Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

胃瘻を作らないことは「弱者の切り捨て」か

昨日Twitterでこんな記事を見掛けました。

headlines.yahoo.co.jp

京都市で、市民が自分の終末期に備え、胃瘻や
人工呼吸器等の治療に対して、また療養の場所
などを予め書いておく事の出来る「事前指示書」
が配布され、物議を醸しているというニュース
です。反対する医師や法律家は、「人工呼吸器
を用いて生きる選択を難しくする」等と意見
しているようです。

記事によると、『尊厳死法いらない連絡会
(なんちゅうネーミングだ!?)の冠木克彦
弁護士は、「事前指示書の押しつけは、差別や
弱者の切り捨てにつながる。尊厳死や安楽死
思想と同じ流れだ。胃ろうや人工呼吸器を使って
長く生きる人はおり、生きている生命にこそ価値
がある」とし、市に近く抗議文を出す構えだ

とのこと。

しかし、市は事前指示書を押し付けてなどいない
し、「法的な拘束力はなく、内容はいつでも
修正・撤回できる」とわざわざ注釈まで付けて
いるにも関わらず、あたかも行政が無理矢理指示書を
書かせているかのような言い方をするのは誠実
ではない気がします

『尊厳死』を慎重に、という考え自体は、私も
支持します。しかし同時に、胃瘻や人工呼吸器
による延命もまた慎重であるべき
です。どちらも
安易に決めるべき事柄ではありません。当然です。
十分な情報提供や医師との対話なしに
「事前指示書」などあり得ない、と言うなら、
胃瘻の前に情報提供や医師との対話が十分に
持たれているかどうかも見直すべきではないで
しょうか

私は、冠木弁護士とは逆の立場で、自身の在宅医
としてたくさんの患者さんと関わった経験から、
胃瘻や人工呼吸器による延命を非常に苦しい
ものだと考えており、自分自身はこのような
治療はしないで欲しいと日々思っています。
正直、胃瘻や人工呼吸器の方が余程非人道的である
とすら思っています。詳しくは過去のブログを。

blog.goo.ne.jp


自分が嫌な治療は患者さんにも勧めるべきでは
ないとの考えから、胃瘻を積極的に勧める事は
殆どありません但し、当然ですが全ての胃瘻、
人工呼吸器を一緒に論じることは出来ません

その辺りのことも、上で紹介したブログに書き
ました。

しかし、冠木弁護士と大きく異なる点は、少なくとも私は
自分の考えがやや感情的で偏っているという自覚
はあります。私の考えだけが正しいとは思っていませんし、
異なる選択をする患者さんや御家族も、全力で支えます。
むしろ自分以外の考えや死生観を認めない、
という態度こそが問題であると思います

抗議して違う考えを排除するのではなく、御自分の正しい
と信じる考えを堂々と主張し続ければ良いではありませんか。

医療のあるべき姿は、胃瘻にせよ人工呼吸器にせよ
良い面、悪い面両方の情報提供があり、
意思決定の支援があり、どの道を選んでも
出来る限りのサポートがある事
ではないでしょうか。
むしろ、延命一辺倒のこれまでの医療に対して
京都市の試みは一石を投じるという意味においては
とても価値があったと思っています。

もし、お時間があればこちらのエントリーもご覧下さい。

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