Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

皮下輸液

在宅でお看取りとなる、多くの方に私はこの皮下輸液という
方法をとります。人は最期のときに近付くと、次第に柔らかい
食べ物しか受け付けなくなり、やがて水分を摂ることも難しく
まります。水分なしで人間が生きることが出来るのは多くの
場合数日から長くて1週間くらいです。

我が国では、口から栄養が摂れなくなった患者さんに、胃瘻
や経鼻栄養、高カロリー輸液などの方法で栄養と水分を補給
する選択肢があります。これらの治療は数か月から、場合に
よっては数年の延命が期待出来る方法です(もちろん、病状
によります)。これらの栄養法を行い、再び口から摂れるか
どうか…これも年齢や病状によりますが多くは難しいです。

問題は、口から物が摂れなくなった時点で多くの場合は生きる
力が残されていないことです。この状況での延命は言わば
限界を越えて生かされている状況となり、患者さんは褥瘡や
拘縮、繰り返す感染症、痰の吸引といった苦痛を多く経験
しながら次第に衰弱していくことになります。
一部の医療者がこれらの延命手段に関する情報を否定的に
発信するのは、単純に「あまりにもかわいそうだから」です。

私もこれらの治療には否定的な立場です。ただ、最終的に
それを判断するのは患者さんであり、患者さんがそれを
出来ないなら家族がするべき問題だと思います。
私達が本当に必要なことは、延命を勧めたり止めたりする
ことではなく、ただそれを決定する前になるべく正確な
情報を与えること、そしてどちらを選択しても出来る限り
のサポートをすることだと思っています。

前置きが長くなりましたが、皮下輸液という方法があることを
今日はお話したいと思います。具体的な方法は、私が10年
ほど前にブログに書いたものがありますので、そちらへの
リンクを貼っておきます。

blog.goo.ne.jp

病院でも、腕や足の末梢血管から点滴をすることがあると思います。
皮下輸液も、殆ど同じです。が、何故か病院ではこの皮下輸液が
行われることは殆どありません。血管を何度も刺される患者さんも
気の毒ですし、看護師さん達も大変だと思います。
何故病院ではこんなに良い方法を利用されないのでしょうか。

皮下輸液は、大量の輸液をすることは出来ません。腹壁から一日
に吸収出来る水分の量は限られているからです。私は500mlの
点滴を1本行うことが多いです。患者さんの状態に応じて、200ml
とする場合もあります。選べる点滴の種類に限りがあり、速度が
変わりやすく着替えや入浴の邪魔になりやすい等の欠点はあります。

ですので、病状の回復を期待して行う点滴には不向きだと思います。
しかし、負担の少ない優しい輸液であり、少量の水分によって、
患者さんは数週間(長い方で二か月くらい)命を延ばすことが
出来ます。数週間でも延命は延命ですが、ご飯が食べられなく
なった患者さんに何もせず数日で見送ることと、胃瘻や高カロリー
輸液で永らえることの中間に、このような選択肢があることで
患者さんの最期を看取る家族に備えの時間を用意することも
出来るのではないかと私は考えています。

週単位でも延命だ、平穏死ではないと反対される人がいます。
それも一つの考えではあります。しかし、御本人に大きな苦痛
がないなら、目くじらを立てて止めさせることなのか
、と私は
思います。

もちろん、数週間の延命中に苦痛が増す可能性もあるでしょう。
私はもちろんそれを家族には伝えますし、そうなったら
量を減らしたり、休んだり、中止にしたりを都度相談しながら
決めていくことにしています。本当に個人的な感覚ですが、
多くの場合に「ちょうどいい」、穏やかな時間になることが多い
と感じています。

平穏死は良いが誰にでもベストだと言えるだろうか

Dr.和こと長尾和宏先生が、また鎮静について書いておられました。

blog.drnagao.com

面識はないですが非常に熱心な良い先生だと思います。
文才もおありなので、在宅医療や平穏死について数多くの本
を書かれ、啓蒙活動にも力を入れておられます。
賛同出来る意見も多く、機会があれば私も書かせて頂こうと
思いますが、例えば20日の在宅医療の制度に関するご意見は
本当にその通りだと思いました。

一方で鎮静に関する話題については、私は以前より長尾先生と
は考えが合いません。今回もその想いを新たにしただけでした。
ただ、色々な在宅医がいていい、というのが私のスタンスです。
医師の価値観・人生観と、それぞれの患者さんが合えば良い
のです。ケアマネージャーさん、病院のMSWの方々には、
その「仲人」的な役割をお願いしたいです。

