Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

VSEDに対する私見

新城先生が書かれた、VSED (voluntary stopping eating and drinking)
に関する記事が、Twitterで話題になっていました。

headlines.yahoo.co.jp

VSEDとは患者さんが自ら飲食を止めることによって死期を早める
行為を指します。上記の記事では、新城先生が10年以上前に
出会った患者さんについて書かれています。新城先生はこの
患者さんに、恐らく内容からすればやや浅い鎮静を施し看取りを
行っています。

新城先生はこのVSEDを、安楽死に近い行為として認識されています。
しかし、VSEDは薬物等を使って死期を早める行為ではないですし、
安楽かどうかも分かりません(一方で最後に述べるように、食欲の
ない患者さんにとって、元気な人が飲食を止める程の苦痛もないの
かもしれませんが…)。そういう意味で、どちらかと言えば安楽死
よりも尊厳死、更に言えば尊厳死よりも自殺に近い行為ではないか
と私は考えました。新城先生がツイートされていたように自殺は
体力がないとなかなか実行で出来ません。VSEDは通常の自殺に
比べると、開始する時のエネルギーが少なくて済むのかもしれません。

しかし、思うのですが確かに文中のタカシさんのように飲食を
止めることを宣言し、100%止めることがなかったとしても、
将来を悲観し、「黙って」「部分的に」VSEDを実行する人は
いるかもしれません
。少しずつ飲食を絶てば、それは病気の
進行に伴い食欲が落ちたことと見分けはつかないでしょう。
少しずつ、意図的に行う食事の減量も一種のVSEDと考える
ならば、それはもっと広く実施されているのかもしれません。

新城先生が悩まれたように、VSEDを目の当たりにした家族や
医療者は戸惑いを覚えずにはいられないと思います。どうにか
思いとどまって欲しいと願うでしょう。タカシさんは新城先生
により余命が1~2ヵ月と推定されていました。しかしもっと
長い予後が見込める方ではどうだったでしょうか。短いから
良い、長いから悪いと言える内容でしょうか。うつ病として
のアプローチは有効でしょうか。しかしうつであったとしても
患者さんが薬を飲まないと決めているならばどうしようもない
かもしれません。

結論のようなことは言えませんが、一言にVSEDと言っても、
各々の患者さんでその決意に至った経緯や決意の強さ、
周囲のアプローチの方法などは著しく異なっているように
思います
。特定の家族や医療者が苦悩を追い込むことなく、
精神科やカウンセラー、宗教者を含む複数の医療チームで
対応に当たることが望ましいと思います。セデーション同様、
出来ることを全て行った上で患者さんの気持ちが変わらず、
結果VSED死になってしまうならば、それは仕方ないことと
しか言えないかもしれません。ただ、これは私の想像ですが、
黙ってVSEDを行うのではなく周囲に宣言している辺り、
みんなに死にたくなるほどの苦しみを理解して欲しい、という
方も、中にはいらっしゃるのではないかと思います。

最後に出所を忘れてしまったので適当に読み流して頂ければ
と思いますが、安楽死(自殺幇助)が許される国、
(確かオランダだったと思いますが)で実際は薬物を使った
安楽死よりも飲水を絶つ方法がより多く選択されており、
(少しずつ減らしていくのか、それは分かりませんが)、
その殆どが穏やかな最期であった、という文章を読んだ
ことがあります。随分前に読んだものですが、出典が
分かったらここに掲載したいと思います。