Not doing but being

主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

曖昧に始まるセデーションは是か非か

今回は終末期鎮静についての、医療者向けの内容になります。
「セデーションって何?」という方には理解しにくい内容と
なりますので御了承下さい。

御承知の通り、終末期鎮静(特にcontinuous deep sedation、
以下CDS)はガイドラインでかなり慎重に選択すべきことが
強調されています。ガイドラインをそのまま在宅に当て
はめようとすると、

1.他科・専門医へのコンサルテーション
2.治療抵抗性判断
3.医療チームの合意
4.本人の意思確認

等を厳密な意味でクリアするのが難しい場合があります。
この場合、あまり厳密にすればセデーションの実施に時間がかかり
適切な時期を逸し御本人に余計な苦しみを与えてしまう可能性と、
避けられるはずであった入院を選ばざるを得ない結果になることが
懸念されます。

するとまず、CDSの判断をせず、浅い鎮静、一時的な鎮静を選択
する場面が多くなります
。特に一時的な鎮静はダイアップの座薬
などを使うだけで睡眠薬・安定剤の使用と明らかな違いはなく、
ガイドラインでも睡眠薬の使用は鎮静に含まれないと明記されて
しますから、手軽に開始出来ます。また実際在宅ではこれで
間に合ってしまうことも多いのです

しかし、座薬等使用により御本人が入眠出来て苦しさが減る
ことで、御本人も楽そうに(恐らく本当に楽に)なりますし、
辛そうな本人を見ている御家族・医療者といった周囲の心理的
な負担も軽くなります。もし目が覚めた時に御本人が辛そう、
ということになると、座薬が続けて使用される場合があります。
座薬は、内服と異なり御本人が覚醒し内服する意思がなくても
継続使用が出来てしまいます

すると、お分かりかと思いますが開始時に判断にガイドライン等
で非常に慎重さを求められているCDSよりも、遥かに開始の敷居
の低い「軽い」「間欠的な」セデーション(的行為)が、結果として
CDSに近いセデーションになり得るということを意味するのです

私の経験上は、御本人の意思が確認出来ず、座薬の使用が必要で
かつ大きな苦痛がありそうに見える状況は、御本人が非常に衰弱
した、予想される余命が数日、という時期ですので個人的には
この、曖昧に開始されるセデーションに類似する治療を容認して
良いと思っています。この時期は自然な傾眠・意識レベル低下
で御本人が楽になって来ていることが多いのですが、そうならない
場合に軽い睡眠薬や安定剤を使用するだけで、御本人も楽になり
御家族の葛藤も少なくて済むからです。

しかし一方で在宅という「密室」で、御本人が明確な意思表示が
出来ない中で、家族と少ない医療者の判断で、曖昧なまま
終末期鎮静が始まってしまうということは安易で過剰なセデーション
に繋がる恐れもあります。少なくとも医療者は、その可能性を認識
しておくことは大切ではないかと思っています。