Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

「セデーションの是非」論争に思う

一昨日、昨日とセデーション(鎮静)についての話をさせて
頂きました。その中でさらっと触れた、『深い持続的な鎮静
CDS)の是非』について、本日は少し掘り下げてみたいと
思います。

まずは平成28年1月に放送された、クローズアップ現代の記事
をご覧ください。

www.nhk.or.jp


「深い持続的な鎮静」と「安楽死 /自殺幇助」は、明確な
違い
があります。それは、ガイドラインにもある通り

1.目的が違う…鎮静は患者さんの耐え難い痛みを取るのが目的
2.使用する薬剤が異なる…鎮静で用いられるのは睡眠薬
抗精神病薬・抗痙攣薬であり、患者さんの命を終わらせる
「毒物」ではない。
3.成功した場合の結果が違う。鎮静の目的は「患者さんの
死」ではなく、苦痛の緩和である。

この他に、「相応性」として、

1.耐え難い苦痛がある
2.苦痛は主治医単独ではなく医療チームにより治療抵抗性
と判断されている。
3.原疾患のために2~3週以内に死亡が生じると考えられている

が挙げられています。死が目前であり、複数の専門家に
より判断されている
ことも、単なる安楽死・自殺幇助とは
明確な違いだと思います。

とは言え、これらの違いは個人の経験や知識、感性によって
「明確に違う」と考えるか「いやいや、同じでしょ」に
分かれるものなのでしょう(だから、議論があるわけで)。
また、それぞれのケースを「耐え難い」、「治療がない」、
「余命2~3週いないである」の部分も、関わる医療者の
知識や考え方に随分と左右されてしまうものでもあります。

ただ、明確な代替案もなく闇雲にCDSに反対するところ
で議論を止めてしまうのは、「苦しむ患者・家族は我慢しろ。
知ったことではない」と言っているに近い
、ということも
忘れてはいけません。

また特に「密室」である在宅において、妥当な検討がなされて
いるかどうがこの番組の中で問いが投げかけられているように
思いました。緩和医療学会でも「鎮静」はより慎重に行われる
べき
、との方向で議論が進んでおり、今後は在宅での鎮静
についても言及することになるはずです。このような議論
は必要ではありますが、一方で「慎重」「我慢」「努力」
が美徳のこの国では、逆に「安易にCDSを避ける」流れに
ならないよう注意する必要があります

この番組に出て来た小笠原医師。1000人の看取りで鎮静は一人だけ、
とおっしゃいました。「町医者日記」の長尾先生も、1000人超の
在宅看取り中、鎮静は経験がなく、考えた事もないとおっしゃって
います。こうした、極端な「在宅では鎮静は不要」論を
唱える先生
は、もし新城医師の代わりに御自身が「義隆さん」
の主治医だったらどうしたのでしょうか。新城医師は高度な
緩和医療のスキルを持つ先生ですが、「もっと良い方法」を
御存知なのでしょうか。それならそれで、「もっと良い方法」
を啓蒙して頂きたい。そうすればCDSの議論自体が不要になる
でしょう。正直、新城医師と小笠原医師では診ている患者さんの層が
違うのでしょう、というのが同じく在宅医である私の感覚です。

私は、鎮静が考慮され得るほど辛いご経験をする患者さんは、在宅
でも少数ならがいらっしゃると思います。医療者がCDSを悩まず、
躊躇せずに実施するようになってしまうと、それは安楽死や自殺
幇助に近いものになってしまうかもしれません。鎮静は医療者が
患者さん、家族と共に悩み、悩み、悩みぬいて考慮される選択肢で
あるべきですが、その選択肢が本当に必要な方から奪わないで
頂きたいと強く願っています