Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

高齢者の誤嚥と訴訟を考える(2)

前回の更新からだいぶ時間が空いてしまいました。
今日は前回に引き続き、高齢者の誤嚥の問題を考えたいと
思います。

さて、まず医療者、介護者にはだいたい常識的にお分かり
だと思いますが、『要介護者』に当たる高齢の方々は、
どんな原因で亡くなっているでしょうか。
実は少なく見積もっても、肺炎で亡くなる方が3人に一人
です。『がん』は1割未満、数%に過ぎません。加えて、
死亡診断書に「がん」「心不全」「腎不全」「老衰」等と
あっても、肺炎が直接的・間接的に関与している割合は
計り知れません
。もちろん、市中肺炎は少なく大部分が
誤嚥によるものでしょう。どんな原因でも、人が弱って
いけば必ず嚥下が困難になって行くのです

誤嚥によって肺炎を起こし亡くなれば、それは「病死」です。
しかし、食物が気道に詰まり、目の前で患者さんが亡くなって
しまえばそれは『窒息』ですが、これは『事故死』になります。
私達かかりつけ医は、死亡診断書を書けません。警察が来ます。
関係者は『取り調べ』を受けます。警察は『事件性』を判断
するだけで、何もなければ罪に問われることはないにせよ、
ただでさえ自分の介助が原因で人が亡くなってしまった上に
警察に質問責めに合う苦痛は計り知れないと思います。

ちなみに『不慮の事故』で亡くなる方のうち、1位は交通事故
でしたが、今は『窒息』が1位で、年間10000人以上の方が
亡くなっています。今後は更に増えるでしょう。しかし、
要介護高齢者の窒息は『事故』として扱うことなのでしょうか
誤嚥性肺炎とは食物の量が違っていただけで、私には病死、もっと
言えば自然死にしか思えないのですが。
警察が介入すれば『なにか
悪いことがあった、介護ミスだ』と知識のない方は思うかもしれ
ません。少なくとも、人間が衰弱する過程、むせが多く食事に時間
がかかる方々の多くが不顕性誤嚥を繰り返しており、いつ顕性の
誤嚥で肺炎を起こしても窒息を起こしても全く不思議ではない
という『常識』を周知するように、国は、マスコミは、考えて
頂きたいと思います。

誰が、目の前の利用者・患者さんを窒息させたいでしょうか
自分の介助によって目の前のお年寄りが亡くなっても
「別にいい」と思うでしょうか。よく「何故具をもっと細かく
刻まなかったのか」「ドロドロにしなかったのか」という方が
いますが、食事をしていた高齢者はそれを望んだでしょうか。
施設の職員が「この方が食べやすい」と思っても、利用者が
「そんな物なら食べない」「あの人は食べている」等と言う
ことは日常茶飯事だと思います。また、「もっと時間を掛けて
食べさせるべきだった」と後から言う人も後を絶ちませんが、
一度食事の現場をみて、一緒に仕事をすれば分かります。
人がいないのです

主に職員の、介護者の立場から話して来ましたが、入居している
患者さんにしても、「誤嚥する」「しない」「安全」「危険」
といった話ばかりで、食事を楽しむ、好きなものを食べたい
という想いはいつも(しばしば、家族により)後回しになります。
危ないからとドロドロの食事になり、挙句の果てに訴訟を恐れ
胃瘻になるのは本当に気の毒です。

施設の種類を問わず、入居者の方が楽しみにしていることの
第一位は圧倒的に食事です。「少しでも安全に」工夫するのは
もちろんですが、御本人の嗜好、もっと言えば歴史や生き方、
性格や尊厳を尊重する考えと、『窒息の犯人探し』『訴訟』は
真逆の考え方だと思います。
私が衰弱し亡くなる頃は、
皆が老衰を受け入れ、窒息したら「大往生だった」と笑顔で
送り出してくれる世の中になっていて欲しいと願っています。