Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

悔しい想い

今日のyomiDr.にこんな記事がありました。

yomidr.yomiuri.co.jp

義父は 膵臓すいぞう がんと診断された。開腹手術―
抗がん剤治療―入院。徐々に悪化し、翌年5月、家族は
医師に呼ばれて「これ以上治療できない。緩和ケア病院
に移ってほしい」と告げられた。医師は「決まりですから」
「正月を迎え、桜も見られた。よかったじゃないですか」
とも。義母は「お父さん、ダメだって」と泣き崩れた。
義父は1週間後、亡くなった。

よくある事だ、特別なケースではないだろう、と皆さん
は感じると思います。私もそう思います。あるべきでは
ない事ではありますが、こんな話は巷に溢れています。
しかも、「私の医見」とあるにもかかわらず、この記事は
何の考察も感想もありません。大切な内容ですが、物書き
ならここで終わりにしてはいけないと思います。

私が医師になった頃から、患者さんの入院期間は年々
短くなっています。国の方針ではありますが、病院が
治療がなく、寝たきりの方ばかりになっては急性期病院
としての機能が果たせませんから、治療が出来ない方は
退院やホスピス等に移って下さい、という話は仕方が
ない事だと思います。患者さんにも、その方が良いです。
平均在院日数の延長は病院には大きなペナルティがあり、
ただでさえ経営の苦しい病院は経済的な理由からもこの
方針に逆らって医療を提供し続けることは出来ません。

同時に、医師は外来で苦痛や不安に耐え入院を待つ他の
患者さんの主治医でもあるのです。患者さんを好きで
退院させている訳ではありません。

「だからと言って患者家族に寄り添わくて良いという
訳ではないだろう」

という声が聞こえてきそうです。尤もです。

ただ、そろそろこういった記事を、『寄り添わない医療者が
悪』、という幼稚な結論で締めくくるのは止めにしませんか?
ドラマやニュースを賑わせる悪徳医師のイメージが強い
と思いますが、医師は皆そこまで無慈悲で冷酷だと本当に
思いますか?では何故医師は寄り添えないのか。何故冷たい
言葉になってしまうのか。医師にも苦しみはないのか。
問題があるならば、何を変えられて、何は変えることが
出来ないのか。そういう意見を出し合う時期に来ている
のではないでしょうか。


先日紹介した新城先生のブログに、こんな箇所があります。

本当は状態が悪くなっていくばかりのがん患者を前にして、
医師は、どういう向き合い方をしたらいいかわからないのです。
私も経験が浅い時にはこういうときがありました。相手は自分
が治療をしても治らないのがわかっている。自分が患者を
治したいという気持ちがあっても、治す方法がもうわからない。
自分ができることは何もないことを知るのです。そうなると
目が合わせられなくなってきます。患者は、診察のたびに
状態が悪くなってきますから、逃げ出したいわけです。

それを逃げ出さないようにするために、次はどうしたら
いいのか。向き合えない医師に、「コンピューター
ばかり見ないで患者の目を見なさい」と教育するのでは
ないのです。亡くなっていく人とどう向き合ったら
何とか逃げ出さずに済むかを、心のあり方ではなく、
もっと実践的に技能として教えなくてはだめです。
技能としてコミュニケーションをちゃんと考えて
いくというのが、大切なのです。

医師は「申し訳ないけれど、どうにも出来ない」という、
最も伝えたくない内容を患者さんや家族に告げる義務を
果たしているに過ぎません。願いを叶えることの出来ない
相手に笑顔で優しい言葉を与え続けるということは
当たり前に出来ることではないのです。

皆さんが医師であれば、治療がなくなってしまったこの
患者さんに、何をしてあげられますか?優しく話せば家族
は理解し、感謝して転院されますか?目の前の患者さんに
入院の継続希望を叶えるのであれば、入院を今か今かと待つ
患者さん、部屋がなく救急車で『たらいまわし』にされて
しまう患者さんをどうしますか?

新城先生がおっしゃる通り、難しいコミュニケーションの
スキルを学ぶこと、広めることは大切な提案のひとつです。
同時に、冒頭で紹介した記事の患者さんの問題は、主治医
がスキルを学び優しい言葉で話せば解決をすることなのか、
と考えるとそれだけではない気もします。本質は治らない
こと、病院にいられないこと、それを受け入れられないこと
でもあるのです。

課題は山積みです。私達は出来ることを考えて始めていく
しかありません。医師としてスキル・マナーを学ぶのは
私達の責任ですが、同時に受け身ではなく、医療の限界、
医療が置かれている状況を理解し、医療とどう向き合い
利用して行くのかを考えないといけない時代になっている

と思います。