私も医療者としての考えは長尾先生とそう大きくは違わない
のですが、自分の考えを押し付けたくないと思っています。
平穏死も良いですが、「楽であれば命が短くて良いよ」と
いう考えの方ばかりではありません。例えばお若い患者さん
で仕事や育児の真っ最中であった難病や末期がんの方。
胃瘻や高カロリー輸液を行っても長く生きたいと願う気持ち、
私は出来る限り尊重したいと思います。
その結果、最期に苦痛が増すことは当然あるでしょう。
だから私は鎮静という選択肢は必要だと思っています。
そしてもちろん、延命しなくても鎮静を要するケースも
あると私は思っています。

長尾先生は何故かそういった患者さんが担当におられない
ようですが、先日も在宅で肺疾患の増悪で呼吸がとても
苦しくなってしまった患者さんがおられました。ちなみにこの
患者さんの場合、長尾先生のおっしゃるような輸液などの、
いわゆる延命的なことは何もしていません。
在宅酸素も、モルヒネも安定剤も使いましたが次第に悪化、
恐らく鎮静が必要になると思われ、事前にその選択肢を伝え
ましたが「眠りたくない」「病院にも行きたくない」とのこと
でした。もちろん、これも当然の気持ちです。

呼吸苦がピークになると、そこからの鎮静は経験上なかなか
うまくいきません。ドルミカム等の薬を多く使わざるを得ず、
ただでさえギリギリの呼吸状態は薬剤によって更に悪化の方向
に変化しやすいです。ですのでピークの前に鎮静が出来れば
良いのですが、もちろんそうはいきません。

たまたま、私が動ける時に御家族から連絡があり、すぐに訪問し
鎮静を開始しました。鎮静が安定するまで付き添い最大限注意して
薬を使いましたが、開始してすぐにお亡くなりになってしまい
ました。本当にギリギリまで頑張られ、人生を生き切ったのだと
私は思いました。

この患者さんの最期は平穏死とは言えないかもしれません。
医療者サイドの感覚では、頑張らせ過ぎてしまったのではないか
という想いもあります。しかし、患者さんの想いが尊重出来る
ことを、私は大切にしたいという考えでやっています。

在宅では鎮静が圧倒的に少ない、これはもちろん、私もそう思います。

医療における「7つの習慣」

皆さんは、「7つの習慣」を御存知ですか?

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

ビジネス書と思われているようですが、人生をより幸福に、
より成功するためのヒントとしても最高です。
最近はティーンエイジャーや児童向けの「7つの習慣」も
売られているようです。オリジナルを読むのが大変、と
いう方は、ティーンズ版もなかなか面白くお勧めです。

7つの習慣ティーンズ【リニューアル版】

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  • 作者: ショーン・コヴィー,フランクリン・コヴィー・ジャパン
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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オリジナルを私が初めて読んだのは高校生の時でしたが、
最近電子書籍で買い直しました。いつ読んでもその時に
応じたヒントがあると思います。

人生の色々な場面で役に立つ「7つの習慣」ですが、
実は治療を受ける患者さんにとっても、あるいは家族に
とってもかなり大切な指針になるのではないかと思って
います(もちろん医療・介護者側にも当てはまります)。
例えば、

「第一の習慣・主体的である」

「第二の習慣・終わりを思い描くことから始める」

どうですか?最初のふたつの習慣を並べただけでそれらしい
気がしませんか?特に、「主体的である」ことは7つの習慣
おいて最も大切な習慣だとされています(私もそう思います)が
医療、介護においても間違いなくそうです

「聞いても分からないから、お任せします」ではなく、
家族や専門家の助けを借りても、最終的には自分で判断し、
(生き方において)責任を負うという気持ちがあって初めて
本当の意味で自分の人生を生きているのではないかと思います。

第二の「終わりを思い描く」は短期のゴールでも良いですが
やはり人生の終わりを私なら考えたいと思います。「今」の
病気は治っても、最終的に人は最期を迎えます。その時に、
どうありたいのか。人生の設計図を見直すことで今の生き方
に必ずヒントがあるように思うのです
。延命治療について
大事な人と話し合う、等もこれに含まれるかもしれません。

7つの習慣の後半は、人との信頼関係を築くためのヒントです。
一見関係ないと思われるかもしれませんが、実はありありです。
主治医、看護師、ケアマネ、家族(妻、夫、子供達など)、
医療者側からすれば患者さんと家族、チームのメンバー。
関係が良い方が良いに決まっています。
例えば「お前ら金貰ってんだろう、プロだろう」という態度より、
言うことは言うがきちんと感謝は口にする という患者さんの
方が、皆の力を大きく引き出せると私は思っています。
私は医療チームを組む時はもちろん患者さんが中心ですが、
常に全員のwin-winを考えています。これはずっと心掛けています。
それが最終的に患者さんにとって一番プラスになると思うからです。

もちろん、病状によっては本など読む余裕はないでしょうし、
考えることも難しいでしょう。また環境によっては全てを
考える必要はないかもしれません。ただ、より良く生きる
ために役立つ「習慣」がきっとあると私は思っています。