Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「どちらが、本人がより幸福か」という軸

胃瘻造設に当たり、多くの患者さんは自分の意思を表現
出来る状態にないため、家族が決断を迫られることが
しばしばあります。「延命」か「実質的な患者の死」を
限られた時間の中で決断しなければならない苦悩は
計り知れないものがあります。

また、少し異なるケースですが緩和ケアで「鎮静」という
手段がとられることがありますが、この時も御本人の意思
がある時・ない時に関わらず家族の同意を求められること
になります。「苦痛を取り除く」最良の方法であったと
しても、コミュニケーションがとれなくなり、場合に
よっては死を早めるかもしれない選択もまた家族にとって
とても辛いものになるかもしれません。

このような場面では、「どちらの方が患者さんにとって
幸せでしょうかね」
と問い掛けることによって、
患者の「苦痛」か「死」という二択から、「より幸福か」
という別の軸でものを考えることが出来るようになります。
相反するふたつの答えから、「より幸福」と思える「近い」
ふたつに変わる
ので、御家族も選びやすくなるというわけです。

また、「苦痛か死か」という選択では、選んだ後の家族の
グリーフにも影響が出ます。「あの時こうしておけば」と
いう後悔
も、幸福を軸とした選択の方が少ないのではない
でしょうか。

この「軸をずらして考える」方法は、私のオリジナルでは
なく、大森山王にある鈴木内科医院の鈴木央先生から
お聞きした方法です。

もちろん、最も良い方法は御本人があらかじめ延命や鎮静
について語ること、です。あと10年、15年先にはこのような
議論は非常に少なくなっているかもしれません。しかし、
どうも我が国は「予めの意思決定」という考え方が今ひとつ
浸透しません。宗教観、倫理観があまりなく、また日常の中に
「死」がないという特殊な状況なので、欧米のようにはいかない
のでしょうか。「鎮静」などという言葉も、我が国で使われる
ようになってかれこれ30年近く経ちますが未だに
「なに、それ?」という方が多いですので。

最後に以前にもお話したかもしれませんが、特に「他者」に
よる意思決定は、本当に選択する代理者には大きな負担を
強いるこものです。ホスピスにおいては家族ケアの一環として
援助を受けられる可能性が高いと思いますが、一般病棟での
胃瘻の議論などでも、特に「しない」決断をした家族には
「じゃあ、さようなら」ではなく、「心のケア」を十分に意識
して頂きたいと思います。