Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

終末期の輸液

本日は『いまいホームケアクリニック』さんのこちらの記事
から。

imai-hcc.com

書いてある内容は、私個人は全く賛成です。
ただ、少し自分の意見を加え、書かせて頂こうと思います。

少しずつ衰弱された患者さんが、口から水分を摂れなく
なった場合、多く余命は数日~1週間程度です。
点滴は簡単に言えば水の中に糖と塩が入っているような
もので、殆ど栄養はありませんが、水分を補うことで
上述の余命数日が、数週間くらいには延ばすことが出来ます。
問題は経験上、延びた数日が患者さんにとって『辛い時間に
なってしまうことが割と多い』
ことです。

今井先生は、輸液によって浮腫や胸腹水、気道分泌物の増加
を挙げておられます。その他トイレに行ける方にとっては
往復の負担が増加することも私は大きなマイナスだと思います。

次に挙げられている「精神的な理由」もとても大切な内容
です。医師にとっても、患者さんにとっても家族にとっても、
『出来ることがもうない』
ことを納得して受け入れるのはしんどい作業です
(「受容」が悪いとは思いません。しかし、「受容」
させられるのは状況によっては苦痛でしかありませんん)。
『逃げ』として点滴が選ばれてしまうことも多分にあると
思います。

しかし一方で、歳を重ね身内を看取るようになって来ると、
輸液をしないという選択が家族にはいかに苦しいものか、
ということも分かって来ます。輸液の弊害や治療の限界を嫌と
いう程知っている医療者ですらそうなのですから、
家族がこの決断をすることはとても大変なことだと思う
のです。

また、輸液に消極的・または反対の医療者も、「○○さんの
ために輸液をやめましょう」とハッキリは言いません。
そんなことを決める権利はないので、当然と言えば当然ですが、
「点滴は苦しいのですよ」と言うだけで結局は「家族が決断
する」という形をとることになります。ここで私は、家族を
「誘導」しているような嫌な感覚になります。

私も、今井先生がおっしゃるように「自動的に」、あるいは
話し合いを避けるために点滴を行うことがないようにということは
心掛けています。同時に、患者さんがさほど苦しんでいない
ケースもあり、点滴の弊害について伝え、いつでも止めたり
再開が出来るという説明のもと輸液を開始することがあっても
良いのではないかと考えています。
状況をみて継続を見直し、
頻度や量を調節する。場合によっては輸液が家族に数週間の
の時間をプレゼントしたり、家族の罪悪感を軽減出来ること
もあるのではないか、というのが私の考えにあります

苦しんでいるなら、やはり中止にした方が良い。
苦しむことになるかもしれないからやめようと
思えるならそれはその方が良いようにも思う。

しかし揺れる気持ちに寄り添い、「やる」「やめる」
を都度決めていくのもありじゃないかと思います。
私が考えているのは胃瘻や高カロリー輸液と違い、
あくまでsoft landingに向けた上での、「曖昧な輸液」です。