった患者さんを
かつてそう表現した人がいたのです。患者さんの回復や社会
復帰を目指した治療であれば良いのですが、およそ回復の
見込みのない方に同様の治療が行われ、ほんのちょっとの
延命と引き換えに患者さんが大きな苦痛を経験しなければ
ならない…「スパゲティ症候群」という言い方はそんな医療
の在り方に一石を投じたい気持ちから誰かが呼び始めたのでは
ないかと思っています。

しかし病院で死を迎える時は今でもこれに近い医療が行われて
います。頻度は減ったとは思いますが特に若い患者さんの場合
はモニタや微注ポンプ、たくさんの管が繋がれるのが普通です。
皮肉なことに、「スパゲティ症候群」の名前が廃れたのは
このような延命治療がなくなったのではなく、逆に今や日常となり、
家族がこのような医療行為を求める時代になったからではないか
と思います。

しかしこの「スパゲティ化」は難しい側面もあります。昨日
Twitterで、「挿管の時点では延命に当たるか分からない」という
主旨の、医師のツイートがありました。特に救急の場では
ごく限られた時間に患者さんを助ける判断をする必要があります。
この時多くは患者さんは答えられませんので家族が治療を拒否
しない限り救命治療が行われることになるでしょう。結果的に、
「スパゲティ化」の可能性が高いとしても、です(ただそもそも、
このまま看取るという覚悟がある家族の多くは患者さんを病院
に搬送することもないと思われます)。

そして更に難しいことに、確かに医療者が延命でしかないだろう、
と考えて治療していても、患者さんが奇跡的に回復されることが
ゼロではないのです…ただ元通り元気、は難しく寝たきりで胃瘻、
入退院を繰り返すような経過となることも多いのですが…。

医療が語れるのは「確率」です。医療やの知識や経験から処置の
可能性と限界・合併症(期待しない結果も含め)を聞き、
選択したり拒む権利を患者さん、家族は持っています。しかし、
救急医療の判断の多くは「分・時間」の単位でしなければならず、
普段から考えたことのない一般の家族では延命となる「可能性が
高い」医療を断るのは難しい。このような時は家族は混乱し感情的
になっている方も多いのでますます判断は困難です。

家族の意見が分かれていれば尚更です。こういう時は結局、
「延命治療派」が勝つと相場が決まっています。治療が絶対的
正義と考える人はぶれないのに対して、「延命はかわいそう」
と考える家族には迷いがある
からではないかと思っています。

繰り返しになりますが、私達は予め「何かが起きる」前に自分の
意思を残したり、両親から気持ちを聞き、文章や音声に残すことが
出来ます。このことによって希望しない治療を受けずに済んだり、
家族を余計に苦しめないで済むことが多々あるのです。「スパゲティ化」
や延命となるリスクを負っても、可能性にかけたいという人も
いるでしょう。ただその正しい判断のためには先述の「確率」に対する
なるべく正確な知識
を持つことが望ましいのです。

この問題について是非考えてみたいという方は、長尾先生のこの
本をお勧めします。

平穏死できる人、できない人  延命治療で苦しまず

平穏死できる人、できない人 延命治療で苦しまず