Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「すがる」こととその対象が生む悲劇

今日は前回の続きです。元になる記事は、

ex.yahoo.co.jp

科学的根拠に乏しい代替療法にすがった結果、たくさんの
金銭を失ってしまう患者さんがいます。場合によっては、
完治の可能性すらある方でも、残念ながらそのチャンスを
失ってしまうこともあります。

私は代替療法が問題ではなく、「すがって」しまうことが、
そして「すがる対象」が場合によっては間違いや誤解のもとに
なったり、騙され、多くを失う悲劇を引き起こしているでは
ないかと思います。逆に代替治療の取り入れ方によっては
(たとえプラセボであったとしても)考え方、生き方に良い影響を
与え、より健康的に過ごせる機会にもなり得ます

西先生が以前、ブログでとても興味深い記事を書いておられました。

tonishi0610.blogspot.jp

宗教を嫌う日本人は多いですが、心の拠り所がないと究極的な
ところでカルトに流れてしまう可能性があるのではないか

曰く

宗教が必要がないと言っている日本人は、実際に自分が危機的状況に
陥った時に慌てふためいて「本尊」を探し求めるから危ないと私は
思っている。

探し出した「本尊」が代替治療だったりすると、患者さんは時に
全てをそこにつぎ込んでしまいます。家を売って免疫療法を
受けたり、考えの違いで家族と訣別してしまったり。
そして熱心に代替治療を行うようになると、他のものを受け入れ
なくなってしまうので結果的に患者さんの苦しみが増すことが
しばしばあります。モルヒネが「化学物質」だから良くないと、
必死に激痛に耐えている患者さんもいます

冷静な判断が出来る時に自分の信じられるものを探すこと
考えておくことは悪いことではないと私も思います。

片木さんが書かれているように、患者さんが心の中で決めて
しまうと、周囲の家族も、まして医療者など立ち入れない世界
が出来てしまいます。

しかし、私達に出来ることはあります。継続的に関わることです。
その結果何も変わらないこともありますが、患者さんの気持ちが
少しずつ変わる経験もあります。助けを求めて来られた時に、
受け入れる態勢があるかどうか。その備えをし、いつでも連絡
するよう伝えることは、代替治療を無理に否定し止めさせるよりも
大切なことではないかと私は思っています。

以前書いた、代替療法についての私の記事もよろしければお読み
下さい。

kotaro-kanwa.hateblo.jp